昨夜のNHK・BS「世界最大級!ラオス 絶景の未踏洞窟に挑む」を見る。番組HPには以下のように書いてある。
★地球上にはまだ誰も足を踏み入れたことのない「未踏洞窟」が数多くある。広大な石灰岩の台地が広がり、世界最大の未踏洞窟があるだろうと注目されている場所がラオス。その山奥で“世界最大”の発見をめざす日本の洞窟探検家・吉田勝次さん(51)に1か月間、独占密着。暗黒を流れる巨大河川、高層ビルが立ち並ぶほどの大空間、純白の鍾乳石の宮殿。高精細カメラやドローンを使って、大自然の神秘の世界を余すところなく伝える。
1時間半の番組。見ていて不思議な気持ちになる。冒険的な番組を見ていてカメラマンは、と思ってしまう。冒険家は体を鍛えているかもしれないが、カメラマンも並の体力では務まらないだろう。洞窟、といってもいわゆる洞窟とは規模が違う。洞窟学会なるものがあるようで、そのクルーには男性隊員に交じって女性2名も参加していた。隊員の足の皮膚が石灰岩のアルカリ作用で融けていく。その治療を女性隊員の看護師が治療する。皮膚が融けるほどに強い作用がある石灰岩。それでも時に、その水に浸かって泳いで進んだり、狭い洞窟の中を潜ったりする。
一番驚いたのは別の女性隊員が背中に負う3D撮影機器。これを使って隊員が体を360度回転するとパソコン画面に洞窟全体が映し出される。それにより洞窟の規模もわかるという。昨夜の最後に放送された洞窟はこれまで中国で発見された洞窟には劣っても、世界最大級の洞窟発見だったそうだ。まだまだこれから先もラオスでの洞窟探検があるようで次回が楽しみ。それにしても半端でなく過酷な冒険の旅だ。
ラオスは数年前出かけた時、小さい洞窟に入ったことがある。洞窟と言って思い出すのは、ポーランドのヴィエリチカ岩塩坑。昨夜のラオスとは比べられないが岩塩を掘った後が洞窟になっている。エレベータで地下に潜るとそこは想像さえつかない空間が広がる。教会、レストランなどがあり、岩塩を掘った後の水が流れている。2年前に出かけたときはエレベータで降りた。だが今はトロッコが通っているかもしれない。他にも20年以上前に出かけたポルトガルの洞窟を思い出す。当時はブログもなく、洞窟の名前は思い出せない。ツアー仲間とタクシーをチャーターして見に行った。その時、フリータイムを利用しての観光だったので洞窟の開館時刻に間に合うように、タクシー運転手を「急いで!」と皆でせかした思い出がある。古いアルバムを見ればいいけど、そこまでの必要がない。その点、blogは便利。すぐに調べられる。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2019年1月31日木曜日
2019年1月30日水曜日
『抜粋のつづり その七十八』届く
今朝のダグニーさんのblogは「詳細については、私の情熱の歴史」のタイトルでアップされる。画像はダグニーさんが送られてきたハガキなどのメッセージを見ている写真だ。本を支える手で、本をめくるのが大変らしい。怪我をした左手が思うようにならないようだ。ただ、blogの日付がこの2日ほど変。日付がわからないと先日書かれていたので仕方ないのかもしれない。ともあれ、少しずつ本来のblogに戻っている。それだけでも安心だ。
冬だというにはお天気の良い日が続く。昨日午後はプールで泳ぐ。良いお天気であっても冬には違いない。寒さで縮まった体もプールで泳げば伸び伸びする。それもクロールで泳げば体の隅々まで酸素が行き渡り、汚れたものがすべて吐き出されるようで清々しさはこの上ない。昨日は、顔見知りは一人だけ。いつもの人たちがいない。気がよさそうなおっさんだけが挨拶してくれる。
昨日は、某金庫メーカーから『抜粋のつづり その七十八』が送付される。去年、清水寺の管主の講演会を聞いた時、連絡先を書いたので送付されたようだ。今年は興福寺の管主の講演会があるらしく、また連絡があるだろう。それにしてもこのメーカー、初代から始まって今や3代目。長く日本を代表する金庫メーカーとして走り続ける意味がこの冊子からもわかる。
