2023年7月31日月曜日

石狩川悲歌 

 頭を過るコトやひらめきを大事にしている。先日、メロディーが頭を過る。しかし、最初のフレーズだけで曲名はもちろん歌詞もわからない。スマホでハミングすると最初は反応がなかった。が、何度か試みると石狩川悲歌と曲名が出た。YOU TUBEで聞くと知りたかったのと同じだ。何と歌っているのは三橋美智也とある。

 小さい頃はテレビの時代ではなくラジオで育った。当時は歌謡曲全盛時代でわけもわからず聞いて覚えた。あれから数十年という月日が経ち、歌謡曲は廃れつつある。好きだった歌番組を見ようともしなくなった。それなのになぜか頭を過る古い曲。今はやりの曲と違ってなぜか郷愁を感じる。この曲を覚えようとYOU TUBEを流しながら歌ってみる。しかし、メロディーの高低差がありすぎて声がついて行かない。もしかしてこれは声を出すいい訓練になるかも、と思って歌っている。といっても歌詞は子供の頃に耳で覚えたのと違ってすぐには覚えられない。これぞ、歳を取ったということ!?

 先日、『〇學研究』が送付されてきた。このなかに年会費の振込用紙が入っている。送付された研究会誌は社会人大学生として学んで以降、ずっと取っている。しかし、昨年、誌面を見ると役員の欄に指導教官の記載がない。それ以来、会誌の辞め時を考えるようになった。昨日、担当者にメールでその旨を知らせる。これで研究会との縁が薄れるかもしれないが……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月30日日曜日

カボスのポン酢

 昨日のネットにマサイ族の第二夫人である永松真紀の記事がある。この人のことは2017年冬に出かけた屋久島の旅で添乗員から話を聞いていた。屋久島の旅の添乗員は永松と添乗員仲間だったそうだ。その当時、メディアに取り上げられた永松と添乗員仲間は南の島で合流したという。昨日から今朝にかけて2017年3月にアップした我がブログの『私の夫はマサイ戦士』の閲覧数が205人になる。まだまだ増えそうだ。メディアのすごさを改めて感じる。

 先日出かけた臼杵の旅でお土産に買おうとしたものがいつも行くスーパーにあった。旅に出て2000円分のクーポン券をもらう。これを早く使いたいと思ってホテルの売店で物色しているとカボスのポン酢があった。しかし、手にすると重すぎる。仕方なく臼杵の煎餅を買った。そのカボスのポン酢が我が町のスーパーで売っている。製造はフンドーキン醤油で臼杵とある。ホテルにあったものと同じだ。といってもホテルよりもスーパーの方が格段に安い。社名が珍しいのでネットで情報を探す。フンドーキンとは計量の「分銅」と創業者の名の一部である「金」からとって「フンドーキン」となったようだ。

 臼杵の旅の2日目、道で会った人と道連れになった。その人は生協で買ってお昼を家で食べようと言ってくれてお邪魔した。そして生協で買ったお寿司などをご馳走になった。食べようとするとお醤油がついてない。「ポン酢?」と問うと「ない」とのこと。そして少しだけ入ったお醤油と酢を出して混ぜて使うようにとすすめられる。家で料理をしないと言われていた意味がこれでわかる。その時、ホテルで見た臼杵の名産であるカボスのポン酢のことは思いつかなかった。ポン酢は毎日でも使うと言うほど使っている。それなのに家で料理をされないからポン酢は必要ないのかもしれない。

 近所でカボスのポン酢を買ったスーパーは本部が九州にある。そういえば臼杵の地図を見ているとこのスーパーも地図に掲載されていた。臼杵ではお土産として購入できなかったカボスのポン酢。これからは近くのスーパーで買える!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記) ポン酢はこれまで主に四国の馬路村のゆずポン酢を使っていた。これからはカボスのポン酢を使おう!
臼杵で製造のカボスのポン酢

2023年7月29日土曜日

『花咲ける上方(ぜえろく)武士道』(上)

 今年の土用の丑の日は7月27日(木)とか。この「土用」が何の意味かも知らずにこの丑の日にウナギを食べる、とスーパーのチラシで気づく。昨日、生協に行ってウナギならぬアナゴ弁当を購入。ウナギは口に含んだあの独特のにおいに負ける。その点、アナゴは嫌なにおいがない。しかしアナゴも焼き方で味が異なる。蒸し焼きよりも蒲焼きがいい。

 だいぶ前に読んだ『花咲ける上方武士道(ぜえろく)』(上)(司馬遼太郎 春陽堂書店、2022年新版改訂版第1刷)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★青不動は短い腕をあげてのびをすると、船内の闇に溶けた。その背を見ながら、(なんのために……?)と、則近はおかしさがこみあげてきた。なんのために刺客にねらわれたり、えたいの知れぬ軒猿にまもられたりせねばならないのか。公家の家にそだった則近には、自立して自分自身の人生を開くことにさほど興味がなかった。町人の家に養子にいけといわれれば、それもおもしろかろうと思ったし、粟田ノ法親王から秘密めかしい書状が来れば、ひょっとすると退屈ざましがそこに待っているかもしれないと思って、すなおに淀川のぼりの船に乗った。いつも自分の運命は、他人が決めてくれている。(71p)

★京へ潜入する者を、かれらの仲間では雅客(みやびきゃく)(官飛脚)といい、島津領へ潜入する者を薩摩飛脚という。当然、黒い雅客の跳梁は、尊融法親王の身辺に集中されていた。法親王のほうも、これらの雅客から、行動の秘匿や安全をまもるために、伊賀在国の者からこの技法の伝承をつぐ者を選んだ。宮方では、その者たちを軒猿とよぶ。名張ノ青不動と、その配下の下忍がそれである。(85p)

★「漢語で武士のことを貔貅(ひきゅう)とか申す。けものの所作にも負けぬ者が武士でござるぞ」(170p)

2023年7月28日金曜日

全国旅行支援の適用

 司馬遼太郎記念館から記念館会誌「遼」88号が送られてきた。これを見ると先月、「街道をゆく 南蛮のみち」にちなんで南蛮の旅をしている。南蛮はポルトガルやスペインを指しているが他にも意味はある。が、この誌面ではポルトガルとスペインへの旅である。この会から海外へ毎年のように出かけているのかどうかはしらない。が、次回もあれば行きたい気もするがさてさて……。

  旅行といえばこの頃はもっぱら国内の旅である。海外へと気も焦るが行きたい候補のNO.1である済州島はネットによると物価高騰などで人気が急降下しているとか。こういった情報を聞くと是が非でも行こうという気が起こらない。それでなくてもコロナ禍であり、海外の話になるともうどうでもよくなる。

 海外ではないが昨日、8,9月に3件ほどツアーを申し込んでいる旅行社から電話がある。なんと、3件とも全国旅行支援が適用とのことだ。日帰りツアーでこれが適用されると安いツアーになる。思わず旅行社の電話の人に「ありがとうございます」と言ってしまった。

 旅行支援は個人や団体、あるいはバス会社のバス利用ツアーなどいろんな条件で適用されるようだ。期間も県によっては11月まで適用のところもある。国や県の政策がどうなっているのか知らないが利用者にとっては有り難い。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月27日木曜日

夏本番!

 昨日の最高気温は35度で今日は36度となるようだ。これから先を見ても35,6度の日が続く。夏本番となった。こう暑くては毎日午前中に一度は外に出る、という習慣も実行できない。昨日の暑さはまさにそうで朝から暑かった。 

 あれこれ考えたが新たなWIFIのルータをネットで申し込んだ。スマホで操作しているとパソコンよりもスムーズにコトが運び申し込むことにした。申し込めば気になることも出てくるがこれまでも自分で何とかクリアしてきた。そう思って何とかなる、わからなければ聞けばいい、と気持ちを強くする。

 昨日、ブログのフォロワーが増えている、と気づく。何の取柄もないブログだがありがたい。見てくださる人がいる限り投稿し続けよう。

 臼杵の旅から帰って以降、梅雨も明けて暑くなった。今回の旅を改めて振り返ると臼杵の城下町をよく歩いた。次はどこへ、と思いを巡らすがこう暑くては頭もフル回転しない。しばらくはツアーに参加し、秋になって涼しくなったらまた一人でどこかへ行こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月26日水曜日

朝から……

 ドコモの組織変更に拠るのか昨日届いたOCNメールのWIFIレンタルサービスの新たな手続きに朝から戸惑っている。新たな機械を申し込もうとするがどうしても「同意する」の画面に戻らない。パソコンはスマホと違ってネット接続に関する新たなことを電話でなく大半をネットで申し込まねばならない。かなりの時間を費やしてやっているが少し頭を冷やした方がいいかもしれない。というか10時になってコールセンターに問い合わせよう。

 ナニゴトもすぐに解決したい。ところがそれもスムーズに出来ないとなると落ち着かなくなる。これではいけない。気を鎮めよう。それでなくても朝から暑い!

