歯科へは長く通っている。いつまで行くのだろうと思ってしまう。長く通えなかったことが今になって長引く結果となる。それも仕方ない。
歯科へ行く前、これまで習ったスペイン語のノートをきれいに書き直す。本来ならば習う都度すればいいのだが、それも出来ず今になってしまった。こんなことをしていると時間はあっという間に過ぎていく。
午後は幼馴染が遊びに来る。相変わらず他愛ないことをしゃべっているとこれまたすぐに時間が過ぎる。
図書館からは予約確保のメールが入る。以前だったらすぐに本を受け取りに行っていた。ところが最近は本を読む暇がない。それでも今日は先日講演を聞いた加藤嘉一の本が3冊も確保されたとかですぐに受け取りに行く。明日からJRの中で読むことにしよう。
本といえば先日『梅棹忠夫のことば』(梅棹忠夫、編者小長谷有紀 河出書房新社、2011年)を読んだ。この本の中で梅棹は「家庭内の雑誌や新聞の発行、というようなこともおこなわれるようになるだろう。小説をはじめとする文芸の運命も、そのあたりとかかわりあっていると思う。文芸の究極形態は、読者を予想せず、自分が自分に向けてかくということになるのではないだろうか。セルフ・コミュニケーションである。」と書いている(106p)。
これについて本の編者の小長谷は「アクセスされないブログは、限りなく自分のための、自分によるコミュニケーションになってしまう」という(107P)。
ほぼ毎日ブログに投稿している。梅棹のいうように「自分が自分に向けて」書いている。確かにその通り。それならば何もブログと言う手段でなくてもいいはず。なのになぜブログに投稿するのだろう。わからない・・・。やはりブログはセルフ・コミュニケーション!?
どこかで人とつながっていたいという気持ちがそうさせるのかな。僕は教え子へのメッセージ感覚で始めたのだけれど、最近は日記・記録目的が多いなあ。それでもどこかで、僕も頑張っているからね君たちも頑張って、という生きろ!的なメッセージを送っていたいという気持ちがあるのだと思います。舛井
返信削除舛井様
返信削除コメントありがとうございます。
ブログを始めたきっかけは勝間女史の本に書いてあった情報を得ようと思うなら情報を発信せよにあります。その割には長く続いています。その意味では先生のいわれる「どこかで人とつながっていたいという気持ち」と「僕も頑張っているから・・・」をもじって「頑張れ!」と自らに言い聞かせているのかも知れません。やはりそれは、セルフ・コミュニケーションでしょうね。
ありがとうございました!
立派なブログだと思います。楽しみにしています。
返信削除ありがとうございます。
返信削除ブログを通して先生とも知り合えました。これも人とのつながりですね。
まず自分自身がいつも元気で頑張れるようブログに投稿します。
ありがとうございました!