講演会、と言えば一昨年、建国記念日の講演会に出かけて以来昨年、今年と主催者から参加する旨のハガキが届く。出かけた年は講演会を聞くのが目的だった。建国記念日はそれほど関心がない。ゲストが良ければ行くけど、今年の催しは関心がないので不参加だ。
それにしても届いた抜粋の選択は誰がするのだろうか。涙失くしては読めない。取り上げられた人はアジア塾で講演された先生や本で知った作家など。45万部の冊数を日本全国や世界に送付するという。庶民はすぐに郵便料金は、印刷代金は……などとつまらぬことを勘繰ってしまう。こういう料簡では物事はうまく運ばない。気を付けよう!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
冬だというにはお天気の良い日が続く。昨日午後はプールで泳ぐ。良いお天気であっても冬には違いない。寒さで縮まった体もプールで泳げば伸び伸びする。それもクロールで泳げば体の隅々まで酸素が行き渡り、汚れたものがすべて吐き出されるようで清々しさはこの上ない。昨日は、顔見知りは一人だけ。いつもの人たちがいない。気がよさそうなおっさんだけが挨拶してくれる。
昨日は、某金庫メーカーから『抜粋のつづり その七十八』が送付される。去年、清水寺の管主の講演会を聞いた時、連絡先を書いたので送付されたようだ。今年は興福寺の管主の講演会があるらしく、また連絡があるだろう。それにしてもこのメーカー、初代から始まって今や3代目。長く日本を代表する金庫メーカーとして走り続ける意味がこの冊子からもわかる。
講演会、と言えば一昨年、建国記念日の講演会に出かけて以来昨年、今年と主催者から参加する旨のハガキが届く。出かけた年は講演会を聞くのが目的だった。建国記念日はそれほど関心がない。ゲストが良ければ行くけど、今年の催しは関心がないので不参加だ。
それにしても届いた抜粋の選択は誰がするのだろうか。涙失くしては読めない。取り上げられた人はアジア塾で講演された先生や本で知った作家など。45万部の冊数を日本全国や世界に送付するという。庶民はすぐに郵便料金は、印刷代金は……などとつまらぬことを勘繰ってしまう。こういう料簡では物事はうまく運ばない。気を付けよう!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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2019年1月29日火曜日
『坂の上の雲』第四巻から
毎朝、ダグニーさんのblogを見る。今朝は画像がアップされ、ブログもこれまでよりも長い。だが、日本語は自動翻訳機能利用なので今一歩理解できない箇所がある。ギブスがとれても左手は不自由を強いられているようだ。このギブス、正式にはギプスらしい。ダグニーさんのblogの日本語はギプスを石膏マヨネーズと訳が出る。これを英語では?と携帯辞書で調べてギブス→ギプスと知った。ドイツ語のギプスが語源らしい。
暇さえあれば『坂の上の雲』(司馬遼太郎 文藝春秋、2004年新装版第1刷)を読んでいる。もう少しで第4巻を読み終える。それでも全巻を読み終えるにはあと4巻ある。先日の夏目漱石の本を読むときもそうだったが、文字は読めても意味が解らないとか、初めから文字が読めない箇所が多々ある。そばに電子辞書を置いて読んでいる。これが電子辞書でなく紙の辞書を引きながらだとどれくらい時間が必要だろう、と思ってしまう。さいわい今の電子辞書はあらゆる機能がついている。これは本当に優れモノ。
第4巻に二〇三高地が爾霊山と命名された意味を知って驚く。以下は乃木が志賀に渡した詩。
爾霊山嶮豈難攀
男子功名期克艱
鉄血覆山山形改
万人斉仰爾霊山
爾霊山 嶮なれども豈攀(よじ)難からんや
男子功名 艱に克つを期す
鉄血山を覆うて 山形改まる
万人斉(ひと)しく仰ぐ 爾霊山