 生きてる限りすぐに解決できないことはたくさんあるはず。それなのに今すぐできなくてもいいことをすぐにやろうとする。これは困ったことである。

 話を変えよう。9月下旬に1泊2日のツアーに参加予定である。一昨日その旅の日程表と請求書が届く。まだ先の話だがなんとその旅も全国旅行支援が付いている。地方によってはまだまだ旅行支援があるのだ、と思った。泊を伴う旅は旅行支援の金額が髙い。旅費が安くなるのは有り難い事なので大いに利用させてもらおう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)ブラウザを変えてスマホで試みると申し込み画面に行きついた。とはいってもやはりコールセンターに問い合わせた後で申し込もう。

2023年7月25日火曜日

「絵はがき」は?

 臼杵の旅から帰って頭を過るモノがある。それは観光絵葉書。このキーワードが思いつかず観光ハガキで検索していた。するとポストカードのキーワードが表示される。さらに探すとやっと知りたかった「絵葉書」が出て来た。「絵葉書」というよりは「絵はがき」の方が旅にはふさわしい。

 コロナ禍もあって海外に行かなくなり、絵はがきを出す習慣がいつしかなくなった。と同時に人からも絵はがきをもらわなくなった。仕事をやめる前までの海外旅行では出かけた先からよく絵はがきを書いていた。ところがこの頃は絵はがき、というキーワードを忘れるくらい出さなくなった。それにしても観光地で絵はがきを売っているのだろうか。見かけないように思うがそれも自分で出さないからだろうか。

 さらにネットで調べるとメールの普及で絵はがきは少なくなっているそうだ。旅先で見なくなった絵はがき。これで妙に納得。

 梅雨明けと同時に急激に暑くなった。エアコンを一日中フル稼働をさせていいモノかどうか気になる。お昼前一度は買い物などで外に出る。帰宅後は暑くてエアコンなしでは生活できない。お昼から翌朝起きるまでエアコンなしではいられない。それでも4,5時間はエアコンを止めている。

 母を介護していた頃、一日のうちで気休めに10分くらいエアコンを止めていた。点けっぱなしだとエアコンが壊れる気がしたからだ。一度だけ購入後5年以内にエアコンの室外機が壊れた。保証期間内だったためにすぐに無料で交換してもらった。それ以外に故障はない。今、もしも故障したら人間が干からびそうだ。というよりも生きておれなくなる。エアコンが壊れない程度に稼働させよう。それにしても朝から暑い!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記

 絵はがき、を思いながらアップしていると筆で描くはがきの名が出て来なくなった。今、やっと出て来た。それは絵手紙だ。名が出ないのは暑さのせいではなさそうだ。エアコンよりも頭が壊れないようにしなくては……。

2023年7月24日月曜日

大分・臼杵の旅その3

2日目 2023年7月20日(木)

 その2から続く。午前8時半過ぎのバスで臼杵駅から臼杵石仏に向かう。臼杵石仏までの乗客はここでもただ一人。20分ほどで着く。まだ9時前だ。石仏の入観券を買おうとするが窓口は閉鎖されている。窓口は9時から開くようだ。1人だけ待つ人がいた。しばらくすると窓口が空いた。拝観券(550円)を購入時、臼杵の団扇をいただく。山道を歩けば蜘蛛の巣や小さい虫が飛んでいる。団扇は暑さ対策とともに虫よけとして重宝した。コインロッカーの有無を聞くと100円とのこと。それも使用後は代金が返却されるという。臼杵駅のコインロッカーは500円だった。小さいリュックなのに、と思って預けずに石仏まで来た。ここだと無料だ。リュックをロッカーに預けての旅はかなり楽。というのもその時点ではまさか濡れた落ち葉の山道を点在する石仏目当てに歩くとは想像さえしていなかった。しかし、リュックを預けたのでショルダーを肩にかけペットボトル、カメラそして傘をいれたナップサックを背負って歩く。軽装だ。
臼杵石仏への道
 臼杵石仏事務所でもらったパンフを片手に歩きはじめる。観光客は3,4人いただろうか。しかし、広い石仏巡りで誰もいなくなる。もらったパンフによると一回り800m、所要時間は約30分とある。これはただ見て歩くだけの時間のようだ。各石仏群には摩崖仏の浸食を保護するための覆屋(おおいや)があり、その外にQRコードが設置されている。それを読み取って聞きながら進むのだがそれだとコトは簡単には運ばない。というのもQRコードがすぐに読み取れない。先を行く人を見ると誰もそんなことをしていない。QRコードの読み取りはやめてゆっくり石仏を見て歩く。

 石仏群は4カ所に点在している。臼杵の石仏はすべて国宝であり、ホキ石仏第二群、ホキ石仏第一群、山王山石仏、古園石仏のすべて見て回った。それ以外にも山の中でウロウロしていたら時間があっという間に過ぎてゆく。これではせっかくの臼杵石仏近くにある今が見ごろの蓮の花が見られなくなる。時計を見ると既に10時を過ぎている。蓮の花は午前中に咲く。せめて11時までには蓮畑に行きたい。その時、前から歩く人がいる。その人に声をかけると蓮畑の方角を教えてくれた。なお石仏群の「ホキ」とは「岸嶮(がけ)」という意味の地名で、中尊とは左右に脇立ちを従えて中央に安置される仏像だそうだ。

ホキ石仏第一群
如来三尊像

地蔵十王像 中尊は地蔵菩薩

如来三尊像

如来三尊像

石造五輪塔
石仏群へは石段や木道の階段を上り下りする

石造五輪塔
 歩を進めるとどんどん山深くなり、爬虫類も動いている。かなり奥に入ったのだろう。さびれた神社があった。後で写真を拡大すると「山王宮」との扁額がある。そのそばにはこれまた古びて読めなくなった標識がある。「日吉社……」と。

山王山石仏
左右を脇に据えた中尊は童顔で隠れ地蔵とも言われる


古びた中を拡大して見ると「山王宮」とある
誰も訪ねて来ないのか風化した「日吉社……」
古園石仏
金剛力士立像 平成29年国宝に追加

切れ長の目の大日如来像
ホキ石仏第二群
九品(くぼん)の弥陀像
阿弥陀三尊像の中尊は阿弥陀如来像
九品の弥陀如来立像
 
臼杵の蓮畑

 臼杵石仏公園の駐車場入り口付近に蓮の花畑が広がる。出かけたこの日は蓮の花の見ごろとあって見物客が絶えない。蓮畑はA、B、Cと3つに区分けされているが一か所にある。旅に出る前まで臼杵観光協会のお花だよりをネットで見ていた。幸い、蓮の花は見ごろで見事に咲いていた。白い蓮の花は「しゃら」という名らしい。
真っ赤な色はアゾラ
 蓮田を見ていると鴨がいるが水面はなぜか赤い。(なぜ赤い?)と思ってネットで調べると真っ赤な田んぼは「アゾラ」というらしい。アゾラは「オオアカウキグサ」が繁殖したようだ。






離れた場所から見る蓮畑
 小さい頃、家の前の田んぼは蓮畑だった。他所の畑だが今は畑や田んぼは何処を見渡しても見られない。まさかこの年になって蓮の花の美しさに目覚めるとは不思議だがこれも歳を取ったということ!?蓮畑は時季を変えれば年中いろんな花を咲かせるらしい。

 11時近くになった。蒸し暑さも半端でなく臼杵石仏の観光案内所でバスの出発時刻まで休憩。11時半近くに遅れたバスが来た。とりあえず臼杵駅まで、と思っていたが終点のフェリー乗り場まで行く。この近くに臼杵魚市場があり海鮮食堂うすきでお昼を、と思った。ところがその選択は大間違い。海鮮食堂はお弁当を売っているだけで思ったような食堂ではない。係に聞いて臼杵魚市場を目指して歩く。
 
 と、その時、反対側の道を歩く人がいる。道を横切って魚市場を教えてもらうとその人はフェリー乗り場へ行くところだという。「用事で?」と聞くとそうではなく徳島に長女が住んでおり、フェリーの方角まで見に行くという。「魚市場?」と問うとないという。「地図にあるので場所を探している」と話すと近くまで一緒に行ってくれた。その辺りの人を探すも誰もいない。その時、歩く人がいた。話を聞くと魚市場はやってない、とのこと。あきらめて臼杵駅まで戻ろうと思った。最初に声をかけた人と話しているとその人は一人暮らしだそうだ。さっきまで絵を習い、それが終わったのでフェリー乗り場へ行って帰ろうとしたらしい。

 しかしフェリー乗り場へは行かずに一緒に臼杵駅まで行く。この日の午後は特急の発車時間まで三重塔のある龍原寺付近や再度臼杵公園へ行く予定にしていた。そう話すとその人の家が偶然にも龍原寺の付近だという。暇人同士が臼杵駅まで歩きながらよもやま話をする。しばら歩いているとその人から臼杵駅付近は食べ物屋がないという。駅前の宿に泊まっているので納得する。生協に拠ってお昼の食べものを買って家で食べようとなった。(見ず知らずの人なのにえらい親切だ)と思いながらお家にお邪魔する。

