2024年1月31日水曜日

歯科&プールへ

 朝からシトシトと雨が降っている。雨は1日降るようだ。昨日は気になっていた歯科へ思い切って出かける。下の歯は1本も抜いていない。それなのに下の奥の方の歯を治療してもらおうとしたらいずれ抜くようになる旨、言われる。歯を抜く、と聞くだけで嫌な気持ちが湧いてくる。とりあえず治療してもらった。

 おととい1年間の健康保険証利用の明細が届く。これを見ると大半は眼科で、3月と5月に歯科へ通っている。他の医療機関、たとえば内科、外科、皮膚科などあるがもう2,30年くらいかそれ以上、行っていない。自分にとっての鬼門は眼科と歯科。眼科は生まれてからすぐに目の病気をしたらしく仕方がない、とのあきらめがある。が、歯科は注意すれば、と思ったり。

 歯科で医者に言われたことがかなりのショックだったのか家に帰っても気分がよくない。幸い、最高気温が13度になるとの予報で気分を変えるべく泳ぎに行く。急遽、プールへとなったがお天気も良く自転車に乗っているとさっきまでの気分がウソのようにほぐれる。暖かい、と思っていたがプールに入るといつもほどの温かさがない。500m(10往復)の予定がプールの冷たさを理由にして400m(8往復)で泳ぎをやめる。短い距離だったが昨日は背泳ぎだけでなくクロールでも泳いだ。

 更衣室で着替え中、プールの冷たさを話している。自分だけが冷たかったのではなくほかの人も同じような意見だ。シャワーで体を温めたが着替え中も寒さを感じる。風邪を引いては何のために泳ぎに行くのかわからなくなる。家に戻って暖かいコーヒーと和菓子で気分一新。

 たった400m泳いだだけなのに何か大きなことをしたような達成感がある。勢いに乗じて某金庫から送られてきた「抜粋のつゞり その八十三」に目を通す。本を読みながらこの会社はなんと稀有な会社だろうといつも感心してしまう。45万部を全世界に無料で配っている。送料だけでもかなりの費用が掛かるはず。ましてや個人にまで送ってくる。自分自身が大金持ちで金庫が家にある暮らしならばこの会社の金庫を買うだろう。しかし、悲しいかな金庫のある生活をしていない。

 歯科でのやり取りの言葉も泳いだり本を読んだりするとすべて吹っ飛ぶ。ネット記事で読んだが本を読むのは一番手っ取り早いストレス解消法だそうだ。その点は合点がいく。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月30日火曜日

ATMの手数料

 郵便局のATMでお金を引き出そうとした。払いだす金額は万円に加えて百円単位もある。ATM操作途中で手数料110円と表示がある。これまでは千円単位で出し入れして百円単位での払い出しはしたことがなかった。なぜ110円?と思って千円単位でおろす。

 以前、日本画教室の雑談で硬貨の両替をすると手数料が発生と聞いたことがあった。が、まさかお金を出すにも手数料が要るとは驚き。どこに預けても110円の利息を受け取るにはかなりの額を預けないともらえない。それなのに3万数千円を自分でおろすだけなのに110円の手数料とは……。おろした金額が百円単位なのは支払先へ振り込まず現金で持参しようとしたためである。

 すべてともいえるくらいお金の出し入れはATMで間に合う。そのためか手数料なども疎くなりつつある。これも世の中の動き!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月29日月曜日

『孤独にならない老い方』

 昨日順番が回ってきた『孤独にならない老い方』(高田明和 成美堂出版、2021年)を一気に読んだ。エッセイ類は司馬遼太郎の作品と比べると1冊の本であれば1,2時間で読める。またいつものように気になる箇所を記そう。

★私たちは一人でいても、いつでも誰かに連絡でき、行きたいところに行けるなら、孤独ではないのです。誰にも連絡できず、外に出られず、会いたい人に会える望みも断たれているというのなら、それが孤独です。(86p)

★私は、「縁が尽きる時には尽きる意味があるのだ。だから、切れた縁を無理に戻そうとしてはならない」と思っています。もちろん、縁があった時に誠実に対応してくれた人たちへの感謝は、忘れたことがありません。その人たちが今日の私をつくってくれたのだと、いつも思っています。しかし、だからこそ、世話になった懐かしい人の人生には、その後はあまり立ち入らないようにしています。とくに相手が病気や経済難で苦しんでいるような場合、お見舞いすると、かえって自負心を傷つけることもあるのです。(130p)

★因縁は、最終的には現実の社会を動かしているので、私たちは、その大きな変化を感ずることもあります。それが予感とか直感と呼ばれるものです。臨済宗天龍寺の管長だった関牧翁老師は「ふっと思ったことは正しい。邪念で解釈するから間違うのだ」と言っておられました。(188p)

★普通は、過去が今を規定すると考えます。しかし、それよりも、今どう生きているかが過去を規定する面のほうが強いのです。若い時に何があっても、晩年が豊かなら、それで無上の幸福だと思うべきなのです。(213p)

 話は変わって今朝の地元紙に旅の情報がある。初めてソウルへ出かける人の旅案内だ。一瞬、これは?と思った。しかし、出発日を見るとその日は離島に出かける日に近い。何度も海外に出かけている割には日本に近いソウルへの旅をしていない。行きたい気持ちはあるが考えるところがあって先延ばしとなりそうだ。何をするにも、どこへ行くにも頭に瞬時にひらめいたことを大事にしたい。何やかや考えるうちはやめよ、ということ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月28日日曜日

高齢者の3K

 先日、旅行社から3月の離島の旅の催行決定の知らせを電話で受けた。その際、2月の日帰り旅を確認するとその時点では10人とのこと。昨日、この旅の催行は?と旅行社のHPで調べると催行決定となっている。この日帰り旅よりもかなり前に個人で行く奈良行きの宿を申し込んだ。さらに新幹線の往復チケットも予約済みだ。奈良行きは日帰り旅の3日後である。予定を詰めすぎた気がするが、海外の旅だと1週間前後でかける。その気持ちで元気に過ごさねばならない。

 先日と言えばほかにも司馬遼太郎記念館の会報が送られてきた。それを見ると今年の海外旅行先が台湾となっている。所属する某文化交流学会も台湾旅行が候補に挙がっている。今年はもしかして海外旅行が実現するかもしれない。

 これまた先日ネット記事で見た高齢者の3Kがある。3Kとは一般には仕事に対しての「きつい」「汚い」「危険」がある。(高齢者がなぜ3K?)と思ってネット記事を読むと「健康」「お金」「孤独」とある。「健康」に関してはなるべく体を動かす習慣をつけるといいらしい。「お金」に関しては投資、とある。ナニゴトにも慎重の上に慎重な性格のためか投資、とは無縁な生活をしている。無利息とも思える現在の利息であってもお金儲けに神経をすり減らしたくない。持っているお金で気楽に楽しく過ごしたい。そのためか投資と聞くだけで恐ろしくなる。最後の「孤独」。一人暮らしをしているからと言って孤独とは限らないようだ。親を亡くしたころは人生初の一人暮らしとなって淋しさを感じた。しかし、それも日々の経過とともに慣れが生じて全く孤独を感じなくなる。というか、むしろ一人の生活を快適に暮らしている。

 これもすべては今、高齢者であっても3Kとは真逆と思える生活だからかもしれない。もしもその日の生活に困るようになれば、また体のあちこちに不具合をきたせば、さらには寂しくてやり切れないと思うようになればこの考え方も変わるのだろう。その時は「なるようになる!?」

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月27日土曜日

『花妖譚』

 『花妖譚』(司馬遼太郎 文藝春秋、2009年第1刷)を読んだ。この本は司馬遼太郎の本名である福田定一名で発行されている。雑誌「未生」に掲載されたもので花にまつわる話題が10編収めてある。「森の美少年」「チューリップの城主」「黒色の牡丹」「烏江(うこう)の月」(謡曲「項羽」より)「匂い沼」「睡蓮」「菊の典侍」「白椿」「サフラン」「蒙古桜」の10編である。このなかでタイトルの「サフラン」はこの小説のどこを読んでもそのキーワードが見当たらない。3度読んだがわからなかった。たぶん、サフランの赤を亡くなった2人の赤い血で表しているのかもしれない。