志賀は、この詩に驚嘆した。――自分も遠く及ばない。まして児玉さんなどは。と、数日前の詩会での児玉の詩をおもったりした。第一「爾霊山」という、この言葉のかがやきはどうであろう。この言葉を選び出した乃木の詩才はもはや神韻をおびているといってよかった。二〇三(にれいさん)という標高をもって、爾(なんじ)の霊の山という。単に語呂をあわせているのではなく、この山で死んだ無数の霊――乃木自身の次男保典をふくめて――乃木は鎮魂の想いをこめてこの三字で呼びかけ、しかも結びの句でふたたび爾ノ霊ノ山と呼ばわりつつ、詩の幕を閉じている。……その命名のまとめ役は、志賀重昴がひきうけさせられていた。(爾霊山以外にない)と、志賀は、この詩でおもった。212-213p
乃木は、十二月十日の夜、終夜飛雪が柳樹房の天地に舞っていたとき、詩想を得たらしい。韻、平仄をあわせて完全なものにし、翌日十一日の朝、志賀重昴にわたしたのである。この十一日の午後、二〇三高地で死んだ次男保典の遺骨と遺品が軍司令部にとどけられた。乃木にとって、「爾ノ霊」というのは、爾霊山で戦死したすべての日本人にむかってよんでいるとともに、さきに金州城外で戦死した長男勝典にくらべて性格のあかるかった保典に対する無量のおもいがこめられているのであろう。213-214p
大雪の二〇三高地に登った日は何と乃木希典がこの詩を作り、志賀に渡して「爾霊山」と命名した日、と知って驚く。これも何かの因縁かもしれない。それから114年経ったその日に二〇三高地に立った、何という偶然だろう。登っているときも大連滞在中も『坂の上の雲』の話は常に出ていた。しかし、この件は誰からも出てこなかった。ましてや中国人のガイドからもこの話を聞かなかった。
大雪の大連、そして二〇三高地を雪で滑らないようにと必死で登った。それにしても114年前とはいえ、自分の今の年齢を差し引くとそれほど昔のことではない。その時代はまだ馬車が交通手段だった。ましてや先の大戦となると自分自身が生まれる直前の戦いだ。物語でなく実際の戦争なのになぜか遠い昔のことと思うのはなぜだろう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
暇さえあれば『坂の上の雲』(司馬遼太郎 文藝春秋、2004年新装版第1刷)を読んでいる。もう少しで第4巻を読み終える。それでも全巻を読み終えるにはあと4巻ある。先日の夏目漱石の本を読むときもそうだったが、文字は読めても意味が解らないとか、初めから文字が読めない箇所が多々ある。そばに電子辞書を置いて読んでいる。これが電子辞書でなく紙の辞書を引きながらだとどれくらい時間が必要だろう、と思ってしまう。さいわい今の電子辞書はあらゆる機能がついている。これは本当に優れモノ。
第4巻に二〇三高地が爾霊山と命名された意味を知って驚く。以下は乃木が志賀に渡した詩。
爾霊山嶮豈難攀
男子功名期克艱
鉄血覆山山形改
万人斉仰爾霊山
爾霊山 嶮なれども豈攀(よじ)難からんや
男子功名 艱に克つを期す
鉄血山を覆うて 山形改まる
万人斉(ひと)しく仰ぐ 爾霊山
志賀は、この詩に驚嘆した。――自分も遠く及ばない。まして児玉さんなどは。と、数日前の詩会での児玉の詩をおもったりした。第一「爾霊山」という、この言葉のかがやきはどうであろう。この言葉を選び出した乃木の詩才はもはや神韻をおびているといってよかった。二〇三(にれいさん)という標高をもって、爾(なんじ)の霊の山という。単に語呂をあわせているのではなく、この山で死んだ無数の霊――乃木自身の次男保典をふくめて――乃木は鎮魂の想いをこめてこの三字で呼びかけ、しかも結びの句でふたたび爾ノ霊ノ山と呼ばわりつつ、詩の幕を閉じている。……その命名のまとめ役は、志賀重昴がひきうけさせられていた。(爾霊山以外にない)と、志賀は、この詩でおもった。212-213p
乃木は、十二月十日の夜、終夜飛雪が柳樹房の天地に舞っていたとき、詩想を得たらしい。韻、平仄をあわせて完全なものにし、翌日十一日の朝、志賀重昴にわたしたのである。この十一日の午後、二〇三高地で死んだ次男保典の遺骨と遺品が軍司令部にとどけられた。乃木にとって、「爾ノ霊」というのは、爾霊山で戦死したすべての日本人にむかってよんでいるとともに、さきに金州城外で戦死した長男勝典にくらべて性格のあかるかった保典に対する無量のおもいがこめられているのであろう。213-214p
