先週の土曜日、講演を聞きに松江へ行く。講演のタイトルは「いにしえの日本人のこころ」。講演者は中西進氏。
中西氏はもらった資料によると古典文学研究者で、万葉文化館館長。当然万葉集にも詳しい。講演内容は以下の3点から話を進める。
1、いにしえの日本人の考え方
2、「こと」への重視
3、人間と自然との関係
一つ目の「いにしえの日本人の考え方」は万葉集の「たまきわるいのち」から進める。いにしえの人は「無限」という永遠の概念を持ち、またそれを信頼していた。「たまきわまる」とは「魂極まる」であり、霊魂が極まる命。それは「永遠」に近づく。
「極まる」でなく「極める」とは即ち到達。これは「終える」という終着点。だが「極まる」は「永遠」であり、「無限」となる。
では「たまきわまるいのち」の「命」とは何か。
学校教育では9割は心豊かな人間を育て、1割は「賢い人」を育てる。「命」は生まれてから死ぬまでを命とする。だが「命」とは命を持った生命体を超えたものを中西氏は「命」とする。即ち、「命」とは生命を輝かせるものであり、永遠のものである。
では「こころ」とは何か。日本人はコロコロと丸いものを「心」とした。多面を削ると球になり、丸くなる。それが「こころ」。無限を信じていた、いにしえの日本人。それは「こころ」にあった。
2つ目の「こと」への重視。いにしえの日本人は日本語の「こと」はことば、ことがらを同じと考えていた。「あきらめる」を取り上げて「窮すれば通ず」が「あきらめる」。学ぶことは幸せを手に入れる手段。その意味で氏は「幸福大学」を作りたいという。
幸福について「花が咲く状態」が拡がることがさいわいであり、こころに花が一杯咲くことが幸福。
「額」とはひたい、ひたすら、まっすぐで日本人は7世紀に「額」=「前頭葉」を発見する。これは神社の前で「額ずく」ことであり、日本人の信仰心である。ということは神社に参っても「額ずく」だけで、お賽銭を上げなくてよい。神社に額ずくとき日本人は額ずくだけで言葉を発しない。だから「祈る」「祝う」の言葉とは違う「詣でる」になる。
「恩」について「みたまのふゆ(恩頼)」の「ふゆ」の中国語「恩頼」からきており「御霊が触れること」。「恩がある」の「恩」は私のことをいつも思っていることば、ことがら。この「ことがら」を重視して「ことば」がある。
3つ目の人間と自然との関係は人間と自然との契りであり、契りとは木と木をつなぐことからきている。「こと」と「ことがら」の関係が契り。
日本人は自然と一体となって生活している。アジア文明を語るとは日本を語ることである。日本はアジアのファイナルであり、アジア文明を完成させた。中国は頭脳に頼る文明であり、その中国の海岸線の2倍が日本の海岸線にあたる。即ち日本は海に囲まれ海岸線が一番長い国。そのために外国文化の影響を一番受けている。
ここまで聞いてあいにく個人的な時間切れとなる。結論を聞かずしてブログ投稿とは・・・。申し訳ない。
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