 今朝の地元紙の週刊誌記事見出しにエアープランツがある。これは植物の育て方かと思ったら植物の名前のようだ。土も肥料も要らず、ただ水さえ与えれば育つとか。

 以下はいつもの如く気になる箇所を記した。

★その松齢。八十五歳のとき、彼の庭で一茎の牡丹が黒色の花を開いた。牡丹は当時の通念として紅もしくは白色の花であり、培養種には黄またはその系統の色はあったが、黒というのは。かつて聞きおよばない。ついでながら、牡丹は、中国本土の固有花である。大唐の永昌期には最も流行をきわめたが、漢民族がこの花を賞ではじめたのはさらに有史前後に遡り、培養しはじめてからも、すでに数千年を経る。美称した代表的な詩語としては、例の欧陽脩の「天下真花独牡丹而巳」(てんかしんかひとりぼたんのみ)があり、周茂叔は、この花の性格を一言に評して「富貴」とよんだ。人生の栄華と天下の太平を最も豊かに象徴するものとして、シナ代々の風流人は、ボタンを限りなく愛したのである。(『黒色の牡丹』30-31p )

★このとき以来、中国では芥子の名を虞美人草と称(よ)んだ。その色は虞美人の血を吸っていよいよ朱く、烏江(うこう)の岸辺には、暮春ともなれば地を蔽って、今なお繚乱と血色の花をひらいている。(『烏江の月』56p)

★子青はあとで、寝台の上に、一ひらの皓(しろ)い花弁を見出した。沈丁花の花であった。……子青は、その翌夜、つまり明日は科挙の試験が始まろうという夜に、沼へ身を投じて、不思議にも死体さえ浮かばなかった。宋以来、中国の書生の間で、沈丁花を忌花(いみばな)として固く避ける風習が生まれた。(『匂い沼』71p)

★黒砂の漠々とした不二の山肌から降りてきた小角にとって、この一茎の睡蓮の花は、妖しいばかりの美しさをもって彼の網膜を染めた。やがて初秋の天を蔽っていた銀色の鰯雲に茜の色がさしはじめ、それがしだいに黯(くろ)ずみを増して、陽は西のかたに落ちてゆく。暮れなずむ秋の光のなかで、小角は沼の水際にしゃがんだまままるで痴呆のように花と遊んでいたのである。水面に夜の靄がたちはじめて、やっと小角はわれにかえり、ぼう然と闇の中に立った。……美しいものへ放心できるこころ、これこそ世尊の説く正覚(しょうがく)というものではあるまいか。かれは、豁然として悟った――。この心を、常住坐臥(じょうじゅうざが)、一分の迷いも瞬時のみだれもなく持続しうるものこそ、仏というものであろう。小角、いや優婆塞役ノ行者(うばそくえんのぎょうじゃ)はここで仏となった。……大峰をとりまく山なみは花びらのごとく重なり、結跏するこの岩こそ、その蕊(しべ)のごとくであろう。あの不二の麓でみた睡蓮、この岩に結跏すれば、あたかも巨大な蓮台に座るような心地がする。浄土とはおそらくこういうところであろうし、仏たるものまたは仏たらんと思うものの座るべき場所は、地上ただ一カ所、ここをのぞいてはもとめえまい。(『睡蓮』82-84p)

★山茶、わけても白椿が好きである。つばきは、正しくは椿といわない。椿はセンダン科のチャンチンの漢字であり、山茶というのが正しい。(『白椿』101p)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月26日金曜日

『四季』より「6月舟歌」

  FMを聞いていると聞き覚えのあるメロディーが流れる。それも同じフレーズが何度か編曲して繰り返される。これは何の曲なのかをradikoで調べるとチャイコフスキーの『四季』より「6月舟歌」だった。さらにYOU TUBEを検索すると「切ない」のキーワードが添えてある。確かに聞いているとなぜかそんな気持ちがしてくる。

 ラジオやテレビなどのメディアで音楽を聴いているといい曲なのに曲名がわからないことがある。が、今はラジオであればradikoなどで瞬時に調べられる。

 3日日間ほど冷たい日が続いた。今朝も冷たい朝だ。が、日差しがあるので暖かくなりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月25日木曜日

ドラッグストアへ

 燃えるごみを出しに外に出ると辺りは薄っすらと雪景色だ。まず目にしたのは山側に建つ家の屋根の雪。地面を見ると雪はない。が、わが家の狭い庭を見るとこれまた真っ白だ。雪、を見ただけで寒さを感じる。が、明日からは気温も2桁と少しは温かくなりそうだ。

 昨日午前、冷たくても家の前にあるドラッグストアへ出かけようとした。そのとき声をかけられる。〇〇さんの家はどこ?と。住所を聞けば町内地図があるので調べればいい。その人はスマホで住所を探している。番地を頼りに家を探すと〇〇さんの家がある。ここは同級生の家だ。

 昨日は気温が低い上に6つも注意報が出ている。家が判ったのでその家まで送ってあげる。が、吹く風は強くて冷たい。家の前のドラッグストアへ行く予定だったので上着を着ずに出た。何と寒い事か。ドラッグストアへはパソコンのマウスの電池の予備を買いに行こうとした。せっかく外に出たのだからとついでにここで買い物をする。牛乳などもドラッグストアで売っている。寒い日はスーパーでなくドラッグストアで買い物!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月24日水曜日

ちょっとしたアクシデント

 寒い日は何処へも行かない、と思っていたら日が射してきた。急遽 図書館へ行って本を借りる。読んでいる本は司馬遼太郎の『最後の伊賀者』。この後で読む本を、と思って『街道をゆく』(十)「羽州街道 佐渡のみち」と『花妖譚』を借りる。地元の図書館所蔵の司馬遼太郎の小説はほぼ読んでいる。が、小説のジャンルに入るかどうか知らないが『街道をゆく』シリーズも地元の図書館に所蔵されている。

 図書館を出ると気温は低くても日差しがある。生協に寄って買い物をした。一度外に出ると少しは運動になるのか体も温まる。気を良くして本を読んだあと、調理後の鍋や保存容器などを洗う。その時、アクシデント発生。ガラス製の保存容器を洗おうとして手に持ったら突然割れた。そして左人差し指が割れたところに当たった。すぐに傷テープを取りだして止血する。が、なかなか止まらない。大きな傷テープも貼ると止まったようだ。

 10本ある指も左人差し指の切り傷で不便この上ない。何もない日常の幸せをこういう時に感じる。お風呂に入るのも大変だ。母を介護していた時のナイロン手袋の未使用品がたくさんある。その手袋をはめてお風呂に入る。たった1本のちょっとした傷なのになんと不便な事か。

 今朝、恐る恐る傷テープを替えた。今日一日貼っていれば治りそうだ。ちょっとしたアクシデント。何もない日常のなんと幸せなことか。改めて感じる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月23日火曜日

『なるようになる』

  昨日午前は最高気温11度の予報で泳ぎに行こうと思った。と、その前に奈良行きの「おとなび」をネットで予約する。行きも帰りもスムーズに予約できた。さて、と気持ちがプールに向きかけたところで曇り空になる。気付けば午後3時を過ぎている。結果、一歩も外に出ず、プールへも行かずじまいになった。ナニゴトも思い立った時にすぐやらないといけない。

 今日から3日間は最高気温が5度を下回る予報だ。高気温が低いと外に出るのがおっくうになる。一日に一度は外に出るようにしているが寒い日に無理して出ることもないと自分を甘やかしてしまう。

 外に出ないと運動不足になる。これがよくない。椅子に座ってばかりいないでなるべく家でも動くようにしている。しかし、どういっても外に出るほどの運動量にはならない。

 家にいても日中はテレビを見ない。とはいってもパソコンやスマホでYOU TUBEやTvER、NHKプラスを見るのでこれはテレビと同じかもしれない。夜になっても見たいテレビがない。いろいろ探しているとBS12に行き着いた。鶴瓶と佐和子の司会で養老孟司が出ている。この養老先生に魅かれてテレビを見た。

