2017年5月22日月曜日

日曜美術館「見つめる眼 震える心 由一、劉生 ニッポンの写実画のゆくえ」を見る

 今回の旅に出かける前に偶然目にした日経新聞掲載のリアリズムのゆくえ展の記事。そこに出ていた高島野十郎の「早春」と「蝋燭」の絵。全国巡回中のこの絵は見られなくても高島の所蔵作品を多く所有する福岡県立美術館にいつか行こうと思った。それも旅の最後の博多で時間に余裕があり、迷わず美術館へ出かける。絵を見て満足して家に着く。

 昨日番組欄を見ると日曜美術館に「見つめる眼 震える心 由一、劉生 ニッポンの写実画のゆくえ」と題された番組がある。これには高島の名は記されていない。だが、写実画、に気を取られて放送を見ると高島の絵もあった。見るもの万人を惹きつけるといわれる写実画。皆が見てもわかりやすい点にあるのだろう。

 高橋由一や岸田劉生はよく知っている。昨夜のテレビには水野暁が出ていた。初めて知る人で以前、広島で見て感動した磯江毅とスペインで親交があった人らしい。道理で水野の絵も見るものを惹きつける。

 番組HPを見ると次のように書いてある。「今や誰もがスマートフォンで手軽に写真を楽しみ、テレビや映画にはCGがあふれている。こうした中、絵画で写実を極めると言う事にどのような意味があるのだろうか?名画『鮭』で知られる画家、高橋由一。『真に迫り妙に至る。』ことが絵画の本質であると喝破した。写実を極める事で、モノに潜む本質に到達すべきと言うのである。こうして始まった日本の写実画は、西洋の写実とは異なり、独自の進化を遂げ、その流れは今へと連なっている。バーチャルリアリティー全盛の現在、写実を描き続ける画家たち。なぜ写真でなくて絵画なのか?それは、絵を描くという行為そのものの意味をも問いかける」。

 写実絵画を描く人は孤高の画家と言われることがある。昨日、『高島野十郎 光と闇、魂の軌跡』という画集を図書館で入手した。分厚い本だが、どの絵も素晴らしく借りて読むのが申し訳ないほどだ。何でも気に入ったものは借りて読むのでなく購入すべきだろう。

 話は変わって、先日来から旅の写真をデジカメからパソコンに取り込んでいる。この頃のパソコンは容量が多くてすぐに取り込める。そして、これをブログの編集に取り込む。これはすべてではなく、一枚ずつ吟味する。ところがこれも何かの手違いで取り込む画像の順序が狂うことがある。この画像と日程表やメモで旅の記録を完成させる。どうにか画像を取り込んだのでこれから徐々に文を作成しよう。それにしても旅の疲れが今になって出るのか少々風邪気味。旅に出る前と同じように相変わらず鼻水が止まらない。

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