2025年9月5日金曜日

『遊行期(ゆぎょうき)』

  『遊行期(ゆぎょうき)』(五木寛之 朝日新聞出版 2025年第1刷)サブタイトルとして(オレたちはどうボケるか)を読んだ。この中に「埒」が出てくる。埒が明かない、などと普通に使っていることばだが、この埒が馬や牛を放し飼いにする柵とは知らずにいた。本を読んでわけもわからずにいつの間にか使っている、と思った。読みながらビックリしてしまう。

 著者の五木寛之はなんと70年間、歯科以外は行ってないという。それが70年ぶりに膝の痛みに耐えかねて病院へ行ったそうだ。そこで目にしたものは待合室での患者の多さとか。70年ほどの長さではないが自分自身、眼科と歯科以外は30年くらい行っていない。そしていい医者に巡り合わないと一生の不作とも言う。これは歯科で経験済み。以下は気になる箇所をメモしたもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★馬や牛を放し飼いにするときには、柵を作って一定エリアの外へ出さないようにします。その柵を「埒(らち)」と言います。掟や法を破るという意味の「埒を越える」という言葉、あるいは無法者や乱暴者、非常識な人間をさす「埒外」という言葉がある。埒外に似た言葉で化外(けがい 王化=中央権力の及ばない地方)、垣外(かいと 垣根の外、こじき)という言葉もあります。(179p)

★「転」は埒を越えること、「雑」は埒を作らないことと言えるでしょう。つまり、垣根を作ってその垣根の中にいるのではなくて、常に「越境者」でいる。そういう意識を持つことがすごく大事だと思います。……音楽にしても、クラシック音楽から歌謡曲など大衆音楽まで、ものすごく幅がある。その幅の中の一カ所に音楽を固定する必要はなくて、あれもこれも音楽という受け止め方があるわけです。(188p)

★私が最終的に大事にしているのは自由人であること、つまり「自由に生きる」ということです。だから埒を越える「転」、埒を作らない「雑」を大事にしているわけです。(198p)

★要するに、自由でいるためには幅広い教養が必要なんですね。やはり一筋の道よりも「転」や「雑」という多様な道のほうが、いろんな教養に触れることができます。だから頑固者よりも「文弱の徒」のほうが長く自由でいられるんじゃないか。もちろん、一筋の道を選ぶのも多様な道を選ぶのも、本人の勝手、自由です。しかし、多様な道のほうがすくなくとも不自由ではないし、刺激も多く、悪いボケにならないのではないでしょうか。(199p)

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