 養老先生の最近の著は『なるようになる』とか。ナニゴトもなるようにしかならない!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月22日月曜日

大寒の時季に

 大寒の時季になるとお寺から寒行に参られる。今年の大寒は20日の土曜日なのでそれより前にお布施を用意する。寒行は年に一度のことでも(お寺に渡すお布施ののし袋は?)と気になりだす。黒白ののし袋は何か変、と思ってネットで調べると無地の袋でいいとか。夕飯を食べ終え、外も暗くなるとどこからともなく団扇太鼓の音がする。(我が家に参られる)、と思って玄関の外灯をつける。昨晩は2人で参られた。参られた後、お上人は毎年「今年もよろしく」と言って帰られる。この言葉の持つ意味は?と毎年の如く勝手に解釈する。が、なんとなく釈然としない。

 今年届いたお年玉付き年賀状の1枚があたった。当たった年賀状の差出人は九州のお坊さん。旅で知り合った人だ。40歳で初めて出かけた海外旅行。それから今日まで旅で多く人たちと知り合った。しかし。30数年の歳月でその大半は今となればこの世でなく遠くへ旅立たれた。再度会うことはできない。

 年賀状といえば欠かせない人がいる。その人の今年の年賀状は3人の子供さんたちの写真とともに「今でも広島は第二の故郷です」とある。初めてこの人に会ったのは20年以上も前のアジア塾だった。この塾に8年間通ったがその終わりころにゼミを担当された。京大を出たばかりで広島大学の助手をされていた。が、すぐに北海道大学に赴任され、今は大阪の公立大学の教授をされている。

 ゼミで初めて会った日、数人のゼミ生に対して多くの本を持参されていた。塾は1年単位で前半の半年はアジアに関する専門家の講義を受ける。そして、後半の半年は何班かのゼミに分かれて各自、課題を見つけてレポートを作成する。それまでレポートを書くという習慣がなかった。若い先生はゼミ最初の日に本多勝一著の『日本語の作文技術』を読むようにと話された。その時購入した本は今でも役立っている。

 届いた年賀状をしばし見入る。ネットで検索するとアジア塾で知り合った頃はまだ20代ですでに博士号を取得されていた。それからとんとん拍子で出世されている。この20余年の間にこの若い先生にお世話になった。それは社会人大学生として受験する際の勉強の仕方である。

 自分が思った通りの人生を歩んでいない、と思っている。べつに何の宗教の信者でもないがふとわが身を振り返った時、いつも何かに動かされていると気づく。会社リストラ後もそうだった。アジア塾に行くために途中にある交流プラザに何気なく立ち寄った。リストラ2週間後である。そこで目にしたのは社会人大学生募集の案内だった。それを1冊持って帰る。まさか50代半ばで再度大学生になるとは思ってもいなかった。案内書を読むと試験は4か月後にある。大学を受けてみようと思いつく。それからがさあ大変。そのころ先生はすでに北海道大学に赴任されていた。すぐにメールで相談した。その時、「過去問」を取り寄せるようにと長文のメールで教えてくださった。ありがたかった。

 人生、ひょんな出会いで思いがけない方向に進むことがある。思い返せばいつもそうだった。これから先は、さてさて……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月21日日曜日

青空文庫

 昨日は日本画教室の日。描いているのは雪山だが、葉っぱが落ちた細い枝を描くのに手こずっている。次回でこの絵を終える予定だがさてさて。前の週、無料で読める青空文庫について教室の人に教えてあげた。昨日、青空文庫の「ソラリ」で本を読んでいる、と感謝される。というのも、公務員だったが昨年、体調を崩して早期退職し、今は勤めていない人だ。そのため、暇さえあればスマホで無料で読める青空文庫が気に入ったそうだ。自分自身は「尚友」で読んでいるが「ソラリ」、と聞いたとき何のことかわからなかった。後で調べるとスマホのアイフォンは「ソラリ」対応らしい。アンドロイド仕様なので「ソラリ」は判らなかった。
 
 いずれにしても著作権切れの作品がネットで無料で読めるのは嬉しい限り。スマホがない時はパソコンや電子辞書に収めてある作品を読んでいた。ところが電子辞書だと読んでいるうちに電池切れになりやすい。その点、スマホはそれがない。というか、電子辞書に収めてある作品は1000冊。ところがネットだと1000冊どころかほぼ無限?にある。古い小説など、とくにネットで見ると便利だ。

 ちょっと前までは青空文庫も、いわゆる本のような仕様ではなく、ただ文が書いてある感じだった。ところが今の仕様は本そのものがネットに納まった感じで読める。先週、教室の人に教えてあげた時、無料で本が読めることに訝っているような感じに見えた。誰がそれをやっているのかとも聞かれた。ところが昨日の教室で何もかも合点がいったのか喜んで本を読んでいると言われる。

 まだまだいろんなことがネットで可能な時代に生きている。こういった便利なことは大いに利用しよう。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月20日土曜日

再興第108回院展を見に行く

 再興第108回院展に出かけた。雨模様のどんよりとした一日だったが院展会場に着くと行列ができている。例年ならば福屋八丁堀店と駅前店の2会場に分かれて開催の院展だが、駅前店に中央図書館が入るためか今回は八丁堀店の7階と8階に分散されて開かれている。平日のデパートはまるでジジババのたまり場みたいに思えるほど年寄りばかりだ。その中に自分自身もいる。今回の展示で樹木を描いた3人の絵に魅せられる。なかでも大矢紀の「北の山湖」がいい。解説を見ると「日本の各地を取材してきたが、北の地、北海道にはいまだ太古からの魅力あるおもかげを残すところが多く、何回も取材旅をしてあきることがない。むかしから、アイヌの人々が敬うカムイ北の山湖は、春夏秋冬その折々に風情があり魅了してやまない」とある。写真撮影OKとのことで「北の山湖」の絵とともに解説文も写した。

 今、日本画教室で二百三高地の雪山を描いているので特にこの絵が気に入ったのかもしれない。院展を見た後は金座街を抜けて本通りを歩こうとした。その時、新たにオープンしたらしいファストフード店が眼につく。お昼時なのかサラリーマン風の若者たちがお店に入ろうとしている。それにつられて入ると入り口のタッチパネル3台に行列ができている。これは面倒なことになった、と思って若者に聞くとカウンターで現金で払えばOKとのこと。言われたままにカウンターへ。注文は出来たがトレーに並んだものを見ると食べるのが大変そうだ。嫌な気持ちで食べたのがよくなかったのか、夜のご飯が食べたくない。これからはこういったお店は避けよう。体に悪い。

 駅の福屋までバスで移動。6階から9階まで図書館が入るらしく、お店の売り場が少ない。地下に行くと地下2階は様変わり中で百円ショップも撤退していた。なぜデパート内に図書館を、と訝るが既に公に決まったことで文句は言えない。それにしても行政のやることのなんとおかしい事か。新たな広島駅が着々と工事中だ。20階建てらしく完成すればJRも市内電車も3階から直結する。駅ビルが完成すればデパートもうかうかできない!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月19日金曜日

身内意識!?

