2017年9月22日金曜日

『タイを知るための72章第2版』

 最近癖になりつつある習慣がある。それは野球を見ながら本を読むこと。とはいっても野球のテレビ観戦は音を消してみる。それでも野球に集中する時はこの限りではない。NHK・BSでのプロ野球中継は実況の主音声を副音声にできる。これもNHK総合の地デジではそれも不可能。嫌な人の実況や解説は耳障りで仕方がない。ということで音を消して本に集中。

 昨夜もそうだった。お蔭で昼過ぎから読んでいた『タイを知るための72章第2版』(綾部真雄編 明石書店、2014年)を読み終える。タイで目にした国王への喪に服す人々の忠誠心。これは国民一人一人のこころからの行為なのか、それとも国からの強制なのかそれが知りたかった。日本であれば昭和天皇亡き後、全国民が喪服を着て喪に服すことはなかった。はっきりとこの本にこのことが書いてあったわけではない。自分なりに読んでいくと多少なりともわかって来た。

★地方行幸と王室プロジェクトの導入という2本立ての柱は、プーミポン国王の慈悲深さを示す重要な活動であると認識されており、その遂行のために多くの寄付金が集まる。汗を流して自らの足で地方行幸する姿が、国民に身近な君主というイメージを作り出していると言えよう。地方行幸の際に撮影された御真影は、さまざまなメディアによって再生産され続けている。そこかしこに設置された看板で、映画上映前の国王賛歌とともに流れる映像で、毎日の王室ニュースで、そして学校教育で使用される教材書の写真で、否応なしに目にする。~「国民のために奉仕する国王」というイメージは存在している。~だがこれは同時に、誰も「第二のプーミポン国王」にはなれないであろうことを示唆している。47-48p

 「国民に身近な君主というイメージを作り出している」とあるように国王への喪に服す忠誠心の一部は政権側の圧力がいくらか入っているかもしれない。

 他にもタイには「タイはタイ(自由)でなければならない」というスローガンがあるらしい。タックシン元首相の政治的影響力排除のために一時的に軍の政治介入を示して先のスローガンを掲げ続けたという。しかし、「今後のタイ政治は、都市部住民だけでなく、農村部の人たちもタイ(自由)になることができるような状況を、国王の権威にも軍の政治介入にも頼ることなく作り出すという難しい課題に取り組まざるをえないであろう」とある。41p

 タイに出かける前にタイのトップの亡命騒ぎをテレビで知った。その際にも軍が介入している。タイは軍が政権を支持。その上に国王がいる。ということは前国王への喪に服す国民のとる態度は単に忠誠心だけにとどまらず少しは国からの強制力が働いているかもしれない。そういえば短期間のタイ滞在中、学校単位や職場や地域などの集団と思われる人々の参拝も目にした。所属する単位のトップの掛け声で出かける人がいるのかもしれない。

 それにしても今回は気になることを早く調べた。そして、旅の写真を早くもパソコンに取り込んだ。体調は今一歩風邪気味だけどやることは早い!どういっても来月には次の旅が待っている。ナニゴトも早めにしないと宿題が溜まりそうだ。

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