二〇三高地に建つ爾霊山の碑 1904年12月11日、爾霊山と命名された それから114年後の同日にここを訪れたとは不思議! |
二〇三高地から旅順港を見下ろす |
大雪の二〇三高地に登った日は何と乃木希典がこの詩を作り、志賀に渡して「爾霊山」と命名した日、と知って驚く。これも何かの因縁かもしれない。それから114年経ったその日に二〇三高地に立った、何という偶然だろう。登っているときも大連滞在中も『坂の上の雲』の話は常に出ていた。しかし、この件は誰からも出てこなかった。ましてや中国人のガイドからもこの話を聞かなかった。
大雪の大連、そして二〇三高地を雪で滑らないようにと必死で登った。それにしても114年前とはいえ、自分の今の年齢を差し引くとそれほど昔のことではない。その時代はまだ馬車が交通手段だった。ましてや先の大戦となると自分自身が生まれる直前の戦いだ。物語でなく実際の戦争なのになぜか遠い昔のことと思うのはなぜだろう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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2019年1月28日月曜日
「心の傷が夢を見させている」
今朝もダグニーさんのblogを見る。だが、アップはない。この3,4日、ご自分でブログをアップされていた。それには眠られない、食べられない……などのキーワードが出てくる。親を介護していた時、「快眠・快食・快便」は人が生きる上で大事と思った。これは自分の健康バロメータにも当てはめる。幸い、今はこれらも大丈夫なので元気なのだろう。ダグニーさん、ちょっと気になる。
図書館で借りた山折哲雄の本を見ると先日の池田一憲の画の掲載がある。本は『賢治の風光』で、その「はしがき」に「池田さんとは今度の仕事を縁に梅原猛さんのご紹介で知り合うことができた」とある。
先に借りた梅原猛の『少年の夢 梅原猛対談集』(小学館、1994年)に「私は、夢がなかったら人間は人間ではありえない。文明というものはなかった、と思うのですが、このわれわれ人間の中には、とくべつに夢の好きな人、夢に命をかける人がいます。人一倍大きな夢を見て、それを実現した人がいる。私は、そういう人たちには、一つの共通したものがあるように思うんです。それは何か。すべてがそうとはいいませんが、そういう夢を見る人間には、心に大きな傷をもっている人が多いんですね。この人はどうしてこんなに大きな夢をもったのか、どうしてその夢を実現することに一生をかけることができたのかと見ていくと、心に大きな傷、コンプレックスがある場合が多いんですね。その心の傷が夢を見させている――そう思うんです」がある。13-14p
この「心の傷」を梅原自身や法然を例にして話す。梅原は実の両親ではなく叔父夫妻の子供として育てられた。そこには梅原の誕生と実母との関係があった。そして梅原自身のコンプレックスも心の傷としてあった。また法然上人を研究して「法然は父親の死によって心に深い傷を負った」。法然の心の傷は父が押領使という武士だったことにある。押領使は今の横領の意らしい。そのためいつか殺されると思った父親が自分が亡くなったとき、弔ってほしいと法然をお坊さんにした。「父が殺される」、が法然の心の傷になった。
この本の「少年の夢」部分は高校生向けの講演を本としている。少年、ではなくても「心の傷が夢を見させている」、これすごくわかる。自分自身、小さい頃に大病を患った、と聞かされて育った。それにより運動コンプレックスは半端でなく大きかった。夢を実現する、そのなかに水泳や自転車に乗ることがあった。これらは人から見れば本当にささいな夢かもしれない。だが、自分自身にとっては大きな夢への挑戦だった。30代後半でこの2つが出来るようになると、それから以降、思うことが何でも実現すると思えるようになったから不思議。