 お風呂に入ろうとしたその時、ふとテレビに眼をやると最近、ハマっているお笑い芸人がテレビに出ている。テレビに出る機会が減った、と自身のYOU TUBEで話していた。それがテレビに出ている。お風呂に入る場合じゃない、としばしテレビに見入る。一日に一度もテレビをつけない日が増えた。それなのにたまにつけたテレビに推し芸人が出ている。ツイッターなどで知らせがあるはずと思うがそれもない。ということはかなり前に収録した番組かもしれない。

 日本画を習っている教室の人は一回り年下だ。その人は韓国の某グループを推している。そのため、その人たちのイベントがあると東京、大阪、福岡とあちこち追っかけていく。そのグループの話をする際の顔は生き生きとしている。グループの名前は知っていても興味がない者にとってはその良さがわからない。ところがファンともなるとその気持ちは半端ないようだ。ヒト・モノ・コトなどなんでもいい。自分で夢中になれるものがある人は幸せな人だ。それは人それぞれ異なる。なにも夢中になれず、シラケた人生よりも「好き」、があるほうが幸せにちがいない。

 いつもは早い眠りが昨晩はテレビが気になって11時就寝となった。久々にテレビを見た、と思えた。必死になってみる気持ちはまるで身内意識!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月18日木曜日

『尻啖(しりくら)え孫市』(上)

 『尻啖(しりくら)え孫市』(上)(司馬遼太郎 角川書店、平成二十年改版初版)を読んだ。司馬遼太郎はタイトルに「尻啖(しりくら)え孫市」とつけた時、女性の読者が減るのでは、と危惧したとか。しかし、以前からあった言葉らしくタイトルにした。この言葉はこの本で初めて知る。またこの本に出てくる「八咫烏」は以前、熊野本宮大社へツアーで出かけた際、ガイドから八咫烏について聞いて知った。ツアーに参加する前にこの本を読んでいたら、と思ったりするが、いずれにしても司馬作品を読んで多くのモノ・コト・ヒトを知ることができた。これから先も司馬作品を読めば読むほどいろいろとわからないことを知っていく!?これも本を読む楽しみかもしれない。

 以下はいつもの如く気になる箇所を記そう。

★雑賀党。――戦国最大の鉄砲集団である。(21p)

★信長は、自分の武将だけでなく、鄭重(ていちょう)にあつかうべき同盟軍の家康にさえだまって遁げたのである。信長らしい身勝手さだが、家康という男は、こういう仕打ちには、馴(な)れていた。何度か煮え湯をのまされた。それでも、家康からは裏切ることなく、律儀(りちぎ)に信長につき従い、こののちもかれのほうから攻守同盟の義理・約束を一度もやぶったことはなかった。この男のそういった律義さが、後年、諸大名に押し立てられる、いわば人間としての老舗(しにせ)になった。(166p)

★「尻(しり)でも啖(くら)え!」と、馬をかえして大手門にむかって逃げ込んだ。……寄せ手の先鋒は崩れている。いま城門をひらいて一せいに突進しなければ、脱出の機会は永久に来なくなるだろう。もはや、殿軍(しんがり)の役目は果した。(183p)

★「紀州雑賀党の盟主、本姓は、鈴木、素姓(すじょう)は日本にかくれ泣き八咫烏(やたがらす)の神孫(しんそん)、鉄砲衆のおびただしさでは根来衆(ねごろしゅう)とともに天下におそれられているわれらの名を知らぬか」「知らん」栗谷は、咆(ほ)えた。いつの間にか、藤吉郎が心配して、孫市の横にきていた。(197p)

★「わしは、坊主は好かぬ。阿弥陀如来などは尻啖(しりくら)えじゃ」(308p)

 とも阿r卦用も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月17日水曜日

「人生を豊かに、幸せに過ごすためのヒント」から

  最近見たネット記事に「イェール大学史上もっとも人気の心理学講座から学ぶ『人生を豊かに、幸せに過ごすためのヒント』」がある。それには幸せな人生のためのTO DOリスト」として4点あげている。以下はその4点。

  • 1日のなかで少し手を止めて、普段から当たり前だと思っているモノ、コト、人に対して感謝する気持ちを持つ時間をつくる
  • また、そのことについて少し書き出して日記をつけてみる
  • モノではなくコト、経験に対して時間とお金を投資する(例:思い出に残るような場所での食事や訪れたことのない場所へ旅行など)
  • 今自分に置かれている環境に対して、もしこの人がいなかったら? これがなかったら? と想像してみる

 そして文は以下のように続く。「サントス教授が教えてくれたこれらのアドバイスは、ここ数十年の研究の積み重ねにより実証されているもの。しかし、実はこれらは大昔に数多くの著名な哲学者たちが探究して突き止めた幸せの定義と重なる部分が非常に多いのです。その時代によって地位や名声、成功者の定義付けは、少し異なるかもしれませんが、どうやら人間が幸せになるために必要なことは時代を経ても変わらないようです。TO DOリストの項目は、どれも簡単に実行できるものばかり。毎日の生活に追われて、いまいち幸せが感じられないなら、是非一度試してみるのはいかがでしょう。」とある。

この記事は2019年9月10日公開記事を再編集して再掲している(執筆: saori)そうだが、メモとしてここに記そう。

 ネット記事も本でもそうだが自分にとって都合がいいモノ・ヒト・コトを取り上げているかもしれない。これもすべては自分が心地よく生きるための知恵!?

 特に3つ目に取り上げた「モノではなくコト、経験に対して時間とお金を投資する(例:思い出に残るような場所での食事や訪れたことのない場所へ旅行など)」があてはまる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月16日火曜日

『故郷忘(ぼう)じがたく候』


  『故郷忘じがたく候』(司馬遼太郎 文藝春秋、2012年新装版第12刷)を読んだ。気になる箇所を記そう。最後に記した段落は読んでいても涙があふれる。14代沈寿官氏が朴大統領の前で歌った「麦と兵隊」は子供の頃に聞いたことがある。が、わけもわからず聞いていたにちがいない。

★――故郷忘(ぼう)じがたしとは誰人の言い置きけることにや。と、老人は語りおさめた。「余も哀れとも思いて」と、南谿も共感したのか。ひっそりと書き添えている。伸老人が「故郷忘じがたく」といったかれらの故郷は、全羅北道南原(ぜんらほくどうナモン)城である。城の東に雲峰鳥嶺をひかえ、南に三浪大江をめぐらし、北西の天に盧峰山脈を望んでいる。……秀吉の朝鮮再役――慶長ノ役――のとき、明軍は全羅道をしずめる要塞として南原城をえらび、この城の損壊した場所を修理し、さらには城壁を増築して一丈高くし、城壁には砲穴をを多くうがち、城外の濠を深くし、濠のなかには明・韓でいう羊場墻(ようばしょう)、日本でいう馬防ぎを築き、城門には大砲三座をすえた。――賊(日本軍)……進ミテ南原ヲ囲ム。と、朝鮮側の「懲毖録(ちょうひろく)」に出ているのは。慶長二(一五九七)年八月十二日のことであり、南原城で守備をしていた沈寿官氏や伸老人たちの先祖にとってもっとも緊張した日であったであろう。……薩摩苗代川のひとびとの先祖は、この陥落の日、よほど奮戦したらしいことは家々の伝説に残っているが、どこでどう奮戦したのか、いまとなればよくわからない。沈寿官氏の先祖は貴族であったことはたしかで、どうやら王子をまもっていたらしい。いつ、どのようにしてつかまったのか。よほど、運動神経が鈍かでしたろうな。と、十四代沈寿官氏はかれの先祖たちの鈍さと不運について愛嬌を籠めて語ってくれた。とにかくも逃げおくれた沈姓以下七十人ほどの男女が島津勢いにつかまったのである。(23-26p)

★幕末、薩摩藩はこの苗代川村に大規模な白磁工場をつくり、十二代沈寿官を主任とし、この時期においてすでにコーヒー茶碗、洋食器の製造を命じており、これらを長崎経由で輸出して巨利を得、結果的にはのちの倒幕のための一財源となっている。さらに薩摩藩は慶応三(一八六七)年にパリでひらかれた万国博覧会に、幕府とは別個に日本における独立的な地方政権として参加したが、このときの出品のなかで異彩をはなったものは十二代沈寿官作の白薩摩であり、さらに明治になり同六年、オーストリアでひらかれた万国博覧会のときも、右の沈寿官作の薩摩焼大花瓶一対が出品され、すでに欧州で高名であった薩摩焼の評判をさらに高めた。これが苗代川のもっとも盛んであったときであろう。しかしながら明治後、薩摩陶業一般が藩の保護から離れたために往年の盛大さはなくなった。(40-41p)

