『尻啖(しりくら)え孫市』(上)(司馬遼太郎 角川書店、平成二十年改版初版)を読んだ。司馬遼太郎はタイトルに「尻啖(しりくら)え孫市」とつけた時、女性の読者が減るのでは、と危惧したとか。しかし、以前からあった言葉らしくタイトルにした。この言葉はこの本で初めて知る。またこの本に出てくる「八咫烏」は以前、熊野本宮大社へツアーで出かけた際、ガイドから八咫烏について聞いて知った。ツアーに参加する前にこの本を読んでいたら、と思ったりするが、いずれにしても司馬作品を読んで多くのモノ・コト・ヒトを知ることができた。これから先も司馬作品を読めば読むほどいろいろとわからないことを知っていく!?これも本を読む楽しみかもしれない。
以下はいつもの如く気になる箇所を記そう。
★雑賀党。――戦国最大の鉄砲集団である。(21p)
★信長は、自分の武将だけでなく、鄭重(ていちょう)にあつかうべき同盟軍の家康にさえだまって遁げたのである。信長らしい身勝手さだが、家康という男は、こういう仕打ちには、馴(な)れていた。何度か煮え湯をのまされた。それでも、家康からは裏切ることなく、律儀(りちぎ)に信長につき従い、こののちもかれのほうから攻守同盟の義理・約束を一度もやぶったことはなかった。この男のそういった律義さが、後年、諸大名に押し立てられる、いわば人間としての老舗(しにせ)になった。(166p)
★「尻(しり)でも啖(くら)え!」と、馬をかえして大手門にむかって逃げ込んだ。……寄せ手の先鋒は崩れている。いま城門をひらいて一せいに突進しなければ、脱出の機会は永久に来なくなるだろう。もはや、殿軍(しんがり)の役目は果した。(183p)
★「紀州雑賀党の盟主、本姓は、鈴木、素姓(すじょう)は日本にかくれ泣き八咫烏(やたがらす)の神孫(しんそん)、鉄砲衆のおびただしさでは根来衆(ねごろしゅう)とともに天下におそれられているわれらの名を知らぬか」「知らん」栗谷は、咆(ほ)えた。いつの間にか、藤吉郎が心配して、孫市の横にきていた。(197p)
★「わしは、坊主は好かぬ。阿弥陀如来などは尻啖(しりくら)えじゃ」(308p)
とも阿r卦用も元気で楽しく過ごしましょう!
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