 今年86歳になられるとか。話を聞くと代々医者の家系のようだ。旅先で見ず知らずの人の家でお昼を食べることはこれまでなかった。しかし昨年の10月から一人旅を再開して長府、京都、土佐に行ったどの旅でも道連れができた。まさか今回も、と思って我ながらビックリ。

 医院の裏に住まいがある。一人暮らしだそうで習いものの帰りには徳島に住む長女を思ってフェリー乗り場へ行くという。この話を何度もされる。(ちょっと変?)と思ったが何度でも聞いてあげた。とうとう特急が出発する1時間半前までお邪魔してしまった。その人は名残惜しそうでもう1つの駅が自宅から近いからそこから乗るようにという。しかし乗車チケットをすでに購入しており、また見知らぬ駅よりも乗ってきた駅から乗って帰りたい。今回の旅も「旅は道連れ世は情け」!? その人の家の近くに龍原寺がある。そこの三重塔を見て帰ろうとしたら工事中だった。

 臼杵の観光地の大きな施設はどこでもWIFIが通じた。昨年9月末、スマホに機種変更した。10月に出かけた長府や京都の旅ではスマホになれていなかった。しかし、今回はかなり慣れていたので便利さを痛感する。これからもなるべく機会を見つけて旅に出よう。とりあえず今のところは一人旅ではなくツアーに参加する旅を8,9月に3件申し込んでいる。本来ならば海外へ行きたい。しかし、もっと世の中が落ち着くまで様子を見ている。どういっても旅は最高に楽しい。まだまだ険しい道も歩ける。今回の石仏巡りで(まだまだ大丈夫だ。どこへも行ける)と変に自信をつけた。

 特急乗車後、レールの歪みで車内に立ち往生となり2時間近く帰宅が遅れた。広島駅に着くと臼杵とは比べられないほどの人の列。オールスターがマツダスタジアムで行われていた。楽しい旅は終わった。それにしても世の中、道連ればかり!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月23日日曜日

大分・臼杵の旅その2

 1日目 2023年7月19日(水)

 その1から続く。臼杵の城下町を歩く。城下町へは臼杵駅から歩いて行く。二王座歴史の道を歩くと「切通し」の標識がある。このキーワードは初めてだったが山などを切り拓いて人馬が通れるようにしたところだとか。この付近には善法寺だけでなく数えきれないほどのお寺があり寺町のようだ。お寺はどれも大きい。この界隈を歩いてもすれ違う観光客は数人くらい。その時、ツアーバッジをつけた観光客に出くわす。どこかのツアー客のフリータイムかもしれない。臼杵は観光地、それに加えて出かけた週は臼杵祇園祭が開催されるのに観光客が少ない。

切通し
 歩き続けていると神社に人が入った。つられて入ると八坂神社(祇園宮)だ。どうもここで臼杵祇園祭が行われるようだ。(どこでお祭りが?)と思っていたがブログ投稿中にこの神社がメイン会場と気づく。この神社にいると街中なのに山奥に入ったような気持になる。それほどうっそうと樹木が茂っている。その中に楠のご神木がある。
臼杵八坂神社
八坂神社の苔むした撫牛
八坂神社のご神木

 さらに歩を進めると水路がある。その中をのぞくと鯉が泳いでいる。この辺りは臼杵の元稲葉藩主の屋敷らしく有料の観光施設になっている。
水路右の建物が元稲葉藩主の屋敷

水路に鯉が泳ぐ

 稲葉家を過ぎると臼杵城跡に着いた。臼杵城跡は臼杵公園になっている。城跡へ登ろうとすると登り口の石段が工事中だ。しかし、注意して登るようにとの案内板を見て登ってゆく。かなりの石段を上ると大きな大門櫓がある。ここから入ると櫓の隅っこに誰かが座っている。お年寄りだ。しばし立ち止まって話をすると両手に山歩きなどで使うトレッキングポールを持っている。その人は城跡をずっと進むとフェリー乗り場が見下ろせるという。その人とわかれて歩いていると両手でポールをついて急ぎ足で通り過ぎる人がいる。先の人だ。腰が曲がった老女だと思ったら歩き方のなんと早いことだろうか。

 思わず「何歳になられますか?」と問うと「さあれ、60を超えてるかのう」と他人事みたいに言う。この言い方がおかしすぎる。ホテルで寝るときもこの言葉が頭から離れない。とっくに60どころか70、いやもしかしたら80歳にも見えるのに「60は過ぎてるかのう」、とは!?とはいえもしかしたらあの勢いある歩き方からすると60歳過ぎの人かもしれない。

臼杵城跡 登り口は石段の工事中。ここから結構登る

臼杵公園にある大友宗麟

大友宗麟碑
 臼杵城跡は大きな公園になっている。教えてもらったフェリー乗り場を見るために先へ進むと大友宗麟の碑がある。この辺りまで来るともう歩き草臥れて足が棒のようになる。
臼杵公園内にある大木
 公園の南方にある卯寅稲荷神社に着いた。朱塗りの派手な色が施され鳥居の数も半端なく多い。この鳥居をくぐって降りると市街地に出た。鳥居をくぐる途中で見上げると卯寅口門脇櫓が建っている。
卯寅稲荷神社



卯寅口門脇櫓
 臼杵の城下町を地図を手にしてよく歩いた。時刻は午後4時前。臼杵駅の案内所に顔を出して無事観光をした旨の話をする。そして翌日の臼杵石仏行きのバス停を教えてもらう。案内の人も観光客が少ないので親切に停留所を案内してくれる。そしてバス時刻表もくれた。ホテルのチェックインは早すぎるとも思ったが歩き草臥れたので宿にゆく。臼杵に着いた時点で宿代は清算済みだがチェックイン時、旅行支援のクーポンを受け取る。これは紙のクーポンだ。すぐに使おうと夕食事のビール代と珈琲代に半分使い、残りをホテルの売店で臼杵煎餅を購入。クーポンは有り難いはずなのに使用するにも考えてしまう。お土産を買っても荷物が増えるだけ。それにはビールなど飲んで使う!?

 ホテルで夕食を食べようとレストランに向かう。周りを見ても何か雰囲気が違う。(なぜ?)と思った。どの人も宿泊客とは思えない。作業着姿で外国語が飛び交う。ホテルは駅前にあるが食べ物屋などは見当たらない。そのため外国から仕事で来た人たちがこのホテルで夕食を食べるのだろう。臼杵の旅の初日はよく歩いた。この続きはその3で。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月22日土曜日

大分・臼杵の旅その1

  2023年7月19日(水)から20日(木)まで大分・臼杵へ一人旅をした。臼杵は初めての地で以前から行きたいと思っていた。「臼杵の石仏を見に行く」、と日本画の先生に話すと先生が絵を習われていた頃、当時の先生たちと出かけたそうだ。出かける前、先生から山道を歩く、と聞いていた。が、ネットで調べたが山道を歩くようには思えなかった。幸い歩くのは苦にならないのでそれほど気にも留めず出かけた。

臼杵駅前にあるレプリカの石仏
 海外に出かけた時、それも出かける地の大半が辺境ということもあって旅は一種の修行!?今回の旅は先生から聞いた通り、石仏巡りは修業に思えた。雨上がりの山歩きは油断すると滑りやすい。特に雨で濡れた落ち葉が散っている木道の階段を上り下りするのは危険である。このことだけを頭にしみこませて石仏を見て歩く。石仏も一か所にあるのではなく石仏群として点在している。

1日目 2023年7月19日

 石仏群のある付近に蓮畑がある。蓮の開花は午前中にかぎると知って2日目に行くことにした。
 
 広島駅発9時34分さくら545号⇒小倉駅10時23分着。小倉駅から在来線の乗り換えが初めてなので20分の余裕を持つ。小倉駅でソニック13号に乗車すると車内で何やら大騒動が起きている。「どうした?」と訝っていると小倉駅から向きが変わって運行とのことで先に乗車していた人たちが座席の向きを一斉に変えているところだった。小倉駅10時43分発特急ソニック13号⇒大分駅12時4分着。同じホーム向かい側から12時7分発にちりん7号⇒臼杵駅12時36分着。

 無事臼杵駅についた。しかし、降車する人は自分だけのようだ。出口に向かうと駅員2名が近づいてきて切符を受け取る。これも初めてのことでびっくり。観光地に着くとまずは観光案内所へ、と向かう。ここもひっそりしていて係から旅のパンフを貰う。宿を問うと目の前にあり、大きな石仏が鎮座しているのが目に入る。石仏のレプリカだ。そこには城下町臼杵の標識もある。まずはショルダーとリュックのうちリュックをホテルに預けに行く。その際、宿代の清算を行う。今回の旅も全国旅行支援が適用される。そのクーポンはチェックイン時にとのことで身軽になって臼杵の街に繰り出す。

