2013年12月5日木曜日

旬の人

昨日は放送作家であり、小説家の百田尚樹氏の講演会に出かける。

当日、話を聞くまで講演者がどんな人かも知らない。2、3日前の地元紙に今年のベストセラー作家の順位が掲載された。どの本かは知らないが第4位で100万部売れたと書いてある。講演のタイトルは「生きるということ」。主催者が病院協会だからそのタイトルもうなづける。 

昨日はオケ・ピット席のすぐ後で講演を聞く。席を探していると通路から1つ奥の見ず知らずの人から通路側に座るよう親切に声をかけられる。コンサートでいえばS席?ありがたかった。

講演者の百田氏は57歳。50歳で人生について考える。放送作家で活躍するが、ある番組で94歳のアマチュアマジシャンがTVに登場する。その人は手が震えながらも必死でマジックをする。この模様はYOU TUBEで世界の最強のマジシャンで見られるらしい。

マジシャンは88歳で整体師の資格を取得。百田は50歳で生き方の方向転換を考える。昔でいえば「人生50年」。50歳は遅すぎる!?ところがマジシャンは88歳で資格に挑戦。それを知って小説家を志す。

本のタイトルは『永遠の〇(ゼロ)』。

百田は大正生まれの両親に育てられる。その時代の人は戦争経験者。だが子供達には戦争体験を語っても、孫達には語らない。いつの日か、戦争のことも忘れられてしまうと危惧する。

そう気付くと義務として本を書くことを決意。

百田は2年前の大震災で書くことのスランプに陥る。その頃、出光興産の創業者、出光佐三の日章丸事件の話を作家仲間から聞く。だが、その事件がどういうことかさっぱりわからない。人に会うたび、知っているか尋ねるが何十人と聞いても知っている人はいない。

この話を聞いた百田は講談社の加藤編集局長に会う。その話をすると局長はその資料(史料)をダンボール一箱分送ってくれたという。中を読んで涙があふれ出す。この編集長は当時、週刊誌の編集長で飛ぶ鳥を落とす勢いがあったとか。ところがそれも訴訟に発展して負けが続く。だが、この編集者は、週刊誌などの袋とじのアイデアを出した人として有名らしい。

その編集局長の送ってくれた資料(史料)を見て『海賊と呼ばれた男』を書く。これが何と400万部のベストセラー。すべては口コミから売れ出す。

今年の本屋大賞を受賞。

出光創業者の佐三はその時60歳。日本が満州などを開拓し、そこで事業を展開。戦争に負けると成功体験もすべては水の泡。外国での事業はすべて放棄した。

全財産を失った出光は外国の自社の従業員を誰一人首切りしなかった。私有財産を投げ出し、ある一定額を従業員に渡す。

時はまさに戦後2日たった1945年8月17日。

従業員を前にして出光は★愚痴を言うな!★直ちに建設にかかれ、と話す。それもあって従業員はほとんど辞めなかった。その後、出光興産は日章丸事件を契機に大会社へとなっていく。

これは日本の建て直しとなる。当時日本は東京も大阪も焼け野原となる。広島と長崎は原爆で焼け野原。最貧国となり、戦争で300万人の人も亡くなる。

ところがその19年後、東京オリンピック、新幹線開通と日本は大きな飛躍を遂げる。その底辺には百田に言わせると大正時代の人々の力があったという。

この大正時代の人々は全部で1340万人。うち、200万人は戦争で亡くなる。そして大正生まれの人々は人のために生きてきた偉大な世代であり、不幸な世代であるという。

こういう大正時代を生きた人々、そして戦争から生きて還った人々が戦後の日本を立て直した。

我が家の両親も共に大正生まれ。苦しかった生活は決して子供達には話したことはない。だが、大変な時代を生きていた・・・。

昨日の話を聞いて講演者の本を読もうと思った。ところが図書館で予約を入れるとこれまでにない予約数で830人待ち。

まだまだ本は売れているらしい。まさに百田氏は旬の人だ。話が上手い!いい講演会だった。

昨夜は気をよくして年賀状を作成しようとする。ところが、何とプリンタ様の不機嫌なこと。日を越して寝ることはないのに夜中になってもいい具合にならない。途中、友人から電話があり日本画のモチーフとして赤い葉っぱつきの大根を持参してくれるという。

先日は、たまねぎの葉っぱの着いたものをもらう。いつも題材に気を使ってもらう。あり難い!

プリンタ様の不機嫌もうなづける。プリンタは年賀状で使うことぐらい。家での印刷は諦めてこれから業者に印刷をお願いしに行こう。

今日も一日元気で楽しく!

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