いろいろとネットで池田一憲を検索すると東京銀座や他でも個展をされている。池田は梅原との出会いで山折哲雄とも知り合った。梅原猛の夢を実現する人を応援したい、との気持ちが池田一憲の絵との出会となっていったのだろう。
そういえば「空想的な夢を見るのは人間だけだ」のなかに、「芸術がそのいい例です。自分が夢見た世界を、詩にしたり、小説にしたり、劇や音楽や美術にするわけです。まさに芸術は夢の産物ですよね。そうして表現された夢は、現実よりもはるかに魅力的です。すばらしい芸術というものは、みな、現実よりいっそう生き生きとしている。芸術家というのは、そういうすばらしい夢を見る能力をもっているわけです。そういう人間なんですね」とある。12pそして、この本の挿絵は池田一憲が描いている。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
図書館で借りた山折哲雄の本を見ると先日の池田一憲の画の掲載がある。本は『賢治の風光』で、その「はしがき」に「池田さんとは今度の仕事を縁に梅原猛さんのご紹介で知り合うことができた」とある。
先に借りた梅原猛の『少年の夢 梅原猛対談集』(小学館、1994年)に「私は、夢がなかったら人間は人間ではありえない。文明というものはなかった、と思うのですが、このわれわれ人間の中には、とくべつに夢の好きな人、夢に命をかける人がいます。人一倍大きな夢を見て、それを実現した人がいる。私は、そういう人たちには、一つの共通したものがあるように思うんです。それは何か。すべてがそうとはいいませんが、そういう夢を見る人間には、心に大きな傷をもっている人が多いんですね。この人はどうしてこんなに大きな夢をもったのか、どうしてその夢を実現することに一生をかけることができたのかと見ていくと、心に大きな傷、コンプレックスがある場合が多いんですね。その心の傷が夢を見させている――そう思うんです」がある。13-14p
この「心の傷」を梅原自身や法然を例にして話す。梅原は実の両親ではなく叔父夫妻の子供として育てられた。そこには梅原の誕生と実母との関係があった。そして梅原自身のコンプレックスも心の傷としてあった。また法然上人を研究して「法然は父親の死によって心に深い傷を負った」。法然の心の傷は父が押領使という武士だったことにある。押領使は今の横領の意らしい。そのためいつか殺されると思った父親が自分が亡くなったとき、弔ってほしいと法然をお坊さんにした。「父が殺される」、が法然の心の傷になった。
この本の「少年の夢」部分は高校生向けの講演を本としている。少年、ではなくても「心の傷が夢を見させている」、これすごくわかる。自分自身、小さい頃に大病を患った、と聞かされて育った。それにより運動コンプレックスは半端でなく大きかった。夢を実現する、そのなかに水泳や自転車に乗ることがあった。これらは人から見れば本当にささいな夢かもしれない。だが、自分自身にとっては大きな夢への挑戦だった。30代後半でこの2つが出来るようになると、それから以降、思うことが何でも実現すると思えるようになったから不思議。
いろいろとネットで池田一憲を検索すると東京銀座や他でも個展をされている。池田は梅原との出会いで山折哲雄とも知り合った。梅原猛の夢を実現する人を応援したい、との気持ちが池田一憲の絵との出会となっていったのだろう。
そういえば「空想的な夢を見るのは人間だけだ」のなかに、「芸術がそのいい例です。自分が夢見た世界を、詩にしたり、小説にしたり、劇や音楽や美術にするわけです。まさに芸術は夢の産物ですよね。そうして表現された夢は、現実よりもはるかに魅力的です。すばらしい芸術というものは、みな、現実よりいっそう生き生きとしている。芸術家というのは、そういうすばらしい夢を見る能力をもっているわけです。そういう人間なんですね」とある。12pそして、この本の挿絵は池田一憲が描いている。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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本
