日本に帰る日、ベニスの空港に向かう途中、バスの車内で添乗員はツアーの参加者に最後の挨拶をされる。「今回ほど楽な仕事はありませんでした!」。この言葉を聞いたとき誰もが何かを感じたはず。何度か海外に出かけている。
しかし、こういう挨拶は初めてのことだった。旅のアンケート用紙を渡され、この添乗員を悪く書く人はいないだろうと思った。ちょっとした言葉の文(あや)か、それとも心からの言葉なのか、いずれにしてもいい人に思えた。
旅に出る前は何の予備知識も持たずに参加する。そのため、帰った後のブログのアップでわからないところを調べる作業が待っている。これも旅を思い出す楽しみ。今回、一番感じたことは食事のこと。社会主義国家だった影響なのか、どこへ行っても毎日、同じようなメニューがテーブルに並ぶ。これまで出かけた国ではなかったことだ。
クロアチアは昨年、EUに加盟。使用する通貨はクロアチア・クーネ。近いうち、これもユーロに代わるとか。そうなれば、いろんな面でクロアチアにも変化があることだろう。ともあれ、楽しかった9日間をブログで振り返ってみよう!
第1日目 5月13日(火)
今回の旅の集合時刻は遅い。添乗員から事前の電話で集合時刻の1時間前から搭乗手続き開始と聞く。広島駅17時12分発のぞみ48号に乗車。車内で以前スペインへご一緒した姉妹の妹さんから電話がかかる。新幹線の車内であるため、何度も電話が切れる。かけ直して関空へ向かっている旨、告げる。その後も今年からフルートを再開した人から携帯にメールが入る。2,3度メールのやり取りをする。この2件で眠気と緊張がほぐれる。
関空に早めに到着。夜も遅いので関空内はひっそりしている。搭乗手続きまで時間があるのでレストラン街に下りて、蕎麦をいただく。
添乗員と合流後、個人で搭乗手続き開始。最近はツアーといえどもこういうケースが多い。航空券を受取る際、係りから窓側か通路側のどちらがいいか聞かれる。こう聞かれるのも初めてのこと。通路側の座席にする。その後、座席シートを添乗員に知らせるように とのこと。だが、場所を移動したためどこに添乗員がいるかわからない。添乗員から声をかけられて知らせる。
先に搭乗ゲートを確認するためシャトルバスに乗ってゲートに向かう。数分の場所にあった。早すぎて空港内は暗くてひっそり。隣のゲートにいるよう係りから言われる。だが余りにも時間がある。再度、来た道を引き返す。しばらく免税店を覗いた後、再度、シャトルに乗る。ここで彦根城と大垣城の姉妹と出会う。関空からドバイまでのエミレーツ航空内では広島の親娘と隣り合わせになる。以後、旅の間中、この人たちに親切にしていただく。
23時40分 エミレーツ航空は予定通りの時刻で離陸。機内に入ると見慣れぬキャビンアテンダントの姿がある。アラブ風の帽子に白い布がアタマから下がっている。旅の間中、この姿を写真にとりたいと思った。願いは通じるもの、帰りのベニスの飛行機を降りる際、思い切ってその旨、告げると心安く応じてもらえた。これを聞いた姉妹の妹さんも日本に帰る機内でお願いする。今度は写真と共に帽子も被せてもらっている。なんでも言うに限る。キャビンアテンダントの写真をブログに…というとそれはダメだった。ここにお見せできなくて残念!
エミレーツ航空は初めて乗った。座席のTV画面も昨年乗った他の飛行機と比べてさらにバージョンアップ。タッチパネル式の画面だった。行きの機内では使用方法がわからなかったが、帰りはわかった。映画でも音楽でも何でもありの画面だった。
機内で夕食と朝食が出る。ところが、日本時間にすると夕飯は夜半の1時頃にあたる。飛行機に乗る前、蕎麦を食べている。そのため、ほとんど食べず。機内の座席はリクライニングになり、座席もスライドする。楽な気持ちになって座る。
第2日目 5月14日(水)晴れ 21度
2時半(現地時間。日本との時差5時間。これ以降、現地時間を表記)機内食の朝食が出る。お腹が空いておらず、ジュースとデザートをいただく。関空からドバイまでの飛行時間は約10時間30分。現地時間5時10分にドバイ着。
7時、機内で隣り合わせになった広島の親娘と知り合う。ベニスに行くトランジットまでの時間は約4時間半。この間を利用してドバイの空港でカフェラテを飲む。機内食をほとんど食べておらずお腹も空いてきて、持って降りたパンを食べる。いつの旅行でも非常食として機内のパンを持って降りる。これは正解だった。好みの食にありつけないときはパンのみで人は生きる!?
