2024年3月22日金曜日

『司馬遼太郎が考えたこと』(1)

 あることから『司馬遼太郎が考えたこと』の(12)から読み始めた。この(12)をアップしようとして再度読みかえすと誰が書いたかの記入漏れに気づく。再度図書館に予約してこれを確認後にアップしよう。(12)を読み終えてこのシリーズを全部読もうと思い、『司馬遼太郎が考えたこと』(1)(司馬遼太郎 新潮社、平成十七年)から読み始める。司馬遼太郎が誕生してから考えたことを司馬遼太郎記念館が編纂して15巻までシリーズ化している。

 このシリーズは年代順に収めてある。(1)は司馬遼太郎が初期に書いたものでこれまで知らずにいた個人の履歴に驚かされる(※)。初めてそれを知った時はかなりショックだった。この事実は司馬遼太郎の死後、公にされたとか。しかし、(1)にはそのことが読みながらわかる箇所があった。

 ヒトには公にできない事実があるんだ、と読みながら思った。それはひとまず置くとしてその続きがおかしい。司馬遼太郎は魚嫌いだったとか。一匹の焼き魚を焼死体と著すくだりは笑ってしまった。言われてみれば焼き魚は確かに魚の焼死体だ。そう思って食べたことはないが魚嫌いの人はそんなふうに思えるのだろう。お肉でも鶏肉は一匹の焼死体を食べる。それは北京ダック。大きなお皿に北京ダック一匹が出されてその焼きあがった皮をそいで食べる。といってもそぐのは係がしてくれて一人一人のお皿にはそいだ肉が置かれる。北京ダックもそう考えるとなんとグロテスクな食べ物だろうか。しかし、それを食するとき、とくに中国の高級料理店で食するときは鶏の焼死体、と思ったことが一度もなかった。

 食べ物ひとつをとっても好きときらいでは食べる際の気持ちがこうも違うものかと思い知らされる。

 以下、その辺りのことをメモした。今朝は久々に日が射している。いいお天気になりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★私はいつも宴席でホザイテいる。ほざくしか手がないのである。私は生まれついての魚嫌いで、料理屋で出される純日本式の料理などはまったく手がつかないし、タイの焼死体などをみると、もうそれだけで胸がわるくなるのである。……女房をもらうとき、彼女はなんと魚は見るのもきらいだということがわかった。これだけでももらう価値があると、私は確信した。……「だけどあたしは、料理なんか一種目しか知らないんですのよ」「ああ、それでもリッパです」。新婚旅行はひなびた海辺の町へ行った。……その夜タイが出た。彼女と最初に食卓を囲んだ記念すべき夜であったが、きょう宴が始まる前に二人がまずしたことは新聞紙を取りだすことであった。ソッとタイをくるみ、窓から海辺へぬけだして、波のかなたへすてたのである。むろん食卓のうえの二つの皿は、カラになっている。旅館のあるじにすれば、果せるかな自分たちの好意がむくいられたと思ったに相違ない。この新しい夫婦の客は、感激のあまりアタマもホネもたべてしまったことは、カラの皿で容易に想像できるからである。……彼女は天才的な料理不器用であり、むしろ百万人に一人というその稀少さにおいて、それは才能というべきものであった、私はその天才的な不器用さを、よろこんで感受した。……彼女はなんと鮭の切り身を二きれだけ買った。それを錫箔でつつみ、それをフライパンのうえであぶる。切身は、錫箔のなかで蒸せる。それだけの手間で済む。しかし、彼女にすれば偉大なる大変革であった。私は目の前に出された二枚の皿をみて、彼女の苦心の誠意がひしひしとわかった。彼女は事もなくいった。「鮭はだいじょうぶでしょう?あたしは食べられるから」。……私はそれを拒むことができなかった。死ぬような思いで笑顔をつくり、さもうまそうにそれを食った。食いながら、これほどつらい料理が、私の人生で再びやってこないことを必死で祈りつづけたのである。(「魚ぎらい」123p-130p)

(※)メモとして(「影なき男」56p-60p)

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