 観光案内所でもらった「臼杵みてある記」のマップを持って歩く。が、その一歩につまずく。ホテルの係に「どの道を」、と聞くと鳥居のところまで行けば臼杵の観光案内がある、と教えられる。2日間、臼杵の街を2往復位した。本当に良く歩いた。万歩計は初日が1万2千歩。2日目はなんと1万8千歩も歩いていた。

 鳥居を目指すとすぐにあった。しかし、誰一人観光客はいない。またお店の大半はシャッターが下りている。これではお昼ごはんも食べられない。気を取り直して地図を頼りに歩いていると臼杵市観光交流プラザに着いた。中に入ると人が入ってきた。(観光客?)と思って話をするとこの地の人だ。ここを出ると近くに「サーラ・デ・うすき」という大きな建物が見える。中に入ると係の人が出迎えてくれた。相変わらず誰もいない。この人と話していると広島にいたとか。西原に住み、アストラムラインのことをよく知っていた。広島から来た、と話すと驚かれる。親切な人で食事場所を聞くと敷地内にカフェなどがあるという。

 この地は何年か前まで大分銀行だったそうだ。それをリニューアルして「気楽に語り合える空間、臼杵の旬の情報発信、野外イベント開催など様々な楽しい場を提供している」とパンフに書いてある。教えてもらった「リーフデカフェ」に入ると先客がいた。落ち着いたお洒落なカフェでオムレツのようなハヤシライスのような食べものと珈琲をいただく。食事をしていると雨になる。が、雨も小降りになり蒸し暑さはあるが雨がミスト感覚に思えて涼しく感じる。

 このあたりが臼杵観光のメインらしく、ここを出ると「二王座歴史の道」になる。相変わらず誰も歩いていない。地図を片手に歩いていると人の声がする。お寺の境内からだ。中に入ると和尚が外国人に説明している。外国人はフランスの5人グループ。和尚に聞くと寺にいるときに訪ねてきた観光客には案内するとのこと。「いまから月参りに出かける」、と話されていたが感じのいい和尚だった。お寺の名は真宗大谷派の善法寺。大きなお寺だ。この続きはまた後日に!
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

善法寺

2023年7月21日金曜日

長い道のり!?

  一昨日から昨日にかけて大分県の臼杵に出かけた。臼杵は石仏で有名で以前から一度は行ってみたい場所だった。2か月前、JR西日本の情報紙に臼杵の掲載があった。これを見て臼杵へ行こう、と思い立つ。その時、まずは宿を、と思ってネットで探すと臼杵駅前にいい宿があった。宿の口コミを見ると悪くない。その場ですぐに電話して宿を予約する。その時点で旅行支援云々は気にせずに予約すると7月20日までOKとのこと。これには驚いた。

 JRの予約は1月前から。それまでは臼杵の旅の日程を考える。6月半ばにJRのチケットをネットで予約。広島⇔小倉は「おとなび」利用で予約した。おとなびは利用するにも制限がある。それをクリアすべく日程を組まねばならない。ところが今回は帰りにアクシデントが発生。長い道のり(!?)となり、変更不可の「おとなび」もアクシデント発生で余儀なく変更できた。

 昨日は臼杵⇒大分(特急にちりん)、大分⇒小倉(特急ソニック)と乗り継いで次は小倉と安閑として乗車していた。ところが、中津駅で突如、ソニックが停車。中津⇒行橋の間で線路の不具合が生じたとの車内アナウンスがある。線路内の不具合で列車が止まることは山陽線や呉線でもたびたび発生するのでめずらしくはない。しかし、今回の遅れは2時間近く列車が止まり、長時間の遅れ発生は初めて経験した。1時間半経過後、アナウンスで新大阪以降の乗客は申し出るようにとのこと。ということは新大阪以降の乗客はもう新幹線には乗れない、というか、もう遅いのでこの日の運行はないということだろう。

 車掌は車内を何度も行き来し、乗客の話を聞いている。そうこうするうちやっと徐行運転ながらも列車が動き出す。1時間45分の遅れだ。その間、臼杵で買った非常食のおにぎりを食べる。旅ではいつも何かの時にと非常食を持ち歩いている。今回はこれが功を奏した。小倉駅に着いた。が、切符の変更でみどりの窓口は混雑するに違いない。そう思って改札を抜けるとき駅員に切符を見せるとその場でてきぱきと広島までの特急券を発券してくれた。これにはびっくり。なんでも困っているときは駅員を見つけて、と今回の旅で思った。その様子を見ていた後ろの人もみどりの窓口ではなく駅員に発券してもらっていた。

 おかげで2時間遅い新幹線だがすぐに乗れた。小倉⇒広島間は49分で着く。ところが臼杵を17時に乗った特急のソニックが停車して小倉まで2時間で着く予定が4時間の乗車となった。さいわい小倉駅の駅員の素早い対応ですぐに新幹線に乗車できた。今回、このことはこれから一人旅を続ける上で大いにいい経験になった。何でも困ったときはあれこれ考えずすぐに行動する。これに尽きる。

 広島駅に10時過ぎ無事到着。2日の旅の間中、人は何処にいるのか、というほど人を見かけなかった。が、広島駅新幹線ホームの赤いユニをまとった大勢のカープファンを見てびっくりする。オールスターがマツダスタジアムで終わった時刻だ。これは在来線のホームでも同じだ。広島駅では小倉駅で教えられた「駅員にチケットを手渡ししてください」の通り駅員にチケットを渡した。その際も駅員の対応は早い。

 今回は生憎帰りにハプニング発生の旅だったが、これも今となればいい経験。それにしても今回の旅も「道連れ」ができた。これについてはまた後日!楽しい旅は終わった!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月19日水曜日

「鎌倉」



 BSこころの歌を見ていると全く知らない曲が流れる。テレビの画面を見ても曲の表示がない。番組HPを調べると「鎌倉」という曲名だった。YOU TUBEで聞くも決して楽しい曲ではない。どこか戦争のにおいを感じさせる曲だ。曲名が判ったからと言ってこの歌詞を覚えようとは思わない。が、一度は聞いてもいいかなと思ってアップする。明治43年に作られた曲らしい。

 鎌倉へは一度だけ母たちと出かけている。いつかまたゆっくり行ってみたいところだ。さてさてそれはいつ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月18日火曜日

『史記(1)』(覇者の条件)

 母の月命日よりも一日早いお墓参りをした。最高気温34度の予報のなか、午前中にお墓参りをするが行くにも気合が入る。墓地に着くと相変わらず隣の2区画は何物かによって荒らされている。行く前からこのことが気になるがそれも他所の墓地とあってはどうすることもできない。

 家に帰ると汗びっしょりになる。着ているものすべてを着替えてしばし休憩するもすぐざま買い物に行く。途中、学校の生け垣に人が座っている。声をかけると半年くらい前の墓参り後に出会った人だった。今年90歳になるとか。暑くてもカートを引いて買い物に行くという。出会ったときは買い物帰りだった。話をするとしっかりした人で何でも自分でやるという。元気な人はこのあたりが違うと思いながら話を聞いた。

 『史記(1)』(覇者の条件)(司馬遷 市川宏・杉本達夫訳 徳間文庫、2005年初刷)を読み終えようとしている。以下に抜粋したように黄帝から始まる中国の歴史は常に武力による覇権争いである。これは読んでいても面白くない。『史記』は文庫で8巻くらいまであるが、1巻で読むのをやめて次は『史記列伝』を読むことにした。列伝は図書館で借りた『史記列伝1』の裏表紙に書いてあるように『史記』の中でも最も面白く人気が高いらしい。

 借りたのは平凡社の2010年初版第1刷の文庫で500頁もある。これは列伝の第1から第24まが収められている。このシリーズの『史記列伝2』と『史記列伝3』はなぜか図書館の蔵書にない。この列伝1を読み終えたら他の出版社の本を読むようにしよう。

 ブログを書きながら「黄帝」と「皇帝」の中国語表記が同じでは?、と気になりだす。念のため調べるとどちらも”Huang di”で四声も同じだった。これはなぜ!?

