今朝は近代美術の講座を受けに西条へ行く。今季初めて手が冷たいと感じる。気温の低さとともに、風の強さもあってそう感じるのかもしれない。
今日は「抽象と表現」とレジュメにある。前回に続いて今回もシャガール。いつもの如く習ったことをブログで端的に表現できそうにない。
現在、展覧中の作品カタログを先生から借りる。それを見れば少しは今日習ったことを思い出す?無理かも。ただ、タブラ・ラサのキーワードを初めて知る。
タブラ・ラサとは「白紙」の意で人間は生まれた時は白紙であるという。それに感覚が打ち込まれて観念が生まれる。シャガールの絵には頭がひっくり返っている絵がある。記憶や思い出が重力から解放された世界がそうらしい。このような絵を描いたシャガールは印象派から抽象へと表現する。
講座を終えると同い年3人で食事に行く。和風レストランで市内とは比べられないほどゆったりしたお店だった。そこで何月生まれかを聞かれる。こう聞かれる度、一言余計なことを付けくわえる。
知ってる人は知っていること。ブログに書くのは初めてかもしれない。
いつも書いていることだが、小さい頃、体が弱かった。とはいっても自分自身、その当時の記憶はない。
弱かったのは生まれてから幼稚園くらいまでのこと。両親は2月生まれの体の弱い娘を4月生まれの人と同じ学年に、と考えた。しかし、小学校入学で法律上それは不可能。両親は入学を遅らせる証明を書いてくれる病院を探しまわったと聞いている。
そういうことは梅雨知らず、小学校に入学。一日も休まず元気に通った。この事実を知ったのは中学生になったとき。
別にそれを知ってどうこう驚くこともなかった。だが、人よりも1年遅れているとの自覚はあった。
運動が出来なかったのは両親の考えにあった。運動をしないように学校に話をしていたようだった。それも中学生になってからは運動に参加した。だが、鈍かった。
今でも体が強いとは思っていない。そのためか、意識しなくてもよく眠る。その癖は今も変わらない。
その鈍かったモノが、昨日も泳ぎに行き、1キロ泳ぐ。泳げる嬉しさは半端ではない。
昨日は午後から泳ぎに出かけたため人出が多い。仕方なく、浅いプールで泳ぐ。一人で泳いでいると知らないおっさんがもっと頭を低く、と偉そうに言い出す。どういう風に?と聞くとおっさんが見本を示す。だが、頭は低くなっていない。そう告げると、そばにいた指導員に泳ぎを見てもらえと、また偉そうに言う。
若い指導員の前で数メートル、クロールで泳ぐとやはり、頭が高い、力を抜いて、息も楽にして、と教わる。息については25メートル泳がなかったから息継ぎが出来ないと思われたようだ。
後で、見本として指導員にどれくらい頭を水に浸ければいいのか上から抑えてもらえばよかった、と思った。教えてもらっていると顔見知りの人と出会う。その人は泳ぎが上手い。
浅いプールの中で井戸端会議が始まる。泳がないと体が冷えてくる。話はやめて深いところで最後に一往復泳いで昨日は終わる。
長々とブログに投稿していたらあっという間に夕方になる。小さい頃はどうであれ、今はともあれ元気。そう思えば何も隠すこともない。
今日ももうちょっと残っている。明日からまたハードな日々が続く。健康には気をつけよう!
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