カフェでご一緒した母娘の娘さんは珈琲を飲みながら何をしていると思いきや、私の顔をスケッチブックに描いている。短時間の間にデッサンだけでなく色までもつけている。よく見るとはがき大のスケッチ帳、水筆、水彩絵の具、そしてパレットもある。話を聞くとお父様は油絵画家(ネットで日展の審査員もされていたと知る)。この娘さんはその血を受け継いで東京の美大で学ばれていた。
道理で絵もうまい!自分の顔が描かれた絵を見て思わず爆笑。
9時50分、シャトルバスに長く乗ってベニス行きの飛行機に搭乗。生暖かい風が吹いている。初めてドバイの空気を吸う。EK135便ベニス行きの機内ではスロベニアの新婚さんと隣り合わせ。7日間のハネムーンとか。お腹には9月に生まれる赤ちゃんもいて、男女の判別は解らないらしい。
この夫妻はスロベニア語、イタリア語、英語を話す。スペイン語は通じず、英語の方がよく通じた。この隣がいけなかった(?)。知っている外国語を駆使してずっと話した。興に乗じて機内で白ワインを飲む。これは翌日まで響く。以後、旅の間、アルコールを自粛。
長旅の機内で機内食が出た。ほとんど食べず、パンを非常食として持って帰る用意をしながら、スロベニアの人に“私は貧しい!”と英語で冗談を言う。すると機内食のクッキーなどをくれる。果ては奥さんのものも面白がってくれる。この様子を見ていたツアーの人に笑われてしまった。ツアーの間中、その言葉を口にして皆の笑いものになってしまった。
別れ際、スロベニアへ行くと話すと、泊まるホテルがスロベニアで最近できた一番いいホテルと教えてくれた。本当にいいホテルだった。
14時15分、ベニス着。気温21度。晴れ。ドバイとの時差は2時間。入国後、230キロ先のホテルまで4時間のバスの旅。これから帰国までの間、運転手のロビさんのお世話になる。日本を出てから乗った乗り物の時間はどれくらいだろう。一昼夜以上の時間を要している。
高速道の壁面 |
16時半 スロベニアの国境は丸い青の看板があるのみ。18時、スロベニア(SL)の入国スタンプを押印してもらう。車のマークだった。クロアチア(HR)の入国では女性の係りがバスに乗り込んでパスポートを検閲し押印する。飛行機のマークのスタンプだった。クロアチアの国のHRは“Hrvatska”(フラヴァツカ)の略。
ホテルはハプスブルク家のリゾート地として栄えたオパティアの街にある。目の前にはアドレア海があり、ホテルから歩いて行ける。バスの車内で運転手さんからミネラルウオーターを購入。1本1ユーロ(145円)。
アドレア海の透き通った水 |
第3日目 5月15日(木)曇り 17度
5時半起床。オパティアとは僧院の意で別荘の街。ホテルの前はアドレア海。モーニングコールよりも早めに起きて、海のそばまで行くと先客もいる。アドレア海をバックにして京都から参加した母娘に写真を撮ってもらう。海の水は透き通り、ゴミは一切ない。この日から水の美しさ、山の美しさ、他にも目に触れるものすべてが美しい、と感じる。45分くらい海のそばを散策して朝の気持ちいい空気を吸う。
ホテルすぐそばのアドレア海 |
バスの移動はオパティア→シベニクまで300キロ。バスは山の斜面とアドレア海の間を沿っていく。高速道路はよく整備され、樹木の生えていない石灰岩の海岸が続く。10時半、トイレ休憩。トイレは有料で5クーネ(日本円で100円)。アドレア海に面した海岸に行くと海の水がきれい。思わず石2個を拾う。
石といえば、以前、辺境の国に出かけたとき、自分自身のお土産として拾って帰ったもの。拾った石を花瓶に入れ、その中に10円硬貨と水を入れる。いつの間にかその中の石は拾った石とは思えないくらいきれいになる。今回、拾った石もそうして水に浸けよう。
アドレア海の水も石も本当にきれい!また、海辺にゴミがひとつもない。これはかなり国が環境美化に力を入れている!?そう思った。