 以下は『史記(1)』から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★われわれは、かつてない激動の時代を生きている。その激動の様相を見定めるべきよりどころさえ、いまや完全に失われたかの観がある。歴史とは何か。人間とは何か。この、あまりに根本的な命題が、現実の課題として、われわれにつきつけられているのである。『史記』は歴史の原形であり、歴史そのものである。二千年前、漢代の中国に生きた史官・司馬遷が、みずから人間であることを放棄し、そうすることによって記録した世界像、それが『史記』なのだ。(6p)(『中国の思想』刊行委員会)

★紀伝体 司馬遷は、歴史をとおして人間を描こうとした。”人間とは何か”ということが、『史記』を一貫する命題だったといってよい。この命題に即し、おびただしい量の材料を処理する基準として独創されたものが、「紀伝体」とよばれる構成である。……本紀とは、歴史を動かした大もとと司馬遷が考えたもの、つまり王朝の歴史であり、世家は帝王をめぐる諸侯の家の記録であり、列伝は本紀と世家をめぐる英雄豪傑から、市井の庶民にいたる個人の伝記である。……歴史を年次を追って記録する平面的な「編年体」とは趣を異にして、それをあらゆる側面から多角的にとらえていこうとするこの構成は、中心をなす本紀を列伝の名をとって「紀伝体」と呼ばれ、『漢書』にうけつがれて、以後、中国の正史の伝統的スタイルとなった。(24p)(解題)

★黄帝は徳によって全土を治めた最初の帝王として描かれる。……徳による政治こそは『史記』の理想であり、また中国の理想でありつづけた。そして歴代の支配者はつねに徳治の看板を掲げてきた。ただし、理想の帝王たちの徳治は武力の背景をもっている。教化を拒む者には討伐が待っている。理想はつねに現実に裏切られるがゆえに、いっそう激しく追求されるのかもしれない。(30p)(解題)

★――中国人はしばしばみずからを「黄帝の子孫」あるいは「炎黄の子孫」と称する。……「黄帝」とは中国の大地の象徴であり、民族と文明の象徴であり、中国的世界の始祖として人びとの心に生きているのである。司馬遷の『史記』は聖王の記録〈五帝本紀〉から始まっており、黄帝はその冒頭におかれている。(45p)(1 聖王伝説の時代)

2023年7月17日月曜日

ICOCAは元定期券

 梅雨明けはいつになるのだろうか。蒸し暑い日々が続いている。この暑さの中、朝から工事の大きな音がする。小学校の工事だ。一昨日のICOCAの件ですぐに落とし主に返却できたのはICOCAが元定期券として利用していたことにある。一枚のICOCAであれば持ち主が誰だかわからない。が、働いてもいないのに習いものなどで街中に行くためにICOCAを定期券として4年前まで利用していた。半年単位で購入し、月に10日利用するだけで元が取れた。が、習い事を減らしたので定期券のままチャージしてICOCAとして使っている。今回、期限切れの定期券ながらも表面に利用区間や名前などの記載があり、功を奏したようだ。

 今日はこれから一日早いお墓参りをしよう。お墓に参る、というだけで朝から気合が入る。どういっても暑い!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月16日日曜日

帰り道は遠かった!?

 昨日午後は日本画教室の日。その帰り道は遠かった!?教室が終わるといつものように4人でカフェに入る。そのうちの一人が来月初めに台湾へ行くという。「なぜ台湾?」と聞くと以前、台湾の芸能人にあこがれてファンとなり年に10回くらい出かけていたとか。その後、韓国の歌手にもあこがれて韓国へも何度か出かけるという。しかし、今は台湾のあこがれの人をあまり見かけなくなったが台湾へ行くのは楽しみらしい。そのため、夫婦そろって中国語を学んでいるともいう。カフェでの話題はその夫妻の話が中心になった。

 カフェを後にして駅に向かって改札近くまで来たとき声をかけられる。一瞬、誰だかわからなかったが声でわかる。偶然とはいえ会うのは久しぶりだった。せっかくなのでどこかに入って、と思った。教室とさっきまでのカフェで珈琲を飲んでいる。近くにあるタリーズに入った。しかしここでも珈琲を飲めば短時間に3杯目の珈琲になる。珈琲はやめてどんなものかもわからずにチョコラテとサンドを注文する。時間的には夕飯時だ。教室の珈琲タイムでは教室の人が持参したミニヨンの大きなシュークリームをいただいた。その後のカフェでも少し食べている。タリーズのサンドは食べずに持ち帰る。

 久々に会った人とは某公社時代のバイト友だち。当時はまだお互い若かった。今から40年余りも前のことになる。当時、今とは比べられないほど人生の暗い時期を送っていた。何が楽しかったのだろうか、とも思えるほど楽しいことは何もなかった。(これではいけない)、(何とかしなくてはいけない)、と毎日そう思って暮らしていた。当時は今とは真逆の生活で自分から行動を起こすことは何一つしなかった。今思い返しても今の方が断然楽しい。どういっても今楽しく暮らしていることはすべてその当時はしていなかったことである。昨日、声をかけてくれた人はその暗い時期を知っている!?

 偶然とはいえ久々に会った人だ。その人はブログを見てくれているとのこと。スマホ画面にブログのアイコンがあるのを見せてくれた。その人は以前にも聞いていたがのど自慢に出るのを楽しみに歌を歌っている。昨日ものど自慢の予選に出場した際の裏話を教えてくれた。何でも自分の楽しみを見つけてそれに向かって行動する人は素晴らしい。その思いがあるのでいつかのど自慢の本選出場も夢ではないに違いない。

 久しぶりに会った友だちと別れて再度、駅に向かう。改札を抜けるとすでに3番線に列車が来ている。急いで階段を上がって列車に乗る。車内は(ここは外国か)、と思えるほど外国人ばかりだ。そのうちの一人から席を譲られる。これは申し訳なくて断る。その時点ではまさか我が家までの帰り道が遠くなるとは思っていなかった。自宅最寄り駅に着いた。バッグを探してもICOCAがない。駅員に「ICOCAを落とした」、と告げるとすぐに「名前は?」と聞かれる。目の前に一枚の紙がある。「○○駅に落し物があります」、との駅員の言葉だ。「どうされますか?一度ご自宅に帰られますか?」とも聞かれる。落し物はどうすればいいかを問うと郵送は出来ないとのこと。「じゃ、今からすぐにとりに行きます」と告げると出る列車を教えてくれる。が、それは間に合わないので10分後に出る列車に乗るようにと親切に教えてくれた。「切符は?」とさらに聞くとそのまま乗車を、と言われる。

 再度、落とした駅までJRに乗車。岩国行きのため広島駅での乗り換えなしで20分ほどで到着。駅の窓口に行くと係が用意した書類に記入する。記入はいいのだが自分を証明するものが何もない。仕方なくスマホのSMS画面からマイページを表示して名前と電話番号を見せるとOKだった。そして落とし物を受け取る。係にどこで落としていたかを聞くと駅のホームに落ちていたらしい。受け取るとすぐさま広島行きのJRに乗る。1,2時間の間に2往復すると外は真っ暗だ。そして雨も降ったいた。8時台の帰りの列車は先の7時台に乗った列車とは比べられないほどがら空き状態。なんだか遠くまで旅をしたような感覚に陥る。それにしても注意散漫!母がいれば怪我でなくてよかった、と言ってくれるかもしれない。が、我が家までの帰り道は本当に遠かった!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月15日土曜日

スマホの音量ボタン

 スマホでこちらから話す際はスピーカを利用している。そのためか電話がかかっても音が聞こえず、電話がかかったかどうかがわからないことがある。スマホの側面の音量ボタンを表示して「音量」表示の記号を見ると低くなっている。これではかかってきた電話が聞こえないはず、と思って音量を上げる。その際「着信音」「メディア」「通知」「システム」表示の左横に小さい四角い記号がある。これを触ると斜線が入る。この記号は何なのかが気になりだす。斜線が入ったままでもいいのか、も気になりだす。

 何時間か気になってネットで探しているとやっと昨日の夕方、同じ質問をしている画面が出た。四角の記号がそのままだと画面に字幕が出るとか。記号の名はわからずじまい。しかし、この記号が何の働きをするのかがわかってきた。携帯の機種変更時、トリセツを画面に表示させていた。ところがそれを読むよりもネットで検索して調べるほうが手っ取り早い。トリセツは削除した。

 以前だったらIT機器など買い替える度に分厚い紙のトリセツが付いていた。ところが最近は商品説明に関わるそれらの説明書は一切ない。ない理由が先の記号の件でもわかってくる。IT機器に関わらず、トリセツがなくてもネットで調べればわかる時代になった。とはいえ、これもネット環境がなければ困りものだ。

 蒸し暑い日は続く。梅雨明けはいつ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月14日金曜日

蒸し暑い日に

 広島空港からアジアの国へ飛ぶ航空機は今のところ保安官の人出不足などで台湾やソウル便しか運行されていない。先日のベトナム便も同じく人出不足でこの先の運行は未定のようだ。個人的には運行予定が未定になっている済州島への運行が待たれる。といいながらもメディアによると海外旅行は半数の人がためらっているとか。日に日にコロナ感染者が増えている状況ではそれも致し方ない。ただ、コロナ禍で海外へ行かれなかった年数のなんともったいない事か。やたらと歳ばかり取っている気がしてそれだけが気になる。そのためにも元気でいなくては、と朝から自分に発破をかける。

 と言いながら昨日泳ぎに行こうとしたが、雨が降るとか暑いとか言い訳をして行かずにいる。その底辺には無理して泳ぎに行くこともない、と自分を甘やかせている。暑い時季、帽子をかぶり、長い手袋をして自転車に乗るのも大変。行くだけで汗びっしょりになる。8月いっぱいは個人的にプールの夏休み!?