★この日、日程によってソウル大学の大講堂で講演した。……沈氏は講演の末尾に、「これは申し上げていいかどうか」と、前置きして、私には韓国の学生諸君への希望がある。韓国に来て様々の人と会ったが、若い人のたれもが口をそろえて三十六年間の日本の圧政について語った。もっともであり、そのとおりではあるが、それを言いすぎることは若い韓国にとってどうであろう。言うことはよくても言いすぎるとなると、そのときの心情はすでに後ろ向きである。あたらしい国家は前へ前へと進まなければならないというのに、この心情はどうであろう。……最後に、「あなた方が三十六年をいうなら」といった。「私は三百七十年をいわねばならない」そう結んだとき、聴衆は拍手をしなかった。しかしながら、沈氏のいう言葉は、自分たちの本意に一致しているという合図を演壇上の沈氏におくるために歌声を湧きあがらせた。……歌は満堂を揺るがせた。沈氏は壇上でぼう然となった。涙が、眼鏡を濡らした。しかし背負うべき伝統の多すぎる沈寿官氏は、ここで薩摩人らしくふるまおうという気持ちが反射的におこった。涙を、ここで大いそぎで冗談に変えてしまわなければならない。……しかし、大合唱の潮にひたひたと圧されて、花火玉が湿めるようにそれは湿った。沈氏は大合唱がおわるまで壇上で身をふるわせて立ちつくしていた。……そのあと多少のいきさつがあって、朴大統領自身が会うという。日本人として単独会見を許されることは稀有であろう。……接見の場所は大統領の書斎であった。……「君の先祖が捕まったのはここだな」大統領は沈氏にこの話をして馳走してやりたいとおもったのであろう。ちょうど陸軍大学の戦術の講義のような正確さで両軍の兵力、配置を説明し、日時を明確にし、やがてすさまじかった南原城の攻防戦について語ってくれた。そのあと、晩餐の馳走になった。……晩餐のときしたたかに酔い、歌をうたいたくなり、われながら調子外れの歌を大声でうたってしまったのは、官邸の静謐さを害したかもしれぬと思い、すこし後悔した。歌は、軍歌「麦と兵隊」であった(64-68p)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月15日月曜日

シクラメンが咲いた!

 昨年の暑かった夏を越したシクラメンは芽を出してたくさんの葉っぱをつけた。無事花が咲くように、と願って冬になると家に入れた。気付けば小さな蕾がついている。先日来からシクラメンの花が咲き始めた。これから日を追うごとに花の数が増えそうだ。

 シクラメンの鉢植えは毎年のように買っている。しかし、買った年に花が咲き終わるとそのままほったらかしにしていた。ところがネット記事でシクラメンの鉢植えは花が咲き終わっても翌年芽を出すと知った。咲き終わった鉢植えを日陰になる紫陽花の下に置いた。記事で見た通りシクラメンは年を越して無事咲いた。大切に育てたシクラメン、毎年、咲く!?

年を越して咲いたシクラメン
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月14日日曜日

東大寺の柱の穴くぐりを見る

 今朝はマイナス1度と冷たい。日中は予想最高気温が11度まで上がるようだ。昨日は日本画教室の日。久々に教室の人全員がそろう。相変わらず大連の二〇三高地の雪山を描いている。この雪山は冬になるとすべての葉が落ちてただ枝だけの樹木になる。太い樹木もあれば細い木もある。この細い方の枝を描くのがむつかしい。

 絵の合間に図々しくも先生に院展のチケットについて聞くと「ある」とのこと。昨年の秋の日本画作品展で院展への出品は今後見合わせると話された。もう院展のチケットはいただけないものと思っていたら、たくさん持っておられた。それを一枚いただく。

 この頃、芸人のYOU TUBEにハマっている。YOU TUBEのアプリを開くといつも見ている人の動画もすぐに出る。古いのを見ていると仕事が休みの日は2度もプールで泳ぐという。いくら水泳が好きでも1日に2度はプールがよほど好きなのかもしれない。せいぜい1週間に1度が精いっぱいのモノにとってはそれを知って驚いてしまった。この人はすべてにおいてマメらしく、ナニゴトも長続きしているようだ。日記は13歳から毎日書き、インスタやツイッターも毎日アップ。インスタに至っては絵を描いてアップしている。何でも記録魔の人かもしれない。

 昨日、奈良の東大寺、薬師寺、興福寺などを旅する番組を見た。その中に東大寺の大仏殿の柱の穴くぐりがある。番組を見て初めて知ったことだが興味をもっった。この穴は大仏さんの鼻の穴と同じ大きさらしく、試すにも勇気が要りそうだ。バラエティ番組なのに結構興味をもってテレビを見た。

 東大寺も薬師寺も興福寺も小学校の修学旅行や個人でも出かけたことはあってもよくわかっていない。来月、奈良へ行く予定にしている。目的は県立美術館で開催中の特別展をみること。そこは東大寺や興福寺にも近い場所にある。美術館の後、久々にこのお寺へ行ってみる!?

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2024年1月13日土曜日

『街道をゆく』(十六)「叡山の諸道」

  『街道をゆく』(十六)「叡山の諸道」(司馬遼太郎 朝日新聞社、一九九九年第七刷)を読んだ。またいつものように気になる箇所を記そう。

★坂本の石垣はもとより、叡山の三塔十六谷といわれる数多くの堂塔伽藍、あるいは庵室、祠堂にいたるまでの建物をささえている古い石積みのすべて、「穴太築(あのうづ)き」といわれるもので、中世以来、日本の石垣築きの最高の技術水準を示すものであった。坂本の町にあっては石垣の美しさを堪能すべきだが、さらにはこの技術の伝統を背負った近江の穴太(あのう)衆への敬意を忘れるべきではない。(39-40p)

★子規と最澄には似たところが多い。どちらも物事の創始者でありながら政治性をもたなかったこと、自分の人生の主題について電流に打たれつづけるような生き方でみじかく生き、しかもその果実を得ることなく死に、世俗的には門流のひとびとが栄えたこと、などである。書のにおいが似るというのは、偶然ではないかもしれない。(52p)

★「大師」という称号がある。もと中国の風(ふう)で、中国皇帝が高僧に贈る死後の称号で、天台宗では最澄がよく知られているように伝教大師である。天台の大師は史上、六人いる。真言宗は開祖空海が弘法大師で、空海を含めて、七人である。しかし高野山で単に大師といえば、空海ただひとりをさす。祖師への絶対的な個人崇拝は、密教の宗風であったといってよく、やがて鎌倉期におこる新興の宗派がこのまねをする。……叡山にのぼるひとで、単に、「お大師さん」というひとのなかには、この元三(がんざん)大師を指す場合が多い。(187-188p)

★坊さんの社会で「肉山(にくさん)」という、異様なことばがある。寺に付随する財産が多かったり、参詣人が多く賽銭がたくさん入る寺をいう。……叡山は、滑稽なほど肉山ではない。その理由は、元来が一山をあげて学林であったということにもよる。(203p)

★鎌倉・室町期の高野山にあっては、正規の僧はただ学問をしていればよかった。非正規の存在である聖という半ば乞食(こつじき)の存在が教義の販売を請けおって、常時数千という人数でもって諸国を歩いていた。空海――弘法大師――の超人的な神秘譚を創作しては諸国に撒きちらしてあるいたのは、この聖たちであった。叡山がもつ品のよさとはちがい、高野山には土俗がもつたくましさが、多少のまがまがしい色彩とともに残っている。(210p)

★信長は日本史にさまざまの新例をひらいた。集団大虐殺(ジェノサイド)もそれである。一九四八年の国連総会できめられたジェノサイド防止に関する条約では、ジェノサイドを「国民、人種、民族、宗教上の集団を迫害、殺害する行為」と規定される。信長は日本史上はじめてこれをおこない、のち伊勢長島の一向一揆の鎮圧のときに二度目のそれをやる。執行官の光秀は当初これに反対し諫めたといわれる。……光秀だけでなく、よほど嗜虐的な性格のもちぬし以外、好んでこの大虐殺を執行した者はあるまい。命令でうごく組織のおそろしさは、命令が個々の信条、思想を超えてしまうことだが、とくに光秀のように性格が几帳面で有能な場合、虐殺がたんねんなものになってしまう。洞窟などがあればかならず兵を入れてかくれている者をひきずり出して殺した。(266-267p)