10時50分、バスは出発。車内で添乗員は旧ユーゴスラビアの時代について話し始める。よく見ると自分の言葉でマイクを持って話している。数え切れないほどクロアチアに来ているとか。そのため歴史などすべて覚えているのだろう。
旧ユーゴスラビア時代は7から1までの数字で表されるという。それは以下のとおり。
7つの国境=イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア
6つの共和国=スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツエゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア
5つの民族=セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人
4つの言語=セルビア・クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語
3つの宗教=スロベニア人・クロアチア人は主にカトリック、セルビア人・モンテネグロ人マケドニア人は主に正教会、ボシュニャック人は主にイスラーム。
2つの文字=セルビア・クロアチア語はラテン文字とキリル文字の正書法。
1つの国=ユーゴスラビア
他にも調味料のBEGETA、クロアチア特産のチョコレート、クロアチアがネクタイの発祥地など教えてもらう。ネクタイはさすがにどなたもお土産にされなかったよう。BEGETAとチョコレートは皆さん、買われていた。
11時10分、コンビニで無料のトイレ休憩。高地のためか気温も9度。道の両側からは雪山が見える。コンビニに隣接するレストランや民芸品売り場には付近の山から捕獲したのだろうか、動物の剥製が展示してある。30分後バスは出発。外は寒く風も強い。
添乗員はクロアチアの有名人を話し始める。交流電流を発明したニコラ・テスラ、1906年にシャープペンシルを発明したペンカーラなど。バスの車内からは風力発電が見える。風が強く風力発電に適しているのだろう。石積みの風除けもある。気温は15度。
昼食はメイン料理がリゾット。サラダとリンゴもある。リゾットは量が多くて食べきれない。
14時10分、バスは出発し、20分でシベニクの旧市街到着。旧市街の城壁を見ると建物にまるでデザインのような“/”が見える。どうも建物が崩れないための対策らしい。日本でいえば耐震構造?
/の印は建物を補強する |
ちなみにゴシック様式とは尖塔アーチで建物の高さを強調し、建物の壁に大きな窓を開けて大量の光を取り入れ、そして柱を細くして堂内の空間を広く開けるために建物を外から支えるアーチや柱などの構造物が外側にせり出す。一方のルネッサンス様式はドーム型屋根、列柱、ペディメント(切り妻屋根の三角形の部分)が特徴。
旧市街を歩いていると建物の下部に大きな穴が開いている。これは犬、猫用の水のみ場。わざわざ動物用があるとは…。クロアチアの人々の優しさのあらわれ!?また昔は建物の柱を利用して長さを決め、メジャーとしたところもある。他にも城壁を利用した図書館もある。旧市街のトイレは3クーネ(60円)。
犬、猫の水飲み場 |
メジャーの基本となった柱 |
夕食はレストランでいただく。20時にホテル着。だが、ほとんど夕飯を食べていない。また、夜、飲むミネラルウオーターもない。ホテルのフロントで水を求めるとバーで買うようにとのこと。15クーネ(300円)だった。
21時に広島の理彩さんからホテルの部屋に電話がかかる。この親娘さんも私も夕飯後なのにお腹ぺこぺこ。これでは眠られない。理彩さんと2人で部屋を出てホテル内を歩いていると、ツアーの親娘に出会う。地下2階のレストランでピザとビールで食事をしたという。すぐに降りて大きなピザ1枚とビール1本を持ち帰り、理彩さん親子の部屋でおしゃべりしながら飲んで食べる。とても美味しかった!ちなみにピザは30クーネ(600円)、ビールは16クーネ(320円)。ということはビールとお水はほとんど同じ価格?