 旅行社から9月の日帰り旅の日程表と旅の請求書が送付されてきた。金額を見ると旅行支援が適用されている。その前に届いた8月の日帰り旅は同じ県なのに旅行支援はオーバーして適用されなかった。9月の旅は申し込んだのが6月と早かったので適用となったのかもしれない。

 海外へ行く気でいれば国内のバス旅は旅費的には何度でも行かれる。そのこともあるのか旅の募集があればすぐに飛びついてしまう。その前に今月は個人で出かけようとしている。久々の個人旅行なので気合も入る。新たな場所で新たな景色を目にするだけでもボケ防止になるとか。そこまで考えて外に出ていくわけではないが、もしかしたら底辺にそんな気持ちが潜んでいるかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月13日木曜日

ミニ薔薇とチョンギース

チョンギース(右上)
  3年くらい前、ミニ薔薇の鉢植えを貰った。すぐに一回り大きな鉢に植え替えると毎年花をつける。今年も梅雨前に花をつけた。しかし、花が終わると葉っぱは虫に食われて枯れた状態になる。ところが最近の大雨で虫食いの葉っぱのそばから新たな小さい葉っぱをつけた。今朝見ると新たな葉っぱに小さいチョンギースが止まっている。鉢を持ち上げても動こうともしない。

 チョンギースの仕業かどうかは知らないが大きく育った大葉も虫食い大葉になっている。以前、レモンの木を植えていた時はアゲハ蝶などの蝶々が飛んでいた。レモンの木を伐採後は蝶々や虫などは寄り付かなかったが今年はチョンギースや白くて小さい蝶などを見かける。

 チョンギースを写真に撮っていると目の前の小学校から今年初めてセミの鳴き声を聞いた。セミの初鳴きは桜の開花前線のように初鳴き全線図があるらしい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月12日水曜日

木曜島

 全国旅行支援のチラシを見て電話で旅を申し込む。すると先方はすでにそれは申込オーバーで適用されないとのつれない返事。だからといって旅を申し込まないのも何だか変。支援があろうとなかろうと行こうと思って電話している。電話後、これは催行決定かどうかを気にしているうちに旅の日程表が送付されてくる。すぐさま、コンビニに行って旅費を決済する。これよりもずいぶん前に申し込んだ旅がある。その旅行支援もあるかどうかは怪しいがその旅もどうであれ行く気でいる。利用する会社は旅の催行人数が多くなく、至って良心的な会社だ。この点がどういっても信用できる。

 旅費の決済後、図書館へ向かう。この頃は「史記」に関する本を読み、司馬遼太郎の作品から遠ざかりつつある。これでは生きているうちに司馬作品全部が読めなくなる。そう思って『木曜島の夜会』を借りる。木曜島、を島でなく鳥と勘違いしていた。本を読むうち木曜島、という島が豪州の北端にあると知る。島には金曜島もあるとか。この小説は昔、シャツなどのボタンの原料となった白蝶貝や黒蝶貝を探すダイバーの物語。日本人は海に潜る才能があるらしく和歌山県辺りの人が豪州でダイバーとなっている。ダイバーの採った貝からシャツなどのボタンになる。しかし、時代の変化とともに貝のボタンではなくプラスチックなどになっていく。この物語もまだ始めしか読んでいない。
 
 梅雨明けももうすぐと思われる。が、蒸し暑い日は続く。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月11日火曜日

久しぶりの電話

 連日降り続いた雨もやっと上がる。昨日、大雨の中、某金融機関が場所を移転して新装オープンした。雨の中、オープン記念品を貰いに行くかどうかためらう。その時友だちから電話がかかる。その旨話すと行くべき、とのこと。友だちからハッパをかけられてゆく気になる。到着すると大人数の関係者が車や人を誘導している。新たな店舗に入ると多くの白い蘭の鉢植えが目に入る。それを見ると新装オープンに相応しい。係に書類を渡すと我が家の担当者を呼んでくれた。挨拶をして記念品を受け取る。ゼリーや水ようかんの詰め合わせが15個入っていた。

 店舗へ行く途中、道ですれ違う人から声をかけられる。大雨の中なのに、と思って話を聞くと集会所へ行くという。雨の日に、それも大雨警報が出ているのに行事があるのだろうか、と思った。後で行事ではなく集会所へ避難しに出かけたのだと気づく。というのも、店舗からの帰りに隣町のサイレンが鳴り響く。大雨警報の避難呼びかけの町内放送だ。家に帰るとまたもスマホに隣町の緊急エリアメールが入っていた。

 昨日午後は雨も上がった。夕方、頭を過るモノがある。それは初めて就職した会社を30歳でやめ、それ以降、しばらく某公社でアルバイトをしていた。その時に知り合った人が頭をかすめる。その人の妹さんは昨年秋に亡くなられた。その姉妹にはよくしていただいた。特にバイト時代に知り合ったお姉さんとは水墨画を一緒に習ったり、山へ連れて行ってもらったり、といろいろとお世話になった。しかし、昨年の妹さんの不幸では何もせずにいた。また電話をかけてもつながらなかった。ところが昨夕、ふと頭を過る。電話をかけよう、と。すぐに家に電話すると通じた。

 お元気そうだ。これまで続けていた習い事を辞めずに続けたお陰で気持ちが救われた、みたいなことを話された。そして一人で住んでいる人も多い、と電話した私を例に話される。梅雨が明ければ暑い夏に入る。暑さに体が慣れたら近いうち会おう、と言って電話を切る。

 水墨画を一緒に習った時期からすでに40余年が過ぎた。その後その人は木版画を続けておられる。某カルチャーセンターが広島に開設して以来続けているとか。それ以外にもいろいろとされている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月10日月曜日

『司馬遷』その2

 今日で今年の梅雨は終わりそうに思える。が、1時間ごとの天気予報を見ると雨の量は時間が経つにつれて増えている。福岡周辺に大雨特別警報が出ている。その影響があるのかもしれない。(今日のJRは?)と調べると広島県内の山陽線は動いている。

 以下は『司馬遷』(武田泰淳 中央公論新社、2022年初版)から「人間とはなにか」「歴史とはなにか」に関する箇所を主にメモした。『史記』を読むにはこの『司馬遷』を読まずして理解できそうにない。それも一度くらいではむつかしすぎる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「動かすもの」は人間である。世界を動かすものは人間以外にない。政治的「人間」もまた人間である。その動力は何処からでもない。「人間」から発するのである。それ故、世界の歴史を書き、歴史全体を考えようとするものは、まず「人間」をきわめなければならない。文学史でもなく、文化史でもなく、倫理の歴史でもなく、戦争の歴史でもない。「人間」の歴史が司馬遷の書こうとするところである。「人間」の姿を描くことによって、「世界」の姿は描き出される。「人間」の動きを見つめることにより、歴史全体が見わたせるのである。そして「人間」の姿を見つめて行き、「人間」の動きを描き出しているうちに、いつしか「人間」は「政治的人間」と化して、世界を動かし、歴史をつくり出していることがわかって来るのである。根気よく、あせらずに、あたえられた記録により、自分の眼や耳のはたらくかぎり、「人間」の姿を追い求め、「人間」の動きを見失うまいとつとめているうちに、司馬遷の世界構想はおのずから出来上がって来る。それ故、人間を政治的人物としてとりあげる手段も、またこれ以外にはない。「本紀」を書くにも、「列伝」を書くにも、その方法はそれ以外にない。(67-68p)

★人間の個性などは、激しい大きな歴史の動きの中では、まことにはかない微小存在に見える。それだのに司馬遷は、その人間個性のはたらきに眼をそそぎながら、彼の歴史を書こうとしている。秦の始皇帝や項羽や漢の高祖や呂太后(りょたいこう)を大写しに写し出し、その個性的な特異な生き方をみつめることにより、「世界の歴史」を書こうとしている。「世界の中心」になるごく少数者の一生を書きつづけることが、歴史家にとって必死の業であることを、彼は確信している。……司馬遷の問題にしているのは、貧血性の近代人でもなく、ぐずぐずつぶやいている歴史家でもない。……「……僕は僕のことが一番大切なんだ。僕と世界のことが大切なんだよ。つまり人間のことがね。」「世界の中心」として、世界統一者としてあらわれた秦の始皇とはいかなる人物であるか?始皇に面接した尉繚(うつりょう)という兵学者のことばが、よくそれを示している。……「誰が何と言っても、どんな事が起きても」という絶対的な性格こそ、世界を動かす人物の性格である。「本紀」の「本紀」らしさは、人間のこの絶対的性格を追求するところにある。(82-84p)

★「鴻門の会」の面白さこそ「本紀」の面白さであり、「鴻門の会」を理解すれば「本紀」は理解しつくされたとも言える。「鴻門の会」では、まず二つの太陽が面会するのである。それだけでも人間宇宙の大異変である。項羽と高祖という「世界の中心」が顔を合わせるのである。(95p)