2019年1月27日日曜日
カボスの絵
昨日の大雪でやっと冬らしさを感じる。日本画教室に行こうとして家を出ると折りたたみ傘では雪を避けられそうにない。急きょ、雨傘をさして家を出る。今日は最低気温は1度の予報でも最高気温は11度でこれまでの気温に戻るようだ
昨日の日本画。色を施していたカボスを仕上げる。このカボス、スケッチの段階ではうまく描けたと楽観していた。ところが色を付ける段階で何度も嫌になる。うまく色付けできない。これまで下手は下手なりに何枚か本画を作成した。しかし、昨日のカボスと以前に描いたカボチャの絵は気に入らない。カボチャは作品展に出さなかった。カボスも作品展に出せそうにない。
簡単に描けると思えるものほど描いてみると簡単ではない。次週からはまた樹木に挑戦。昨日、最近出かけて写した写真から先生に描けそうなのを選んでいただく。県北の友だちに会いに行った時に写した尾関山公園の樹木。真ん中に樹木がある。これを描く時は樹木を真ん中からずらして本画にする予定。写真に写す時、写し方があるようだ。こうなると写真も学ばなくてはいけない!?そう言えば日本画のうまい人は写真でもよく入選されている。これも写す側のセンスが求められるのだろう。ともあれ、しばらくは樹木に挑戦!画像は日本画として参考にする予定の写真をアップ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
昨日の日本画。色を施していたカボスを仕上げる。このカボス、スケッチの段階ではうまく描けたと楽観していた。ところが色を付ける段階で何度も嫌になる。うまく色付けできない。これまで下手は下手なりに何枚か本画を作成した。しかし、昨日のカボスと以前に描いたカボチャの絵は気に入らない。カボチャは作品展に出さなかった。カボスも作品展に出せそうにない。
簡単に描けると思えるものほど描いてみると簡単ではない。次週からはまた樹木に挑戦。昨日、最近出かけて写した写真から先生に描けそうなのを選んでいただく。県北の友だちに会いに行った時に写した尾関山公園の樹木。真ん中に樹木がある。これを描く時は樹木を真ん中からずらして本画にする予定。写真に写す時、写し方があるようだ。こうなると写真も学ばなくてはいけない!?そう言えば日本画のうまい人は写真でもよく入選されている。これも写す側のセンスが求められるのだろう。ともあれ、しばらくは樹木に挑戦!画像は日本画として参考にする予定の写真をアップ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
11月にでかけた尾関山公園 |
2019年1月26日土曜日
テレビetc.
先ほど郵便物を取りに出ると大雪が降っている。今年の初雪だ。天気予報では一日中曇り空、となっているが一瞬だけ陽が射す。ところがそれも大雪になっている。
25日付のダグニーさんのblogを見るとギブスがとれたようだ。だが時間と空間がわからないらしい。それでも毎日ブログをアップされて、送られてくる手紙や贈り物に対して感謝を述べておられる。106歳、生きる執念が素晴らしい。
106歳ではないにしても昨夜、新日本風土記を見ていると十津川村に暮らす人々を映し出していた。そのなかに95歳の1人暮らしのお婆さんがいた。子どもは男5人いても皆、外に出て生活している。1週間に1度、訪ねてくる人か郵便屋さんと話をするくらいらしい。家の周りの段になった畑に少しばかりの野菜を植えていた。番組の後半しか見ていない。その前はEテレの「フルカフェさん」を見る。
夜に見るテレビ。人がワイワイ騒ぐ番組よりも昨夜の番組のように自然の暮らしを映し出す番組がいい。昨夜の95歳を見てまだまだその年までには至らない、しっかり元気でいなくては……、と勇気をもらう。
番組HPを見ると司馬遼太郎が十津川村を秘境と表現した、とある。ここでも司馬遼太郎、と思ってしまった。今朝はパソコンの状態が悪くブログ投稿に手こずる。番組は途中から見たのでもう一度再放送を見よう。
ともあれ今日も元気で楽しく過しましょう!