22時半まで長居をした。楽しかった。それでも部屋に帰って眠る前に朝、ホテルでとってきた小さい傷だらけのリンゴを啄ばむようにして食べる。ナイフがないので仕方ない。ひもじさ、を味わった夜になった。23時20分に就寝。
第4日目 5月16日(金)曇り 16度
前日が寒かったので、厚着をして部屋を出る。朝食を食べに行くが、食べたいものがない。ゆで卵とバナナが毎朝の食事となる。パンも固い。
9時、250キロ先のアドレア海沿岸最大の港町、スプリットに向けてバスは出発。車窓からはメキシコの企業が作ったセメント工場の太いパイプの橋が架かっている。初めて目にする光景だった。車内ではクロアチアの“お早う”は“ドブロ・ユートロ”と教わる。今回の旅では、団体行動ながらも大きな観光地では30分とか1時間の自由行動があった。その時は、集合場所などが記された手書きの地図が各自配られる。初めての経験でいいアイデアと思った。そのためか、32名のツアーなのに人数確認も余りなく、スムーズにことが運ぶ。
10時30分、スプリットのディオクレティアヌス宮殿跡に到着。ここは今から1700年前に造られ、7世紀にスラブ人の攻撃で崩壊。住民は宮殿の朽ちた資材などを活用して家や道路を再建。現在、宮殿跡の史跡群は1979年に世界遺産登録され、その周辺は市民の憩いの場となっている。
スプリットの散策では青銅の門から入り、列柱に囲まれた美しい中庭を通り2階に上がる。広場では少々年老いた男性の合唱団がアカペラで歌っている。これは「クラッパ」といわれ、クロアチアのここダルマチア地方に伝わる伝統音楽であり、無形文化財にも登録されている教会音楽。CD2枚で15ユーロ(100クーネ、2000円)。
アカペラで歌うクラッパ |
グルグーグルの像の前では大きな足の指を触って願掛けをする。訪問客の願掛けが耐えないためか親指はピカピカに光っていた。
城内を一通り観光後はフリータイム。大聖堂の鐘楼にも登った。この階段の一段が高すぎる。てっぺんに上がると風が強い。だが眺めは最高。旅で知りあった理彩さんは若いだけあって2度も鐘楼に登る。降りると狭い路地など見て歩く。その後、さくらんぼを買った人がいて皆で立ち止まって食べる。美味だった。
12時50分、昼食はシーフードのパスタ。初めて全部食べた。14時20分 バスはドブロブニクへ向けて出発。ここでクロアチアのお金の説明がある。クロアチアの通貨、クーネは動物のテンの意とか。コインにはテンが描かれている。クーナの下の通貨のリーパは菩提樹の意。
皆、お昼が美味しかったのか雨も振り出して、バスの車内でお昼寝タイム。その前に添乗員からクロアチアがネクタイ発祥の地と聞く。クロアチア兵がルイ13世を守る為、フランスを訪れた際、首に巻いていたスカーフをルイ14世が気に入る。クロアチア兵とはクロアチア語でクラバット(cravat)。それ以来、クラバットがネクタイの意となる。
クロアチアはオリーブオイルの産地でもある。これには一番絞り、二番絞り、三番絞りとあり、上からエキスト・ラバージン・オイル、バージン・オイル、ピュア・オイルになる。他にもワインの産地でもある。ティンガチがいいらしい。だが、ワインは買わなかった。
14時25分、トイレ休憩でボスニア・ヘルツエゴビナへ入る。その休憩所から遠くを見るとボスニアの内戦の記念塔が見える。ボスニアの貨幣マルカは1マルク=70円。品物を買ってもお金の換算をするのが大変。持っている現地通貨クーネを使い切るために換算しながら品物を購入。現地通貨は食事の飲み物代に必要で、お土産などはユーロが使用可能。ドルも大丈夫だった。クロアチア通貨クーネは3千円両替。後はユーロとドルを使用する。貨幣以外では車はお昼であってもライト点灯が義務付けられている。
内戦後の供養塔 |