★孔子が世界史に占める位置を定めるのに、非常に似つかわしい文字がある。「喪家(そうか)の狗」。宿無し犬という言葉である。家あっての狗であるのに、その家がない。「喪家の狗」とは、世界中、よるべき場所なき文化人の姿をあからさまに示している。(122p)

★司馬遷は自己の不遇を嘆じ、天道非なりとみた。……「天道、是か非か」。天道すら信じられないならば、人は何を信じたら良いのか?自分である。自分の歴史である。「史記」である。天すら棄てたもの、天のあらわさなかったもの。それらの人物をとりあげ、あらわすのは、我司馬遷である。我を信ぜよ。極端な絶望の淵に沈みながら、もりあがってくる自信力、「伯夷列伝」は私達をおどろかすのである。伯夷の絶対否定が、かえって司馬遷の勇気を増すのである。「こころに鬱結するところあって、その道を通ずることが出来ず、往事を述べて来者を思うのである。」(「太史公自序」)自ら、読者のために「天道」をつくる。自ら「天道」となって、歴史を証明する、不敵な決意である。私は司馬遷が、とくに伯夷を尊んだとは考えない。しかし伯夷の境地を自らに擬し、伯夷の決意に劣らざる決意をかためていたと考える。(162p)

★司馬遷は物質主義者でも精神主義者でもない。彼は「人間の歴史」を書く歴史家である。彼は「伯夷列伝」を頂点に置き、「貨殖列伝」を下底に沈め、「人間列伝」を構成する。……「伯夷第一」と「貨殖第六十九」をあわせ眺める時、その間に挟まれた六十七の列伝が、如何に深い問題をひそめているか。おのずから覚ることが出来よう。……「列伝」を「歴史能」として眺め、その深い象徴的な意義を探ることは、「史記」を読む大きな楽しみである。(168p)

★司馬遷は、史記的世界を創り出したが、その結果、その中心が信じられなくなり、人間不信に陥った。日本人を優秀人間として絶対視している我々からすれば、これはとんでもない所業である。我々の場合は日本及び日本の中心を信ずることのみが、歴史に参加することになる。……「史記」は良書ではあるが、同時に危険書である。世界それ自体が、良薬であり、かつ毒薬である程度にそうである。……ことに史記的世界はおそろしい。真実だからこそおそろしい。だから棄ててはおけぬのである。(227-228p) 

2023年7月9日日曜日

ギターのマヌエル・バルエコ

 今朝のFMはギターのマヌエル・バルエコの演奏である。この人の名は今、初めて知った。雨の日曜日に聞くとなぜか気持ちが落ち着く。かなり気に入ったのか動画を探すとある、ある。この夏はジャパンツアーもあるとか。場所は東京など3か所でもちろん広島へは来ない。しばらくはこのギターの音にハマりそうだ。

 ギターは就職後、初めて自分で買った楽器である。その金額は家に入れていた額と同じで月収の6分の1だった。楽器は初めから安いモノでなくある程度のモノを買うべきとその後に気づく。ギターは短大時代の友だちと街中のYMCAに通って1年ほど習った。1年でやめてしまったがその後も楽器はいろいろと習っている。一番習うのが短かったのがギター。他にもエレクトーンを10年以上、フルートに至っては30年くらい習った。ギターは姉の家に預け、エレクトーンは市の大型ごみとして処分した。残るフルートは生きている間は手放さず、吹き続けるつもり。マヌエル・バルエコのギターの音楽を聴きながら書いている。

 昨日から降り続く雨。今日も一部列車は運行不能のようだ。昨日の日本画教室はJRも動いて大丈夫だったが、家に帰って以降、今まで雨は降り続く。

 昨夕はBS「神様の木に会う~にっぽん巨樹の旅」を見る。日本画家の西田俊英を取り上げていた。この人の絵は院展などで目にするが屋久島で1年間滞在して屋久杉を描いていることは知らなかった。画材一式を背負って屋久島の杉を描きに山を上がる。それもひとりで行くとか。時に泊りがけで山に籠るそうだ。描きたい巨樹にまずは両手を合わせてあいさつする。その姿を見ると巨樹が神様に思えるのかもしれない。母親の話なども出たがその際、眼から涙を流す姿もあった。御年70歳になるそうだ。巨樹に会いに行き、それを描く様を見るとこちらまでぼやぼやしてはいられないという気持ちにさせられる。

 昨日の日本画教室では土手の枯れ草を描く。これは当分続きそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記

 FMのマヌエル・バルエコの演奏も最後になってゆく。それは「タンゴの歴史」ピアソラ:作曲(ギター)マヌエル・バルエコ、(フルート)エマニュエル・パユである。ピアソラも、エマニュエル・パユも大好きな人たちだ。それにマヌエル・バルエコがギターを演奏している。素晴らしい!

 追記を書いている途中、ものすごい大きな音で緊急エリア・メールが入る。隣町からのメールだ。スマホにかえてから初めて聞いたのでスマホが叫んでいるように思えた。エリアが違っても隣町なのでこれも仕方ない。それにしても外はいつまでも暗い。大雨は降り続く。名ギ

2023年7月8日土曜日

今日のJRは?

 先週の土曜日に続いて今週の土曜日もJR運行云々、と怪しげなニュースが飛び込む。芸備線などはこれから時間の経過とともに運行中止になるとか。JRの駅情報を見ると山陽線、呉線は共に今のところは通常運転のようだがこれも雨の状況によっては運行の遅れや中止もありうるようだ。今日は日本画教室の日。先週はJRの運行不能で教室を休んだ。今日は運行不能にならないことを願うばかり。

 秋の台風と同じく七夕前後も大雨被害が多い。もしもバスツアーや旅の計画をこのあたりに入れていると集合場所や出発場所のJR広島駅さえも行くことができない。もうこれだけで旅はアウトになる。一日中雨だった昨日、駅のみどりの券売機は雨の日は混んでないはず、と勝手に思って発券に行く。先客に高校生2人がいた。平日の昼間なのに学校は試験で早く終わったのかみどりの券売機で切符を買っている。

 今月中旬に大分へ出かける予定。先日ネットで予約した新幹線と特急券と乗車券を昨日、みどりの券売機で発券した。9月以来の券売機での発券もだいぶ慣れてきた。しかし、4件の発券は一度クレジットカードを入れるだけで済むはずなのに要領を得ずその都度の発券となった。

 あと2、3日すれば今年の梅雨けとなりそうだ。しかし、梅雨が明ければ次は猛暑の季節になる。年を経るにつれてその日のお天気が気になる。べつにお天気によって体の具合が悪くなるわけでもないのに晴れているとやはり気分がいい。今日はあいにくの雨、それもJRの運行を左右するような雨の日だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月7日金曜日

ひょんなこと

 昨日、頭をかすめることがある。まだ司馬遼太郎に今ほどのめり込んでいなかった頃、『項羽と劉邦』の文庫本全3巻を買った。また、井上靖の『孔子』単行本もずいぶん前に買った。そして中島敦の文庫『李陵』も以前に買っていた。いずれも買ってすぐには読まずにいた本である。『李陵』はやっと昨日、読み終えたが『項羽と劉邦』『孔子』は数年前に読んでいる。

 最近、武田泰淳の『司馬遷』を買った。これを読み、先に取り上げた3点が「司馬遷」と関連がある、と気づく。いずれも史記の世界だ。このことが頭をかすめた時、このもとは40年前に始めた中国語にあり、さらにそれをきっかけに中国や海外に出かけるようになっていく。中国へはコロナ禍前までに11、2回出かけている。その究極はもしかしたらシルクロードの旅にあるかもしれない。シルクロードへ行かずにこれらの作品を読むよりも出かけた時に目にしたあの果てしない熱砂の砂漠に佇むとより一層、これら4点の物語が鮮明になり、古の中国に思いを馳せたくなるかもしれない。

 時に自分のこれまでの人生を振り返ることがある。自分の意志で歩んでいるかに思えることがそうではなく、ひょんなことの人との巡りあわせであったと気づく。その一番は短大を出てから初めての就職である。これはひょんなことからだった。その後のことも大いにひょんなことである。水泳も自転車も海外旅行も、さらには中国語を習うきっかけもそうだ。他にもひょんなめぐりあわせがたくさんある。

 ブログもひょんなめぐりあわせがあった。近年、ハマっている司馬遼太郎の本を読み始めたのも旅先で聞いたひょんな一言から始まった。そして今回の『司馬遷』もそうである。

 いずれもひょんなめぐりあわせがあった。これも自分にとっては本当にいいめぐりあわせに思える。これから先、どんな人生が待っているかわからない。が、ひょんなめぐりあわせでひょんな人生を突き進む!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記

