2017年9月1日金曜日

『古きもののこころ』

 『古きもののこころ』(井上靖 『日本教養全集15』 角川書店 昭和50年)を読んだ。ここにあげている『蜻蛉日記』と『更級日記』。若い頃に読んだかどうか覚えていない。改めて電子辞書に収めてある『蜻蛉日記』を読む。5年半前にすでに持っていた中国語対応の電子辞書。これにスペイン語対応のカードを差し込もうとした。ところが同じ電子辞書でも進歩の度合いが半端でなく対応しきれない。やむを得ず、4,5万円もするスペイン語対応電子辞書を購入。これは本当に優れモノで外国語対応辞書はもちろんのこと百科事典、植物、動物辞典ほかあらゆる機能がついている。日本の名作やクラシック音楽の演奏などもそれぞれ1000ずつ入っている。ただ、パソコンのような検索機能がない。

 その中の『蜻蛉日記』を読む。以下は井上靖が書いている個所。道綱の母が書いたと言われる『蜻蛉日記』。その生活はこれを読むと当時の女性の地位の低さがよくわかる。これは当時でなくても今でも当てはまるかもしれない。女性の自立が今ほどない時代の女性の生き方を思うと今のように外で働いて生活の糧を得て経済的に自立する。これは尊い。

 道綱の母のような生活を送ったことがない。それにもよるのか女の生涯がかげろうのように儚い、とも思わない。今のところ何とか自立している。これも大きな要因かもしれない。ともあれ、頼る人がいない生活を送っている。おのずと自分で何事も決めて…。それには楽しみも当然含まれる。人を頼っていては楽しみも何もない。これはこれでいい人生!?そう思って今日も楽しく!

★王朝日記文学ははっきりとここに一つの特色を持っている。…当時の女性の持った不幸が、女性の宿命として描かれ、それに対する怒りや悲しみが、いろいろな形において、読者の胸を打ってくるのである。…当時の貴族社会では公然と一夫多妻制が行われ、女性は男女関係の第一歩から、地獄の苛みを約束されていた。女性には自由はなく、いかに表面華やかに見えても、女の世界は暗い陰惨な箱の中に閉じ込められていたのである。…王朝日記文学は、こうした女性たちの悲痛な訴え以外の何ものでもない。女性は結婚し、あるいは恋愛し、その日から底知れぬ地獄の苦しみを受ける。そして長い苦しみの果てに、女の生涯はこのようなものであるという諦めがやって来る。女の一生は所詮うたかたの、かげろうのように儚いものである。こうしたあきらめの境地に達するには、すべてを宿世と見る宗教的なものへの縋りもあろうし、あるいはまた一人のに人間をふいに襲ってくる虚無的な悟りの瞬間もあろう。おそらく『蜻蛉日記』の作者も『更級日記』の作者も、こうした時、一夜思い立って筆を執ったに違いないのである。彼女らは書かずに居られなかったのである。――誰のためでもない。彼女ら自身のために。169p

 話は変わってアフター・ヒトラーを見た。戦後のドイツはナチスにより国土のすべてを破壊されて1000年前のドイツになった。ヒトラー亡き後のドイツの混乱は眼を覆うものがある。その腹いせはドイツ周辺国によるドイツ人への虐待。女性は焼け野原になったドイツ国内の戦後処理に駆り出される。ナチスの残骸もすべていなくなったわけではなく、74,5歳まで生き延びてひっそり暮らしたものもいたそうだ。街のあちこちで絞首刑やつるし上げなど殺戮される場面も映像に映る。大勢の前で裸にされた一人の女性が電柱にぶら下げられて、リンチを受け、上からドスンと地面に突き落とされる。どの場面もレア映像らしく、記録に残されている。

 戦後、ポツダムでの会議でスターリンとトルーマンなどが集まる。その際、スターリンはトルーマンをどこの田舎者かと馬鹿にする。その時トルーマンはメキシコでの原爆実験を試みると告げて実行する。これに敬服したスターリン。その後広島と長崎での原爆投下を知ってトルーマンを見下していたことに気付く。今夕はこの続きがある。

0 件のコメント:

コメントを投稿