ボスニア入国後、30分ほどでトイレ休憩。ここはトイレ休憩とは名ばかりで皆、添乗員から教えてもらったクロアチア特産の調味料のVEGETAを購入。袋入りと瓶入りを買うが、かさばるので袋入りを多くする。クーネを使い切り、足りないところはドルで購入。他にもチョコレートなど購入。
16時25分、再度クロアチアへ入国。クロアチアは日本人にかなり友好的とか。そのため運転手さんがバスから「日本人」というだけで入国はOKだった。
18時半、バスは一時停車してドブロブニクの旧市街を眺める。ドブロブニクはアドレア海沿岸の小さな町で“アドレア海の真珠”といわれる観光地。ここからロクロム島や行き交うフェリーなどが見える。
くねくね道をバスは行く |
フォークロアショー |
ホテルはドブロブニク・パレス。いいホテルだった。ホテルといえば前日と、前々日のホテルは窓がほとんど開閉できず、窓の外側には柵が張り巡らされている。これも社会主義時代の副産物だろうか。23時30分就寝。
第5日目 5月17日(土)曇りのち晴れ 18度
朝の外気温11度。泊まったホテルはドブロブニク・パレス。いいホテルと思った。ガイドブックを見てもやっぱり最高級ホテルとある。全室バルコニーも着いており、アドレア海が目の前に見える。また朝食も美味しい。ここドブロブニクはクロアチアの最南端に位置する。“アドレア海の真珠”と呼ばれるクロアチアきっての観光地らしい。
8時45分にバスは出発し、412mほどの高さのスルジ山にケーブルカーで登る。そこから旧市街を見下ろす。旧市街はオレンジ色の屋根瓦の家々がぎっしりと並び、増改築を重ねた城壁で囲まれている。この旧市街は1979年にユネスコの世界遺産に登録される。1991年のクロアチアの内戦の際には旧ユーゴスラビア連邦軍の攻撃にあっている。ケーブルカーも攻撃され、2010年に再建される。山頂の十字架はナポレオン軍が贈ったとされる。だが、現在の十字架は内戦後に立て直される。
山頂から見下ろすドブロブニク市街 |
ケーブルカーから見下ろすロクロム島 |
ネクタイのお店 |
プリッツア通りほか観光後は自由行動となる。城壁を一周するコースを観光。入場料@100クーネ(2000円)。日本から持参したクレジットカードが使えず、同行者にドルかユーロか忘れたがどちらかで支払って、チケットを購入。カードも使用できなくては価値がない。出かける旅先の使用可能なカードの確認が大事と知る。
城壁を散策中、いろんな国の人と写真を撮り、カタコトの言葉でしゃべった。同行者に韓流スター大好き人間がいる。中国の万里の長城ほどではないけれど、それを縮小したような城壁を一周する遊歩道になっている。だが、写真を撮るたび、外国の人たちと話が盛り上がる。なかなか前に進めない。行き交う韓国の旅人とも知っているハングルが飛び交う。
城壁周辺を散策 |
城壁を歩いているとオレンジの屋根の上にある煙突を目にする。いろんな飾りの煙突で雨よけになっているらしい。城壁を一周するといっても自由時間の1時間はすぐになくなる。見下ろすときれいなアドレア海に浮かぶロクロム島や海上を行き交うフェリーなどが見える。
屋根の飾り物 |
城壁から見下ろす市街地 |
食事前の集合場所ではかわいい赤ちゃんがツアー客のアイドルになる。物怖じしない赤ちゃんで母親だろうか、その人の歌に合わせて赤ちゃんはリズムを取って踊りだす。なんともかわいい赤ちゃんだった。
元気に踊りだして観光客のアイドルに |
その後バスは北上して再度、ボスニア・ヘルツエゴビナを通過。そして370キロ先のナダールへ向かう。車内では添乗員からぶどうで作るバルサミコスの話を聞く。テーブルには赤が多いとか。
トイレ休憩を挟んでバスは再度、出発。車内から道路横に黄色い帽子を被ったような標識柱を同じ間隔で目にする。これはガス管が通っている印とか。まるで日本の高速道で見る雪の深さを測る赤い棒のように立ててある。
ラベンダーとガス標識 |
バスの車窓から見える景色 |
