2024年1月22日月曜日

大寒の時季に

 大寒の時季になるとお寺から寒行に参られる。今年の大寒は20日の土曜日なのでそれより前にお布施を用意する。寒行は年に一度のことでも(お寺に渡すお布施ののし袋は?)と気になりだす。黒白ののし袋は何か変、と思ってネットで調べると無地の袋でいいとか。夕飯を食べ終え、外も暗くなるとどこからともなく団扇太鼓の音がする。(我が家に参られる)、と思って玄関の外灯をつける。昨晩は2人で参られた。参られた後、お上人は毎年「今年もよろしく」と言って帰られる。この言葉の持つ意味は?と毎年の如く勝手に解釈する。が、なんとなく釈然としない。

 今年届いたお年玉付き年賀状の1枚があたった。当たった年賀状の差出人は九州のお坊さん。旅で知り合った人だ。40歳で初めて出かけた海外旅行。それから今日まで旅で多く人たちと知り合った。しかし。30数年の歳月でその大半は今となればこの世でなく遠くへ旅立たれた。再度会うことはできない。

 年賀状といえば欠かせない人がいる。その人の今年の年賀状は3人の子供さんたちの写真とともに「今でも広島は第二の故郷です」とある。初めてこの人に会ったのは20年以上も前のアジア塾だった。この塾に8年間通ったがその終わりころにゼミを担当された。京大を出たばかりで広島大学の助手をされていた。が、すぐに北海道大学に赴任され、今は大阪の公立大学の教授をされている。

 ゼミで初めて会った日、数人のゼミ生に対して多くの本を持参されていた。塾は1年単位で前半の半年はアジアに関する専門家の講義を受ける。そして、後半の半年は何班かのゼミに分かれて各自、課題を見つけてレポートを作成する。それまでレポートを書くという習慣がなかった。若い先生はゼミ最初の日に本多勝一著の『日本語の作文技術』を読むようにと話された。その時購入した本は今でも役立っている。

 届いた年賀状をしばし見入る。ネットで検索するとアジア塾で知り合った頃はまだ20代ですでに博士号を取得されていた。それからとんとん拍子で出世されている。この20余年の間にこの若い先生にお世話になった。それは社会人大学生として受験する際の勉強の仕方である。

 自分が思った通りの人生を歩んでいない、と思っている。べつに何の宗教の信者でもないがふとわが身を振り返った時、いつも何かに動かされていると気づく。会社リストラ後もそうだった。アジア塾に行くために途中にある交流プラザに何気なく立ち寄った。リストラ2週間後である。そこで目にしたのは社会人大学生募集の案内だった。それを1冊持って帰る。まさか50代半ばで再度大学生になるとは思ってもいなかった。案内書を読むと試験は4か月後にある。大学を受けてみようと思いつく。それからがさあ大変。そのころ先生はすでに北海道大学に赴任されていた。すぐにメールで相談した。その時、「過去問」を取り寄せるようにと長文のメールで教えてくださった。ありがたかった。

 人生、ひょんな出会いで思いがけない方向に進むことがある。思い返せばいつもそうだった。これから先は、さてさて……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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