★最澄や空海に敬称をつけて最澄上人、空海上人とはいわない。法然は、法然上人である。親鸞にいたっては妻帯したりしてまったく非僧(ひじり)であったために本願寺では親鸞聖人と称する。聖人(しょうにん)とは、価値観によっては当時痛烈な蔑称になっていた。本願寺がそれを逆手にとって尊称としたあたりしたたかなものといわざるをえないが、あるいはその意味を意識せずに漢語の聖人(せいじん)と重ねてそうよんでいるのかもしれない。おそらく現在の本願寺での語感は後者であろう。(290-291p)

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2024年1月12日金曜日

2024年初泳ぎ

 連日暖かい日が続いている。昨日の最高気温は12度。今日は14度の予想最高気温になるとか。あまりにもいいお天気なのでお昼に買い物から帰ると急遽、泳ぎに行こうとなった。すぐに用意をして自転車に乗ってプールへ急ぐ。午後1時35分、プールに到着。中に入ると歩いている人の集団だ。泳いでいる人は数人もいない。しかし、2,3人は浅い方にばかり泳いでいるので深い方で泳ぐ。背泳ぎで泳ぐのでクロールの人に迷惑がかかる。というのも背泳ぎはクロールほどのスピードが出ない。浅い方に移動すると2人がビート板で泳いでいる。

 ビート板を使って泳ぐと背泳ぎと同じようにスピードが出ない。同じような速さであればクロールで泳ぐ人に比べて気楽に泳げる。ところが2人してつるんで泳いでいるためプールの壁を陣取り、こちらとしては蹴伸びができない。申し訳ないけれども蹴伸びがしたい旨を話して2人の中を割く。気付けばいつの間にか2人がいなくなった。

 昨日は背泳ぎで10往復(500m)泳いだ。泳ぎ終えて水中歩行の人たちは集団でいなくなっていると気づく。更衣室にいた人に聞くとプールで知り合った人たちの集団らしい。

 1年近く前、プールを再開してからは以前の顔見知りがいなくなった。新たに顔見知りになった人は1,2名とプール利用のメンバーも変化している。幸い、水泳は集団でなくてもひとりで泳げる。これがもしかして自分に合っているのかもしれない。そういえば水泳にハマるきっかけを作ってくれた人、また日本画を習うきっかけを作ってくれた人たちは、いずれもとっくにリタイアしている。まるで人のお株を奪ったかのように1人愉しみを続けている。とはいえ、きっかけを作ってくれた人たちにはただ感謝しかない!

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2024年1月11日木曜日

♩勇気一つを友にして♩

 3月初めに日本の離島ツアーに参加予定をしている。昨日、旅行社からこのツアーの催行決定の知らせを電話で受けた。ツアーは広島空港からの直行便で五島列島に出かけて以来の飛行機利用となる。五島列島へは2021年4月に出かけているので3年ぶりに飛行機に乗れそうだ。利用する旅行社へは2月中旬にも日帰り旅を申し込んでいる。電話の係に日帰りツアー催行の有無を尋ねると申込者が今のところ10名ではっきりしないとか。催行なるといいけど。

 国内旅行はツアーだけでなく一人旅をしようと思えばどこへでも行かれる。ところが海外旅行はツアーであれば一人参加は大丈夫だが一人旅は行かれそうにない。というか、それだけの勇気がない。海外旅行は2020年1月に某会のツアーに参加したミャンマーで、それ以降4年間出かけていない。ところが勇気がある姪はこの年末年始を利用して12日間も中国へ一人旅をしたという。目的は上野動物園から中国に帰ったパンダを見るためだったようだ。多くの日本人がそれを目当てに訪れていたという。これを聞いて勇気がある姪におどろく。とはいえ姪は今回が初めての海外一人旅ではなくコロナ禍前まではいろんな国へ何度も海外一人旅に出かけている。ただ今回驚いたのは「今の中国」へ出かけたことに驚いてしまった。

 この話を知ったのは帰国日に姉が電話で教えてくれた。心配性の叔母に知らせず出かけたらしい。もし出かける前にそのことを知っていれば確実に心配してしまう。そう思えば知らせてくれなくてよかった!?それにしても何と勇気があることか。せいぜい国内を一人旅するのが関の山のものにとっては驚くばかり。自分が好きなことを窮めれば楽しい人生は間違いないだろう。

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2024年1月10日水曜日

『思いがけず利他』

 昨年6月、中村岳志の講演会に出かけた。講演会は以下に記した本のタイトルと同じだったと思う。図書館ですぐにこの本を予約。先日やっと順番が回ってきた。講演内容は本に書いてあることと同じだと本を読みながら改めてそう思った。中島氏が講演で一番初めに取り上げられたのがボランティア。ボランティアは「人の為」にとよくいわれる。しかし、この「人の為」は「偽」になる。「偽」を電子辞書の『新漢語林』で調べると【⑥「人為」自然のままなのに対して、人が意志や手をくわえること。用例[荀子、性悪]人之性悪(ひとのセイはアクなり)、其善者偽也(そのゼンなるものはギなり)。⇒人間の本性は悪である。それが善であるというのは人為の結果である。】とある。

 以下は『思いがけず利他』(中島岳志 ミシマ社、2021年初版)から気になる箇所を記そう。

★京都の東本願寺を本山とする浄土真宗大谷派は、このとき、テーマとして次のような言葉を掲げました。――「今、いのちがあなたを生きている」私は、特に大谷派の檀家ではありません。組織に属している人間ではありません。しかし、この言葉は親鸞の世界観を表す素晴らしい言葉だと思っています。生きていることを、主格でとらえています。しかし、この言葉は「いのち」の与格性を表現しています。……自力の限りを尽くした末、それでもなおどうにもならない場面に出会ったとき、私たちは決定的な無力を知ります。この「無力の場所」に立ち尽くしたとき、聞こえてくるのが仏の救済です。他力は常にやって来るもの。仏の声は「聞くもの」ではなく「聞こえてくるもの」与格的な存在です。……親鸞はボランティア的な活動に対して、そのように先行的に意義を考えようとする態度自体を否定していうことである。親鸞の場合、ボランティア的活動のみならず、他のすべての活動について、事前に異議を設定したい実践者の衝動を拒絶する。[木越2016:Ⅴ](91-95p)

★不二一元論(ふにいちげんろん)を説いたインドの宗教思想家・シャンカラは人間には利他を行うことなどできないと言います。利他は、人間の意図的行為ではない。人間の中を神が通過するときに現われるものである。そう説きました。利他的になるためには、器のような存在になり、与格的主体を取り戻すことが必要であると私は思います。数学者や職人のような「達人」は、与格的な境地に達した人たちであり、そこに現れた自力への懐疑こそ、利他の世界を開く第一歩ではないかと思います。(98p)

★「贈与」や「利他」の中には、支配という「毒」が含まれていることがあり、これが「利他」と「利己」のメビウスの輪となっています。自分の思いどおりに相手をコントロールしようとする「ギフト」は、「利他」の仮面をかぶった「利己」ですね。(112p)

★――利他は死者たちからやって来る。私たちはそのことに気づき、その受け手となることで、利他を起動させることができます。つまり、死者を「弔う」ことこそが、世界を利他で包むことになるのです。私たちは、死者と出会い直さなければなりません。そして、その存在や行為、言葉の上に私たちが暮らしていることを自覚しなければなりません。死者と対話し、自己の被贈与性に思いを巡らせるとき、そこに「弔い」が生じ、「利他」が起動します。私たちは死者たちの発信を受け取り、まだ見ぬ未来の他者に向けて、発信しなければなりません。歴史の静かな継承者になることこそが、利他に関与することではないかと私は考えています。(133-134p)

★人は不意に大切なものや人と出会うと、驚きます。何気なく手に取った一冊の本が人生を切りひらいてくれたり、たまたま美術館で目にした一枚の絵が、自分の心を開放してくれたりすることってありますよね。そのとき、私たちは「はっ」となり、驚きの表情を浮かべます。そして、不思議な力に導かれているという感覚を持ちます。――偶然性という「脅威」は、「形而上的情情緒」である[九鬼2012:235]。九鬼はそう言います。これは重要なポイントです。……すべては、私が意志を持って選択したものではありません、偶然という脅威によって成立しています。あらゆる存在は、与えられたもの、被贈与的なものです。そして、この被贈与性を「私」として受け止めたとき、「偶然」は「運命」へと姿を変えます。私は私という摩訶不思議な運命を生きていこうとします。……私は、私をめぐる「偶然」を、意志を持って引き受けることで、私を生きることができます。私を生きることは、私という偶然的な被贈与性を受け入れ、運命を能動化する作業です。――受動こそが能動。そんな反転した構造が、生きるということの根底にはあるようです。(151-160p)