25日付のダグニーさんのblogを見るとギブスがとれたようだ。だが時間と空間がわからないらしい。それでも毎日ブログをアップされて、送られてくる手紙や贈り物に対して感謝を述べておられる。106歳、生きる執念が素晴らしい。
106歳ではないにしても昨夜、新日本風土記を見ていると十津川村に暮らす人々を映し出していた。そのなかに95歳の1人暮らしのお婆さんがいた。子どもは男5人いても皆、外に出て生活している。1週間に1度、訪ねてくる人か郵便屋さんと話をするくらいらしい。家の周りの段になった畑に少しばかりの野菜を植えていた。番組の後半しか見ていない。その前はEテレの「フルカフェさん」を見る。
夜に見るテレビ。人がワイワイ騒ぐ番組よりも昨夜の番組のように自然の暮らしを映し出す番組がいい。昨夜の95歳を見てまだまだその年までには至らない、しっかり元気でいなくては……、と勇気をもらう。
番組HPを見ると司馬遼太郎が十津川村を秘境と表現した、とある。ここでも司馬遼太郎、と思ってしまった。今朝はパソコンの状態が悪くブログ投稿に手こずる。番組は途中から見たのでもう一度再放送を見よう。
ともあれ今日も元気で楽しく過しましょう!
2019年1月25日金曜日
今朝の地元紙から
新聞記事を読むとき関心がある無しで読み方も変わってくる。目にするキーワード、これさえも目に留まるか止まらないかで関心の度合いに違いが出る。今朝の地元紙に「『近代化』すれば昔が恋しく 夏目漱石と明治」がある。このなかの「近代化」と「夏目漱石」に目が行く。先日、漱石の『満韓ところどころ』を読んだ。漱石が日露戦争後に出かけた旧満州国。1909年のことだ。漱石はこの中では満州の汚さを書いている。今朝のダミアン・フラナガンの記事を読むと「まるで急展開していく大日本帝国を容認するかのようであった。だが、漱石は、何千年もの間、日本文化の源であった中国を見下すという愚行は感心していなかった」とある。だが、『満韓ところどころ』では満州を見下す描写が多い。
『坂の上の雲』は第4巻を読んでいる。その合間に、昨日の池田と梅原に関する本を借りて読む。いろんなことに気が散って困ったものだ。昨日借りた梅原猛の『少年の夢 梅原猛対談集』を見ると挿絵が池田一憲で、挿絵だけを先に見ると樹木のデッサンがある。それも自分がこれからデッサンしようとしている絵と似ている。新聞記事を読んで記事に感動し、梅原猛の本に描かれた挿絵を見てさらに驚く。いろんなことに関心を抱けばさらにいろんなことに興味がわいていく。いろんなことに興味を示せばさらに毎日が楽しくなる。
昨日午後はプールで泳ぐ。連日いいお天気で気温も平年より高い。更衣室で、はじめて利用するという若い女性と出会う。38歳と言っていた。利用するプールは福祉センターのプールなのでシニアが大半を占める。若い人は泳ぐのかと思いきや水中歩行だけのようだ。それも浅い方での水中歩行。肩まで水に浸からないと水中歩行の価値がない気がする。しかし、これも個人の考えで外野はとやかく言えない。
ともあれ今日の元気で楽しく過ごしましょう!
『坂の上の雲』は第4巻を読んでいる。その合間に、昨日の池田と梅原に関する本を借りて読む。いろんなことに気が散って困ったものだ。昨日借りた梅原猛の『少年の夢 梅原猛対談集』を見ると挿絵が池田一憲で、挿絵だけを先に見ると樹木のデッサンがある。それも自分がこれからデッサンしようとしている絵と似ている。新聞記事を読んで記事に感動し、梅原猛の本に描かれた挿絵を見てさらに驚く。いろんなことに関心を抱けばさらにいろんなことに興味がわいていく。いろんなことに興味を示せばさらに毎日が楽しくなる。
昨日午後はプールで泳ぐ。連日いいお天気で気温も平年より高い。更衣室で、はじめて利用するという若い女性と出会う。38歳と言っていた。利用するプールは福祉センターのプールなのでシニアが大半を占める。若い人は泳ぐのかと思いきや水中歩行だけのようだ。それも浅い方での水中歩行。肩まで水に浸からないと水中歩行の価値がない気がする。しかし、これも個人の考えで外野はとやかく言えない。
ともあれ今日の元気で楽しく過ごしましょう!
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