高速道を抜けたあたりで新婚さんの祝福を見る。クロアチアでは有名地で記念写真を撮った後、婚姻届を出して披露宴となる。
19時 ザダール着。夕食はホテルでバイキング。21時に夕食が終わると彦根城と大垣城のお姫様の姉妹の部屋へ伺う。30分くらい雑談して23時就寝。ところが、ホテルの外だろうか、ギターの音か
何か気になって寝付けず。
第6日目 5月18日(日)曇りのち晴れ 20度
6時50分 朝食に行こうとして部屋を出ると部屋にカードキーを置いたままにしていた。フロントに行き、知っている言葉を話してカードキーを再発行してもらう。朝食はジュース2杯、珈琲、ヨーグルト、ゆで卵をいただく。それにしても野菜不足でカロリー不足。
朝食後、ホテル前の海岸を散策。相変わらず海水はきれい。8時にバスが出発するが危うくセーフ。朝食に出かける時、服を着ていて時計のリューズに引っかかる。そんなことも梅雨知らず行動する。だが、時間が経たない。おかしい、と思ったら時計が動いていなかった。
バスはプリトビチェ湖畔国立公園までの130キロを走行。この辺りから遠くの山々に雪山が続く。途中、ひとつだけ岩山が見える。9時5分、バスの右手には陸軍の施設があり、鉄条網が張り巡らされている。外気温7度。バス道路の側辺りを見るとどこも水たまりができている。一昨日、セルビアで降った大雨のため、まるで湖のように見える。こういうことはガイドもドライバーも初めてのことだとか。
9時40分、プリトビチェ湖畔国立公園到着。バスから下りて散策中は寒い!だが、次第に慣れて気持よくなる。この公園には大小16の湖と92箇所の滝がある。1979年にユネスコの世界遺産に登録される。
公園入口にある世界遺産登録の認証 |
公園内の観光案内板 |
見事な滝 |
観光案内標識 |
湖畔を流れる川はエメラルド・グリーン。それは森の中を縫うように蛇行して静かに流れる。途中には落差78メートルの滝(ヴェリキ・スラップといわれる)もある。16の湖の最も高い標高は640メートル、低いところで500メートル。すべてを歩くには時間を要する。
透き通った水 |
きれいな水には虹鱒が泳ぐ |
水がきれい! |
濁流で前に進めず |
16時半にバスはザグレブの新市街到着。聖母マリア被昇天大聖堂を見学。ここは文字やフレスコ画の基となっている。そして4人の天使をマリアの足元においている。この4人は布施、信頼、純潔、謙虚をあらわすとか。途中、昔からのガス灯が建っている。市場、血の橋、石の門、聖マルコ教会を見学。
今も使用のガス灯 |
交流電流の発明者ニコラ・テスラ |
タイル屋根の市庁舎 |
ハートのグッズを売る少女 |
ケーブルカー(5クーナ)で上がると眼にしたのはロトルシュチャク塔。13世紀に建てられた見張り塔らしく、見晴らしはよい。12時になると大砲がならされる。
観光中、新婚さんが花嫁、花婿衣装を着て歩いて通る。イエラチッチ広場には将軍の像がある。ここで30分自由行動。
18時、バスは出発。20時30分、レストランで夕食。大きなハムとチーズ入りのとんかつ2枚が出る。だが、塩辛い。他にスープ、パン、サラダ。
第7日目 5月19日(月)見事な快晴 25度
7時、朝食をいただきにレストランへ行く。そこで眼が合った男性の外国人から突然「ニイハオ?」と挨拶される。「中国人でなく日本人」と返答する。続けて「どこから?」と聞くと「オーストリア、モーツアルト」の名が出る。思わず「音楽が好き?」、「フルートを吹く」と話すと相手は「シュワルツネッガー」という。多分、オーストリアから来たといいたかったのだろう。カタコトの英語で話すので会話もしどろもどろ。
ホテルのエレベータが混んでいて7階の部屋まで歩いて帰る。当然下りも歩く。きつかった!このホテル、建物は高層だが、隣の部屋の音がすべて聞こえる。いいホテルと悪いホテルの違いはこの辺にもある!?