★有限なる人間には、どうすることもできない次元が存在する。そのことを深く認識したとき、「他力」が働くのです。そして、その瞬間、私たちは大切なものと邂逅し、「あっ!」と驚きます。これが偶然の瞬間です。重要なのは、私たちが偶然を呼び込む器になることです。偶然そのものをコントロールすることはできません。しかし、偶然が宿る器になることは可能です。そして、この器にやって来るものが「利他」です。器に盛られた不定形の「利他」は、いずれ誰かの手に取られます。その受け手の潜在的な力が引き出されたとき、「利他」は姿を現し、起動しはじめます。このような世界観に生きることが、私は「利他」なのだと思います。だから、利他的であろうとして、特別なことを行う必要はありません。毎日を精一杯生きることです。私に与えられた時間を丁寧に生き、自分が自分の場所で為すべきことをなす。能力の過信を諫め、自己を超えた力に謙虚になる。その静かな繰り返しが、自分という器を形成し、利他の種を呼び込むことになるのです。(176-177p)

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2024年1月9日火曜日

成人の日に

 昨日、三越の眼鏡売り場へ出かけた。出かける寸前に祭日と知って一瞬行くのをためらう。しかし、予定通り街中に出かけた。眼鏡売り場に着くと店頭にあるメガネフレームをざっと見る。2,3年くらい前に眼鏡一式作ったことがあるが、その頃よりも格段に値上がりしている。フレームだけなのに5万円前後する。すぐにカウンターにいる係と話をする。つるの外れた眼鏡を見せると15分ほど待つようにとのこと。ついでにもっている中で一番高かったCOACHの眼鏡も見てもらう。それは昨年夏の暑さでなったのか鼻に留めるところがグリーンがかっている。ネットで調べるとそうなる、とある。この眼鏡も修理ができるらしく、ただブランドの部品でなく一般のもので取り換えるらしく待つようにと言われる。

 店内をウロウロして30分後に眼鏡売り場にもどった。何と両方の眼鏡とも修理してある。それも新たに購入した眼鏡のようにきれいになっている。代金を問うと不要とのこと。そう聞いて何と親切、と感激してしまった。親切を無にしないためにも、と眼鏡ケースと係が使用していたスプレー式の眼鏡レンズクリーナーを購入した。これからも眼鏡売り場でお世話になるはず。ずっとこの売り場を利用しよう。

 7階の眼鏡売り場から地下の食品売り場で久しぶりに夜食べるアナゴ飯を購入。その後、本通りを歩き、先月、3coinsで買おうとしたステンレスの珈琲ドリッパーをさがす。が、係に聞くと今はガラス製とのこと。1600円くらいだったと思うがないと知って余計ほしくなる。何でも欲しい時に買わないといけない、と肝に銘じる。本通りからバスに乗って駅前の福屋へ。ここで軽くお昼を食べて我が家に帰る。

 家でゆっくりしていると夕方姉から電話がかかる。姪が我が家に来るという。大阪の大学に通っている姪の長女が成人式で着物を着ているという。その長女はこれから二次会に参加するらしい。そのため着物を着換えに来るという。

 今朝の地元紙を見ると市内のサンプラザでの成人式に8000人が参加したとか。男性は洋服姿だが女性は全員とも言えるほど着物姿だ。これにはびっくり。姪によると着物のレンタル料は10万円くらいと思って聞いたらその倍以上の金額だった。これにもびっくり。それに美容院での着付け代や髪の飾り付け、さらには写真館での写真代などいろいろ要るようだ。

 二次会までの時間がないとのことで我が家での慌ただしいこと。せっかく着飾った姪の長女の写真をスマホで写す。数枚撮った。それを姉夫婦にメールで送る。姉夫婦は孫の着飾った姿をじかにみていない。

 姪は着物をたたみながらしきりに「ばあちゃん」「ばあちゃん」、という。こちらは亡くなった母のことを言っているのかと思った。そうではなく姪の長女から見たばあちゃんのことでそれは姉のことだ。着物姿を見せてあげたかったのかもしれない。

 眼鏡では思ったほどの出費がなかった。が、それは姪の長女のお祝いへと消えた。

 成人式といえば自分自身を振り返ると人生で一番暗い時期だった。それを思うとその頃があるから今が楽しく思えるのかもしれない。何がよくて何が悪いのか、「過ぎてしまえばみな美しい……」、と歌にもあるようにそれはそれで今となってはよかったのだろう。

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2024年1月8日月曜日

「2024年はひとり旅へ行こう! 『ソロ温泉』でやってみたい10のこと」から

  新年早々、怪しいメールが入る。それはマイナポイント事業第2弾である。公のメールがHotmailで届く?と訝ってすぐに調べる。やはり怪しいmailだった。怪しいメールといえば利用したこともないAmazon、車がないのにETCカードなどが常連の迷惑メール。これらのメールはすぐに迷惑メールとしてOCNに報告している。

 迷惑メールではないが家の固定電話に迷惑電話がかかる。これもすべて迷惑電話として電話機に登録する。が、電話番号の登録がいっぱいになり、古いのから迷惑電話の解除をしている。迷惑電話は早くも5日からかかってきた。もちろん電話に出ないがすぐに迷惑電話として登録した。迷惑電話に登録すればたとえ電話がかかってきても電話の音はせずに履歴だけが残る。

 いやな話題から気分を変えよう。年始に見たネット記事に「2024年はひとり旅へ行こう! 『ソロ温泉』でやってみたい10のこと」(高橋一喜)がある。関心があるのでメモしよう。

①ひらめきで旅に出る

②車内でひとりカラオケ

③自分自身と対話する

④直感を信じてお店に飛び込む

⑤スマホ断ち

⑥ひたすら読書

⑦独泉

⑧ゴロゴロ、ダラダラ

⑨旅先での交流を楽しむ

⑩延泊する

 一人旅をしても特に温泉が好きというほどではない。お風呂には一日に一度入れば十分なのでたとえツアーで温泉地に出かけても何度も温泉に浸からない。この10のなかで⑥と⑧は自分にとっては当てはまらない。他はそうかもしれない、と思ったり。特に共感したのはのひらめきで旅に出る、のくだりである。この「ひらめき」がいい。ナニゴトも自分の直感というかひらめきで動いている。さて今日は!?

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2024年1月7日日曜日

2024年初めての日本画教室

 今年初めての日本画教室に出かけた。ビル3階にある教室までの廊下はひっそりとし、おまけに暗い。まだ本格的には始動していないのかもしれない。教室のドアを開けると2人しかいない。昨日は自宅最寄り駅に到着が遅れて一列車乗り遅れた。先生は2人だけの教室と思われたらしい。ところが遅れて入ったので3人での教室となった。休みの3人は旅行、観劇、歯科通いとそれぞれ新年から忙しそうだ。

 大連で写した雪景色を描いている。まだ樹木を描いていないがいつもながら前回までの絵を一人眺めては(うまく描けている)と自己満足する。他人が見れば何をおめでたい、と思われること間違いない。きっと先生もそう思われるに違いない。(これもまたご愛敬)、と思って絵を描きはじめる。ところが新年早々、日本画教室があるというのに一番大事な膠を忘れて行った。幸いまだ水で薄めていない膠を教室に置いている。少なくなったその膠を水で薄めて使用した。

 3人の日本画教室はお正月気分が抜けず、今一歩やる気が出ない。やはり皆がそろった教室が楽しい。次週は頑張って描こう。

 夜8時、ゆっくりしていると突然、眼鏡のフレームが外れた。右のフレームの蔓が落ちている。この眼鏡はかなり前に買ったもの。10年近く前には眼鏡の片方のレンズを壊した。その際、フレームはそのままで左右のレンズの両方を新たに替えた。今回のフレーム故障でレンズはそのままでフレームを新たにするつもりでいる。というのも近視がひどいためレンズが人よりも結構高価。そのため眼鏡一式となるとさらに高価になるからである

