年末から年始にかけて暇に任せて4枚ほどF6のスケッチ帳にスケッチをした。葉っぱの付いた大根、浮釣り木、根の生えたサツマイモ、葉っぱの付いた玉ねぎ。野菜は姉からもらったもの。
一昨日の日本画教室に持参して先生に見ていただく。これからは暇なとき、旅での写真をスケッチするようにアドバイスされる。
風景をスケッチできれば旅の楽しみも増しそう。
今日は午後から合唱へ。午前にあった合唱はしばらく午後からになった。朝に弱い。ましてや寒い季節。午後からでちょうどいい。今日も頑張って一日楽しく過ごそう!
以下は『日本人へ』(塩野七生 文芸春秋、2013年)の抜粋。サブタイトルは「危機からの脱出」。
表紙を開けるといきなりの言葉、「やらないで後悔するよりも、やって後悔するほうがずっとよい。」―ニコロ・マキャヴェッリ。
他にも3点ある。
「勝ちつづけながらも、一方では譲りつづけたのである。ローマが主導して成り立った国際秩序である。「バクス・ロマーナ」とは、この哲学の成果であった。」(「世界中が『中世』より」)
「指導者に求められる資質は次の五つである。知力。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。ユリウス・カエサルだけが、このすべてを持っていた。」(「遊びのすすめ」より)
「衆愚政とは、有権者の一人一人が以前よりは愚かになったがゆえに生じた現象ではなく、かえって有権者の一人一人が以前よりは声を高く上げ始めた結果ではなかったか。(「民主政と衆愚政」より)」
この3点をさらに細かく分けて文を進める。またいつものように気になる個所をメモしよう。
内定がもらえないあなたへ、として
「一会社が必要としていなくても、それは社会があなたを必要としていないということではないという、現実的で冷徹な信念。これらのことさえあれば、どうにかなりますよ。私でさえも、どうにかなってきたのだから。」67-68p
この言葉、内定云々とは関係ないモノとしても、なんとなく言われてみて安心する。短大を出て、学校から言われて決まっていた就職を断り、自分で探していた頃のことを思い出す。「どうにかなりますよ」は本当にそう。どうにかなるもの。その後は何においてもこれを実感。
「民主政体は、安定した中産階級のないところには確立しない、と言われる。ならば、圧制者の追放には成功しても、自らの意志で生産にはげむ健全な中産階級が確立していない社会に、民主的な政体は根づくことはできるのか。イラクでもアフガニスタンでも成功しなかった。それが、エジプトやリビアやチュニジアだと成功できるのだろうか。
私には圧制者を追放した後のこれらの国が、それ以前の部族社会にもどってしまうのではないかという気がしてならない。それとともに、部族社会こそがテロリズムの温床であったことも思い起こしながら。」78p
「サッカーにかぎらず、スポーツで闘争心を発散させているほうがずっとよい。医療殺人も起こらないだろうし、ホンモノの戦争だって起こりにくくなるだろう。人間には、気分がスカッとするときが必要なのだ。にもかかわらず、もはや政治家も経済人も有識者なる人々も、気分をスカッとさせてくれる言行をしないし、する能力もなさそうである。ならば、「スポーツ」を「バトル」と考え、「選手」ではなくて「戦士」と考え、やっちゃえ!と応援することで観客も「参戦」してはどうか。そのほうがずっと人間世界のためになるし、何よりもまず、幸福感なるシロモノに飽きることもなくなるだろう。」170-171p
昨年秋からにわかカープファンになった。これを読んで妙に納得。一時、韓流ブームが続いた。これには全く関心がなく、その人たちの気持ちがわからなかった。ところが、新聞に入っていたカープのフリーペーパーを見て一気にカープに目覚める。表紙を見てびっくり。野球選手でこんなにかわいい顔の人がいるのかと思った。堂林だった。よく見るとほかの選手もみなかわいかった。
何かに夢中になれるのも幸せなこと。今や若鯉のツイッターとブログに始まり、番組の動画アップを見て幸せな気分に浸っている。
「アベノミクスでもコンクリートでも何でもよい。日本の失業率が大幅に減ろうものなら、あらゆることが上手く行くようになるだろう。なぜなら、上手く行くには日本人の気分が明るくなる必要があるが、それも一人一人の自信から生まれるしかないのだから。」223p
「賢者は、歴史からも経験からも学ぶことができる人で、愚者は、歴史からも経験からも学ぶことができない人、と言い換えるべきである。なぜなら、歴史とは経験の集積にすぎないからである。
日本の政治家たちも、これならばやれるのでないか。アイロニーもユーモアも解さない人に対しても、歴史を押さえ経験を押さえたうえで簡潔に論理的に説くならば、見方だけでなく敵側に対しても説得力を持てるのではないかと思う。このやり方ならば、本質的に生まじめな、日本人に向いているのではないか、と。」228-229p
運動も美術も小さいころから好きではなかった。他に歴史もそうだった。それなのに今やこの3つが生活の大半を占めている。これは不思議。とはいっても一番の比重は音楽!
「もう二度とヨーロッパの国々の間では戦争をしないという高邁な理想のもとに設立されたヨーロッパ連合だが、その道筋となると簡単にはいかないのがますます明らかになっている。」230p
「EUのようなものはアジアでは成立しない、と思うようになった。ヨーロッパ人はすくなくとも、過去の戦争は自分たちにも責任があった、とは思っている。だが、アジア人は戦争を旧帝国主義国のせいだったと信じて疑わない。自分の過去に対して疑いを持たない人間は、不都合なことがあると、それを他人のせいにする。他者に責任を転嫁する生き方しか知らないできた人に、新しい一歩は絶対に踏み出せない。アジア連合ができたとしてもその目的は、二度とアジアでは戦争を起こさない、ということにはならないだろう。アジアでの連帯は経済上のことに留めておいたほうが無難だと思っている。」233-234p
「日本人も、歴史的には朝鮮半島が日本にとって常に、東に向かう中国の防波堤になってきたことを忘れてはいけないと思う。日本を中国から守ってきたのは、日本海と、時に吹いてくれる神風だけではなかったのだから。」240-241p
「宗教はアヘンである、とまでは言わない。しかし、政治家は、失政すると落選という形で責任をとらされるが、宗教者は、おまえたちの信心が足りなかったと言うだけで、責任は取らない。それで、信仰心が厚い人ほど、足りなかったと思って恐縮し、ますます神にすがることになる。つまり、狂信化する一方になる。
この想いで爆発しそうになっている国に、人道的という理由にしろ、しばらくはかかわりを持たないほうがよい。十字軍の再来と言われかねないからで、キリスト教国でもない日本は、静観していたほうがよい。世界には、善意だけでは処理不可能な問題が多いのです。」246-247p
「プレーボーイとは、少なく与え多くを取る能力に長じた人のことである。多く与えても少なくしか取れない人は、日本では「カモ」と言い、イタリアでは「ポッロ(にわとり)」と言う。比喩的には、馬鹿正直でお人よしで世間知らずの意味になるので、日本語もイタリア語もちがいはない。」236-237p
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