2014年6月26日木曜日

『エスカレータ人間』―新思考の道―

昨日のブログの追記。おととい発表会のための全体合奏のパート毎の録音されたCDをいただいく。貰ったからにはしっかり聞いて練習しなくてはいけない。CD、ありがとうございました!

梅雨の晴れ間、少しずつ家のなかを片付ける。昨日は2階に上がって窓を開けて掃除する。主のいない部屋は殺風景。でも、年に数度の掃除が待っている。真夏になるまでに少しずつ家のなかを片付ける。だが、はかどらない。しまいには捨てればいい!と思ってしまう。

その合間に本を読む。著者の本はいつ読んでも歯切れがいい。そしていつも読んだあと思う。叶うものならお目にかってお話が聞きたい、と。

外山滋比古『エスカレータ人間』―新思考の道―(芸術新聞社、2013年)を読んだ。以下はいつもの如く、気に入った箇所を抜粋したもの。

*トマス・カーライルというのは明治・大正の日本人が親しんだイギリスの文人だが、「経験は最良の教師である。ただし月謝がひどく高い」という名文句を残した。…経験が大切で、“月謝が高い”というのは、つらく、苦しい(経験)ということである。38p

* 一度乗ったエスカレーター、途中で乗り換えるべきではない、危険である、という感覚は消えていない。…学者だけでなく、一業に徹する人は傍から見るとどこかおかしい。役者バカがあり、“先生といわれるほどのバカ”が多くなる。純粋すぎるのは考え者、多少、不純なところに人間味がある。清濁併せ呑む人間が大きくなる。二股かけるのは不純ではない。ときどきわき道へそれるのは、人生を豊かにする。70-71p

* 「田舎の学問より京の昼寝」という古いことわざがある。…大学ですこしばかり勉強したくらいでは、京の昼寝はおろか、田舎の学問にも及ばない。田舎の学問は独学である。…独学の足らざるところを指摘した庶民の知恵である。都、田舎を問わず、学問というような浮世ばなれしたことをする人間は、そういう生活の知恵を知らない。だから学問というものが大成しないのである。…知は孤立をきらい、交流を欲するらしい。エスカレーターから降りてみんなで歩くのがよいのである。84-89p

* 同行まことにすくなく、ときどき不安になるが、誠実に努力していれば少なくとも新しい知へ到達するように考えている。その点、はなはだ楽天的である。ありがたいことに、思考の道には停年がないらしく、いつまでたっても、思考は新鮮味を失わない。95p

* 実際の社会にとって、有用なのは知識の道である。思考の道は、当面、不要不急のこととしてなおざりにされることが多いのは是非もない。ただ、大困難を乗り切るのは思考の道であることを認めたほうがよいだろう。97p

* 生活というと、衣食住のことを連想して、知的でないように思うのは古い考えである。もっとも大切なのは、頭をはたらかせ、頭をみがきながら日々を送るのが、生活である。教育、学校はそのことを知らずに、記憶による知識の習得に過大な信頼を置いてきた。そのため成績優秀なものがしばしば思考力、生活力に欠けるという結果をもたらした。機械的秀才では本ものの優秀な機械に勝つことができない。なによりも考える力をつけることである。知識エスカレーターにのっている人間にとってこれはかなり困難なことである。エスカレーターから降りることが口で言うほど容易ではないからである。…コンピューターは人間より学習がうまい。…相変わらず生活をすてて知識エスカレーターで“人材”育成をしている。…知識エスカレーターは博学多識ながら思考力を欠く“何でも知っているバカ”をエリートとして世に送り出した。…知識横行のかげで、思考は声も立てずに泣いてきたのが近代、現代である。その知識の安眠をコンピューターが打ち破ろうとしている。150-153p

* 自由思考はいかなる拘束も受けない。無から有を生ずる思考である。メタ思考(後段思考・形而上思考)が本当の思考である。具体的思考において、人間は機械におくれをとるところだんだん多くなってきたが、メタ思考については、当分の間、コンピューターを寄せつけないとされる。…人間らしい生活をしていて、その間にとび出してくるインスピレーションをもとにするのがメタ思考である。…歩きながらおのずと涌き出る思考はメタ思考である。…よく眠った朝、目覚める前の夢見心地のひとときがメタ思考である。…生活はひとりだけでは成立しない。…やはり友が必要である。なるべく違った生活をしている人と交わることが望ましい。…ときどきあつまって浮世ばなれた、おしゃべりをする。少しはものを食べてもいいが、話がごちそうである。談論風発、われを忘れ、時間を忘れていると、頭が自由に働き、仲間のなに気ないことばをヒントに、セレンディピティ(思ってもみないものの偶然の発見)をおこすことができる。メタ思考の道は、そういう友人との交流の中にあるように思われる。これはおいそれと機械がまねることができない。154-157p

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