2024年1月16日火曜日

『故郷忘(ぼう)じがたく候』


  『故郷忘じがたく候』(司馬遼太郎 文藝春秋、2012年新装版第12刷)を読んだ。気になる箇所を記そう。最後に記した段落は読んでいても涙があふれる。14代沈寿官氏が朴大統領の前で歌った「麦と兵隊」は子供の頃に聞いたことがある。が、わけもわからず聞いていたにちがいない。

★――故郷忘(ぼう)じがたしとは誰人の言い置きけることにや。と、老人は語りおさめた。「余も哀れとも思いて」と、南谿も共感したのか。ひっそりと書き添えている。伸老人が「故郷忘じがたく」といったかれらの故郷は、全羅北道南原(ぜんらほくどうナモン)城である。城の東に雲峰鳥嶺をひかえ、南に三浪大江をめぐらし、北西の天に盧峰山脈を望んでいる。……秀吉の朝鮮再役――慶長ノ役――のとき、明軍は全羅道をしずめる要塞として南原城をえらび、この城の損壊した場所を修理し、さらには城壁を増築して一丈高くし、城壁には砲穴をを多くうがち、城外の濠を深くし、濠のなかには明・韓でいう羊場墻(ようばしょう)、日本でいう馬防ぎを築き、城門には大砲三座をすえた。――賊(日本軍)……進ミテ南原ヲ囲ム。と、朝鮮側の「懲毖録(ちょうひろく)」に出ているのは。慶長二(一五九七)年八月十二日のことであり、南原城で守備をしていた沈寿官氏や伸老人たちの先祖にとってもっとも緊張した日であったであろう。……薩摩苗代川のひとびとの先祖は、この陥落の日、よほど奮戦したらしいことは家々の伝説に残っているが、どこでどう奮戦したのか、いまとなればよくわからない。沈寿官氏の先祖は貴族であったことはたしかで、どうやら王子をまもっていたらしい。いつ、どのようにしてつかまったのか。よほど、運動神経が鈍かでしたろうな。と、十四代沈寿官氏はかれの先祖たちの鈍さと不運について愛嬌を籠めて語ってくれた。とにかくも逃げおくれた沈姓以下七十人ほどの男女が島津勢いにつかまったのである。(23-26p)

★幕末、薩摩藩はこの苗代川村に大規模な白磁工場をつくり、十二代沈寿官を主任とし、この時期においてすでにコーヒー茶碗、洋食器の製造を命じており、これらを長崎経由で輸出して巨利を得、結果的にはのちの倒幕のための一財源となっている。さらに薩摩藩は慶応三(一八六七)年にパリでひらかれた万国博覧会に、幕府とは別個に日本における独立的な地方政権として参加したが、このときの出品のなかで異彩をはなったものは十二代沈寿官作の白薩摩であり、さらに明治になり同六年、オーストリアでひらかれた万国博覧会のときも、右の沈寿官作の薩摩焼大花瓶一対が出品され、すでに欧州で高名であった薩摩焼の評判をさらに高めた。これが苗代川のもっとも盛んであったときであろう。しかしながら明治後、薩摩陶業一般が藩の保護から離れたために往年の盛大さはなくなった。(40-41p)

★この日、日程によってソウル大学の大講堂で講演した。……沈氏は講演の末尾に、「これは申し上げていいかどうか」と、前置きして、私には韓国の学生諸君への希望がある。韓国に来て様々の人と会ったが、若い人のたれもが口をそろえて三十六年間の日本の圧政について語った。もっともであり、そのとおりではあるが、それを言いすぎることは若い韓国にとってどうであろう。言うことはよくても言いすぎるとなると、そのときの心情はすでに後ろ向きである。あたらしい国家は前へ前へと進まなければならないというのに、この心情はどうであろう。……最後に、「あなた方が三十六年をいうなら」といった。「私は三百七十年をいわねばならない」そう結んだとき、聴衆は拍手をしなかった。しかしながら、沈氏のいう言葉は、自分たちの本意に一致しているという合図を演壇上の沈氏におくるために歌声を湧きあがらせた。……歌は満堂を揺るがせた。沈氏は壇上でぼう然となった。涙が、眼鏡を濡らした。しかし背負うべき伝統の多すぎる沈寿官氏は、ここで薩摩人らしくふるまおうという気持ちが反射的におこった。涙を、ここで大いそぎで冗談に変えてしまわなければならない。……しかし、大合唱の潮にひたひたと圧されて、花火玉が湿めるようにそれは湿った。沈氏は大合唱がおわるまで壇上で身をふるわせて立ちつくしていた。……そのあと多少のいきさつがあって、朴大統領自身が会うという。日本人として単独会見を許されることは稀有であろう。……接見の場所は大統領の書斎であった。……「君の先祖が捕まったのはここだな」大統領は沈氏にこの話をして馳走してやりたいとおもったのであろう。ちょうど陸軍大学の戦術の講義のような正確さで両軍の兵力、配置を説明し、日時を明確にし、やがてすさまじかった南原城の攻防戦について語ってくれた。そのあと、晩餐の馳走になった。……晩餐のときしたたかに酔い、歌をうたいたくなり、われながら調子外れの歌を大声でうたってしまったのは、官邸の静謐さを害したかもしれぬと思い、すこし後悔した。歌は、軍歌「麦と兵隊」であった(64-68p)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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