8時にバスは出発し、260キロ先のブレット湖観光に向かう。30分ほどするとクロアチアからスロベニア国境入り口になる。15分後にスロベニアへ入国。さらに30分行くとトイレ休憩。スロベニアに入るとクロアチアよりも土地が肥沃なのか緑豊かに感じられる。北に広がるユリアン・アルプスを見渡すと樹木も多い。このアルプスの山あいにあるブレッド湖はスロベニアを代表する観光地。
スロベニアの首都リュブリヤーナは日本のアニメのスタジオ・ジブリと関係あるらしく、添乗員は移動のバス車内でそれについて語り始める。10時35分、カルスト地方を通過。ここはカルスト台地といわれるように石灰岩の町らしい。バスでしばらく行くと山のいただきには雪が見える。
11時15分、ブラッド湖到着。気温20度。この湖はまるで絵のようにすばらしい!お天気もみごとに晴れ渡り気分も爽快。エメラルド・グリーンに輝く湖面には、ユリアン・アルプスの雪山も映し出される。湖に浮かぶ小島まで小船に乗ってたどり着く。この小島に行く途中、小船から元大統領チトーの別荘が見える。今はホテルとなっている。避暑地として利用されるのだろう。
ツアー客は2台に分乗して対岸の小島まで乗船 |
小島に建つ教会 |
ブレッド湖は東西2120m、南北1380m、周囲は約6キロと大きさがある。小島の上にブレッド湖のシンボル的存在の教会がある。この周りには散策道も整備され、一人でグルッと歩いてみた。どこからみても湖はきれい!吸い込まれそうになるくらいエメラルド・グリーンがきれい!
ディナル・アルプスの雪山 |
エメラルド・グリーの水 |
島からの風景 |
エメラルドグリーンの水 |
この鐘には言い伝えがあった。ある若い女性が小さな鐘を湖に投げて、最愛の夫の蘇生を願った。だが、その願いは叶わず、その女性は尼僧となり、修道院で一生を終える。これを聞いた、時のローマ教王は、人々の願いを永遠に響かせるため、教会に鐘を寄贈したという。 12時に帰りのボートに乗る。所変わればボートのこぎ方も変わる。日本ではのこぎりもボートでも何でも“引く”。ところがクロアチアは“押す”。
12時35分、ティボリ公園到着。造ったのはスイス人らしく療養のための公園だったとか。この近くでワインを試飲。アイスワインのように美味だった。だが購入せず。首都リュブリヤーナ観光。2時間後にバスは出発。 15時、お店でトイレ休憩。その際、蜂蜜の容器が余りにもかわいくて2個購入。@4.49ユーロ。
観光馬車のお通り |
15時20分、新市街観光。気温25度。聖フランシスコ教会に入ると天井に施された彩色がすばらしい。コングレス広場にはリビュリヤーナ大学の本部がある。この広場ではにぎやかな催しが繰り広げられていた。他にもスロベニア交響楽団の本部がある。建物には建設の年も刻まれている。
音楽ホール |
愛の鍵は何処も同じ? |
市のシンボル |
第8・9日目 5月20(火)・21日(水)晴れ
朝食は立派で驚くばかり。今回の旅でホテルの良さと食べ物の良さは比例すると知る。 9時、リュブリヤーナからベニスの飛行場まで245キロのバスの旅が始まる。見納めとなる雪をいただいたアルプス山脈を眺める。
10時45分、イタリアに入る。トイレ休憩後バスは行く。13時半、遅めのお昼をいただく。イカ墨のパスタ、サラダ、海老のてんぷらみたいなものをいただく。スロベニアとイタリアは隣国同士。たったこれだけの違いで何と料理の美味しいことか。本当に美味しかった。すべていただく。
昼食後、ベニスの空港へ。ベニスからドバイの空港でトランジット。ドバイの気温33度。この空港で折り紙を教えてもらう時間まで自由行動。広い空港内をふらつき、お水を購入。このお水の容器がまるで化粧品の化粧水のよう。3ドルだった。この容器はお土産として家に持ち帰る。
ドバイの空港で鶴の扇という折り紙を教えていただく。このきっかけは教えてくださる人がどこかのガイドにプレゼントされたのを見たのに始まる。どうしても教わりたいと思った。教わる時間も深夜(飛行機の離陸が午前3時なのでかなりの深夜になる)なので、疲れている。座る椅子もない。空港内の荷物置き場を2つ占領してにわかテーブルにして教わる。楽しかった!そばでは不思議そうに現地の人が見ている。
折り鶴 |
旅の途中、ブログに投稿すると話す。すると道中余りお話をしなかった人から「ブログ、見るわね!」と元気をなくした機内で声をかけてくださる。ありがたかった。やっと、ブログを投稿できそう。本当に楽しい旅でした!ありがとうございました。またいつの日か旅の空でお会いしましょう!
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