2015年1月23日金曜日

『耳を切り取った男』

美術講座の先生から借りた『耳を切り取った男』(小林英樹 NHK出版、2002年)を読んだ。ゴッホの耳の話、これにはゴーギャンがかかわっていた。以下は本の気になる個所の抜粋。

昨日はさっぱりしないお天気の中、自転車に乗ってプールへ行く。1キロ泳ぐ。泳いでいると、見知らぬ人からスイミング教室に入って泳ぎを習ったか、を聞かれる。話をすると家の近所の人だった。とはいっても全く見ず知らずの人。ただ家が近いだけ。

プールに浸かって泳がずに話しているといくら水温が高くても体が冷えそう。さっさと泳いでプールから出るのが理想。声を掛けられても長話は止めよう。それにしてもプールに響き渡る♪好きになった人♪などの演歌のリズム。これは泳ぎに合わない気がするけどどうなんだろう。

今日はこれから今年初めての美術講座を受けに西条へ。夜はこれまた今年初めての広島交響楽団定期演奏会が待っている。

※テオは、ゴーギャンの作品と交換にゴーギャンの借金の返済を引き受けた。…ゴーギャンにとってテオは将来を約束してくれる大切な画商であった。…最終的にゴーギャンは画商のテオの申し出を受けたのである。…ゴーギャンにとってゴッホとの共同生活に応じることは、あくまで自らの人生設計の一環としての第一歩というニュアンスが強かった。43-44p

※ゴッホは常に自分を刺激してくれ、お互いを高め合える人間を求めていた。ゴーギャンならうってつけだが、まさか、そんな話が舞い込むなど、考えてみたこともなかった。45p

※この作品(ひまわり)の誕生のきっかけは、もちろん南仏の陽光を受けて咲き乱れる向日葵の花とゴッホとの強烈な出会いであった。…運命的な出会いこそが感動的な場を作り上げる。57p

※ゴッホはとにかく自分が認められたいのだ。自分を理解してくれる人間は素晴らしいし、賢い。誰でもがそう思うように、ゴッホもゴーギャンもそう思った。そのような、よき理解者が一人いれば、人間は苦境や孤独に十分耐えられる。63p

※━生きているうちに実現しなくてもいい。…━そう思うと人生は気楽なものだ。…逆境はそれゆえ人の魂を磨く。67p

※創作は、フィクションであり、現実とは全く異なったひとつの真実であるということだ。重要なことは、どれだけ真実味があり説得力を有するかということでしかない。72p

※━高彩度の色の対比ばかりでは色彩は真に輝かない。補色を混色し、中間色に限りなく近づけること。88p

※ゴーギャンはポン・タバンから太い輪郭線で仕切る描法、クロワゾニズムという絵画理論を携えてやってきた。その描法がう浮世絵の単純に整理された画面と通じるものがあった関係で、ゴッホはゴーギャンに意気投合してしまい、一時的にゴーギャンの影響を強く受けた。98-99p

※肖像画の場合、興味の中心は人の顔であり、ゴッホの描きたいものは個と個の違いを超えて人間の存在そのもののもつ深く憂いを帯びた表情である。142p

※絵画は現実に根ざしながらも、日頃ぼんやりと目にしている現実を超えて輝かなければならない、ゴッホの信念はそこにあった。…美術市場の運動、シューレアリズムの源流は多くの画家たちの作品に見いだせるが、それらの中で最も示唆に富んでいるのは、グレコ、フェルメール、そしてゴッホである。157p

※多くの印象派の画家たちの中でも、この「狂気」を感じさせてくれるのはただゴッホひとりである。161p

※いまを見つめるには、いまこの時代の中で生き、迷い、悩み、苦しみながらもこの社会から脱却できずに生きている多くの人間を直視する以外にはない、そう思うんだ。…ゴッホは、ゴーギャンと話しているうちに、最後はいつもこんな興奮状態になってしまう。171p

※「ものを見て描く」というゴッホの主張は、、ゴーギャンの主張する「想像に基づく権威的な絵画」にすっぽり包まれているようにも見えるだけに、ゴーギャンは終始優位な気持ちで臨んでいられるはずだったが、個々のディテールの造形的凄さという点において、ゴッホはゴーギャンをしのいでいた。175p

※ゴッホはゴーギャンの繰り返し説く絵画論にいささか幼稚くさを感じたが、反論したい気持ちを抑えて、黙って模写を受容することにした。182p

※ゴッホのリアリズムとは現実の直視であり、そこから逃避しない姿勢の表れでもあった。それはリアリズムの原点に立ちながらも、過去のリアリズムや模倣の繰り返しではなく、十九世紀末に生きる人間の悲しき運命を背負ったリアリズムであった。191p

※浮世絵を評価しても、その神髄を見出し、自らの表現に生かせた印象派の画家は、ゴッホを除いて誰もいなかった。192p

※ぼくの友情や好意に応えられず、貴重な提案に耳を貸せないなら、そんな立派な耳はいらないだろう。いっそ、そんな耳なら取ってしまったらどうだ。(ゴーギャンは話す)205p

※ゴッホの耳を切ることから始まり、二枚の自画像で終える、一連の「完全なる行為」は、滞りなく遂行されたが、大きな話題を振りまき、世間を騒がせた割には、不思議なことに、この行為によって傷つけられた人間はいないのである。211p

※真理は道徳を凌駕する、ゴッホが取ったのは真理であった。217p

※ゴーギャンとゴッホの出会いと締めくくりにはいつでも向日葵の花がある。219p

※耳を切り取る行為がどこかでゴッホの表現に通じているかもしれないという期待からではなく、一人の人間が生きていく中で、耳を切り取るということの意味を考えてみたいと思ったからに過ぎない。(あとがき)

※新たな地平に立つには失敗はつきものだ。ゴッホがそれを教えてくれた。(あとがき)

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