 新年早々のアクシデント。眼鏡はかけても視力が出ない。それにもかかわらず気休め程度にかけている。それなのに4個も持っている。1個壊れても予備がある。明日、三越に行ってお願いしよう。

 年末年始、いろいろと出費がかさむ。これも旅費を思えば安いことかもしれない。というか自分の体が壊れる代わり、と思えばありがたいこと!?母はいつも言っていた。お金が貯まるとろくなことはない、と。まあ、たまるほどお金は入ってこないが……。

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2024年1月6日土曜日

gmailから

  1年半弱前、ドコモで携帯の機種変更をした。その際、アカウントを3つ作った。作ったというよりも作らされた感じだが。その時の1つにGmailがある。昨年7月、携帯電話の契約を新たな料金体系に変更した。が、料金はそれまでよりも安くなったがキャリアメールの届けをしないと再度使えなくなると知った。キャリアメールが何のことかわからず係に聞くとドコモのメールと教えてくれた。これが利用できないと困る、と思って追加料金を払って継続。そのため初めに作らされたGmailは何に使うと?と疑問に思っていた。その頃、Gmailは1年間使用しないと削除されるとGoogleからの知らせで知る。しかし、Gmailを利用すればGoogleアカウントにアクセスできるとか。このあたりの詳しいことが今一歩理解できていない。

 最近、芸人などのYOU TUBEを見るうち、お気に入り登録をしようと思いつく。ツイッターなどと違ってYOU TUBEのお気に入り登録は鐘のマークを押せば登録となる。

 今朝はこれとは違うことで知ったことがある。来月出かける旅で最寄駅から宿までのアクセスを検索するとなんとホテルバスがある。これも検索方法を変えて知ったこと。ナニゴトも試行錯誤するうちにわかることもある。すぐにこのアイコンをスマホ画面に追加した。

 わからないことがわかると嬉しい。スマホデビューは遅かったがこの頃は大分慣れてきた。「わからなければスマホに聞け」、改めてそう思う。しかし、その問いかけにはキーワードも関係する。せいぜい友だち感覚でスマホに問いかける!?

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2024年1月5日金曜日

お墓参り&初詣

 年が明けて4日目ともなると世の中が動き出す。昨日、お墓参りを済ませるとその足で地元のお宮へ初詣に出かける。出していない人から3日に届いた年賀状。お宮からの帰りに無地の年賀状を買いに郵便局へ行く。仕事始めの昨日、郵便局は混んでいた。家に戻ると2通、年賀状を書く。ポストに入れると自転車に乗ってスーパーへ。お天気が良くてお墓参りの時もスーパーへ出かけた時も途中、上着を脱ぐほど暖かい。今日も暖かくなりそうだ。その反面、能登地方ではまだまだ救出作業が続いている。

 自分自身が世の中についていけないのかテレビを見ても面白みがない。ではラジオ?と思って聞こうとするが年始だけお正月気分を味合せようとするかのように邦楽が流れる。しかし、邦楽を聞いても全く面白くない。むしろジャズなどの軽快な音楽がいい。年末近くになってラジカセをいつもいる所に移動した。テレビもラジオもいいのがないならCDを、となった。CDも耳になじんだ曲は飽きてくる。いっそ、知らない曲であるジャズが心地いい。これはなぜ!?

 暇つぶしに思いを巡らせているうちに気づいた。子供のころから好きなものは音楽だった。そのためか、楽器に関してはいろいろと習った。が、今やっている水泳や日本画(絵)などは子供のころに一番苦手だった、と。それが今や音楽を超えて楽しみに変わっている。これは不思議だ。それも水泳に至っては細々ながらも40年も続いている。絵も10年以上続く。好きなことが長く続くとは限らない、と思った。この2つは自ら志願して始めたわけではなくヒトに強引に勧められてやり始めた。

 そういえば本を読む、ましてや今、ハマっている司馬遼太郎の作品に関してもヒトの言葉に左右されて読み始めた。それが読み始めてすぐにハマった。これから先もずっと読み続けるだろう。そう思うと何が楽しいことになるのかやってみなければわからない。これから先が楽しみだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2024年1月4日木曜日

2024年が始まった!

 穏やかな年末年始、と思っていた。その矢先に起こった大参事は恐怖としか言いようがない。発生から4日目を迎えた。早い救助が望まれるが、天災に対して何も手助けできない弱さがある。

 そんな元旦に配達される朝刊はいつもとは違って半端なく分厚い。例年ならば郵便受けに入れず門扉に置いてある。ところが今年にかぎって郵便受けに入っていた。朝、郵便受けの朝刊を出そうとするがなかなか出せない。やっと出せたと思ったら、お昼前に郵便受けを見るとまたも新聞が入っている。お正月早々、新聞取扱店に電話してその旨を話す。係曰く「朝刊を入れたかどうかわからなかったらしい」と。それにしても元日の分厚い朝刊を2度とも郵便受けに入れるとは驚き。

 能登半島を襲った大参事。年末ごろからテレビを見ない日が続いていた。年始は、と思ってテレビを見ようとするが大地震発生でテレビどころではない。それでなくても感受性が強く感情移入しやすい。気分を変えるべく本を読む。そしてYOU TUBEを見る。お正月の2日目、民放のBSで 醍醐寺の桜を写し出す。行きたいリストにこの桜を見ることを追加した。YOU TUBEで初めて知った保山耕一の映像を見ると何か気が休まる。奈良に在住とか。それも生駒のようだ。生駒は昨年、司馬遼太郎記念館に出かけた際、訪れている。そして奈良へは来月、一人旅をする予定。この頃はかなり奈良にハマっている。行きたいところリストがどんどん増える。まだまだ元気でいなくてはいけない。

 昨夜見たNHKのBSに「まいにち養老先生、ときどき……」がある。養老孟司が出演のテレビで御年86歳になるそうだ。何と28年前からブータンに通っているという。そしてブータンにお寺を寄贈している。寄贈と言っても元々はお寺の建立ではなかったそうだが結果的にお寺が建ったようだ。

 養老先生は28年前に初めてブータンに出かけたそうだ。それ以来、ずっとガイドをしてくれた人がコロナ禍のために観光業が成り立たず、オーストラリアへ移り住むという。この話を聞かされた養老先生。しばし考えた末、自身が東大をやめた際の気持ちとガイドの気持ちが同じように思えて前を向くようにと励ます。番組後半でこれからの生き方みたいなことを幼かったころ両親と遊んだ場面を回想して話す。今でも虫取りに夢中になり、全国に虫取りに行く中で「また来ます」と言って別れる。そのため、いつの間にかスケジュールが詰まるという。その辺りのことに思いを巡らせ、またブータンの風景が自分が育った原点と似ているとも話す。

 ブータンへは広島アジア大会が開催された1994年頃に出かけている。養老先生が出かけたころと同じようなころだ。映像で見る限り当時とあまりブータンの様子は変わっていない。もしももう一度行く?と問われれば多分、NOというだろう。というのもブータンは高地にあり、軽い高山病を経験している。それが嫌な所以かもしれない。と言いながらも、もう一回行きたい気もある。

 大参事で始まった今年のお正月。年末年始、ほぼテレビを見なかったが昨夜見たBSは気持ちを和らげてくれた。もともとドキュメンタリーが好きだ。86歳でブータンへ出かけた話を聞いてまだまだどこへでも行かれる、そう思った。これも元気であればこそだ。そういえば「心身」と書くこの言葉も大昔は「身心」と「心」が下にあったそうだ。「心」が上にある今では。ブータンがそうであるように「心」の安寧だけでは生活が成り立たなくなっている。ブータンのガイドがオーストラリアへ移住したように。近代化が押し寄せるブータン。これまでの農業中心だけでは厳しいものがあるのかもしれない、と養老先生は話す。

 何やかやといろんなことから始まった新たな年。気も新たにして……。

 ともあれこの一年も元気で楽しく過ごしましょう!