 近年、ハマっている司馬作品の大半は図書館で借りて読んでいる。しかし『項羽と劉邦』『孔子』『李陵』は20年も30年も前に買っていた。買って積読状態の本を『司馬遷』を購入して読み終えた時、この4点を勝手に関連付けてしまった。そして司馬遼太郎はもちろんのこと、井上靖、中島敦そして武田泰淳の4人をも関連付けた。それはこの人たちはいずれも史記の世界と関係があると。

2023年7月6日木曜日

『司馬遷』その1

 『司馬遷』(武田泰淳 中央公論新社、2022年初版)を読んだ。読んだとはいえ内容を理解しているかと問われると疑問符が付く。武田泰淳の『司馬遷』は『史記の世界』とのタイトルがついたこともあるとか。司馬遷の書いた『史記』は今読み始めたばかり。それと同時に長年読まずにそのままにしていた『李陵』も読んでいる。

 以下は『司馬遷』に出てくる「李陵」のくだりを抜粋した。これを見ても『史記』を理解するには『李陵』を読まずに理解できない。それにしても『司馬遷』を読みながら『項羽と劉邦』(司馬遼太郎)、『孔子』(井上靖)、そして今読んでいる『李陵』(中島敦)は『史記』を理解するには必読の書と感じた。『項羽と劉邦』『孔子』は以前に読んでいるがもう一度読んだ方がいいかもしれない。

 昨日、以下のことを下書きにとどめながら史記と中華思想が気になりだす。ネットで検索するとNHKの高校講座に関連する動画があった。見逃し配信でなくネットで配信されている。これを見て高校時代に習った歴史は何だったのか、と改めて感じる。NHK講座は本当によく理解できる。いまさらながら、何を言っている、と笑われそうだがそれくらい高校生のころは歴史好きではなかった。今になって理解できることもある、とまたも感じた。

 そして『司馬遷』を読んで武田泰淳の他の著作も読もうと思った。『司馬遷』を通じて武田泰淳の著書もそうだが、他にも次々と関連する本を読みたくなる。ぼやぼやとしてはいられない、とまたもや思ったり。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★日常生活のきびしさ、政治家的存在のきびしさは、たえざるものである。「史記」を書かしめるためには、たえざるもの以外に、突如として起る転機が必要であった。司馬遷には、幸いにして、二つの転機があたえられた。一つは父の遺言。他の一つは、李陵の禍である。父司馬談は、「憤りを発して」死んだ。元封元年、泰山を祭る盛儀に列席できなかったためである。これは「漢家の封(ほう)を建てる」大典礼である。この大典礼に参加できないばかりに、彼は命を失ったのである。(49p)

★第一回の転機は、「彼に憤りを以て書け」と命じた。……漢代世相、漢代世界、漢代人間を、「憤りを以て書」かせるために、天漢二年、天は彼に、李陵の禍を下したもうた。彼が真の意味で現代史を書こうと、決意したのはこの事件によってである、と思う。(60p)

★司馬遷が李陵を弁護したのは、決して匈奴へ降伏した弱者としてではなかった。李陵こそは漢のために、全力をあげて匈奴を攻撃した強者である。真の弱者は銃後にあって強者ぶる刀筆の吏である。「この李陵が事を挙げて、一度失敗したからとて、一身の安全をはかり、妻子を安泰ならしめている官吏どもが、その非を責めて罪におとし入れんとするのは、小生の私情、真に忍び得ぬ悲しみであります。」忍び得ぬ悲しみ。忍び得ぬ悲しみをもって司馬遷は、匈奴問題を見守っていたのである。彼が悲しみをもって見守っていたのは、この問題ばかりではない。世界全体である。(226p)

2023年7月5日水曜日

想い出を持って行こう

 先日、ドコモで料金変更の手続きをした。担当の係はとても感じがよくドコモからアンケートのメールが届くとすべていい回答をした。一か所、回答記入欄がある。そこにも手際よく笑顔で手続してもらったことを記入。アンケート欄に笑顔で応対云々があったことにもよる。今回の担当者はこちらの料金変更で危惧していた気持ちを解きほぐすかのように和ませてくれた。お陰で変更後もこれまでと何ら変わりなく利用している。

 この頃、いつも利用する旅行社から旅の新聞折込チラシが入る。岡山県は9月になっても旅行支援がある。昨日の電話予約時点で早くも旅行支援の旅は予定オーバー。だが、旅行支援に関係なく8月と9月を1件づつ申し込む。前日には関西のJ〇Bから旅のカタログが届いている。これを見ると行きたくなる。ただ、国内の旅なのになぜ伊丹空港や新大阪から出発する、と思うと行く気がそびれる。この会社は1年余り前まで広島に支店があった。再度支店ができればよいのに、と思ってカタログを眺める。

 市内のバス会社の旅はどうしても近場の旅になる。そうではなくてまだ出かけていない観光地へ行きたい。

 母はよくあの世へは何も持っていかれないと話していた。その思いは年々強くなる。しかし旅の思い出はどんなに出かけても重荷にはならずあの世まで持っていける。その思いがあるので元気なうちはどんどん遊びに行きたい。それには旅が一番!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月4日火曜日

プールへ

 地元紙によると一昨日の大雨により防府天満宮境内の一部にがけ崩れが起きている。大雨は九州地方と山口県に被害をもたらしたようだ。災害はいつどこで起きるかわからない。出かけた先で起きるかもしれない。気をつけなければいけないが必要以上に気にしているとどこへも行かれなくなる。

 先日、友だちと宮島へ出かけた。その翌日、友だちは39度の熱が出たという。もしかしてコロナ、と危惧したが昨日病院で検査すると陰性だったそうだ。しかし医師は1週間ほど経過しているのでたとえコロナだったとしても治っていると話したとか。連日、友だちから電話がある。なぜ、と思ったらもしかしてコロナにかかっていないか心配して電話してくれたようだ。コロナのワクチンを一度も打っていない。が、必要以上に健康には気を配るタイプ。友だちと宮島へ行った後、3日目に防府に出かけた。そして昨日は泳ぎに行った。元気に過ごしていると友だちに話すと安心したようだった。

 友だちは3月からプールで水中歩行を始めた。プールを長年利用しているのでプールへ行くと風邪を引かない、と偉そうに話した。その矢先の友だちの高熱騒ぎである。高熱が出る前、友だちは週3回プ―ルに行って歩く、と張り切っていた。ナニゴトも頑張りすぎはよくない。そう思ったが忠告する立場にない。ところが昨日、もしかしてコロナだったかもしれないと聞いて「無理は禁物」と言ってしまった。

 40年近くプールで泳いでいる。週1回を目標に泳いでいるがそれでもコロナ禍の時は今年の4月の泳ぎ再開まで1年3か月泳がなかった。その間も風邪もひかずコロナにもかからなかった。個人的には長年泳いでいるお陰で元気、と思っている。これも人それぞれ。自分自身が人並み以上に弱かったと聞かされて育ったためか無理なことはしない、と決めている。

 昨日も500m泳いだ。一昨日から昨日にかけて蒸し暑さも半端でない。プールへ行くか行くまいか迷ったが勇気を出して自転車に乗ってプールへ行く。今年になってプールへ行く際の服装に気づいた。それは厚めの半そでTシャツがいいと。自転車を降りると汗が噴き出る。Tシャツの生地が厚いと汗を吸ってくれる、とこの齢で気づいた。海外旅行先で買ってきたTシャツはほとんど着ずにいた。今年の夏はそのシャツを着る!?だがこの何枚かのシャツは動物や遺跡、そして観光地の名が入っている。思い切って着よう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月3日月曜日

ドコモの料金変更

 10日くらい前、ドコモの料金変更を予約した。出かける数日前から変更に伴う疑問点をメモして出かける。1日からドコモは新たな料金プランを始めた。新たなプランは月のギガ数がこれまでよりも3倍増えて基本料金も2000円以上安くなる。基本料金は昨年秋のスマホへの機種変更前のガラケーよりも安い。しかし、これには条件がある。

 条件を見るとドコモ光とドコモカード利用がある。どちらも機種変更時にクリアしている。ただ、どこか落とし穴があるかもしれないと訝る。それはこれまでの料金体系と新たな料金体系とを比較して疑問点があることである。それを5件メモしてドコモに向かう。受付を済ませると待機するようにとのこと。その間も疑問点を聞こうと気も焦る。係がやってきた。いろいろと今回の料金変更について聞かれる。書いてきたメモを見せなくてもよいのにそれを見せながら聞いてゆく。メモ書きしたのは前回の予約時にある程度聞いていたことだ。

 話を聞いてもらうとやっと機械の前に座っての変更手続きだ。機械操作の手続きでは5分もしないうちに終わる。その後、プリントアウトした用紙を見せてくれる。数枚の用紙のうち、後ろ2枚は契約書にあるような細かい文字が書いてある。その時点で係は「これは読まなくていいです」という。しかし、家に帰ると事細かに書いてある文字の一文字ずつ読む。腑に落ちない個所があるとネットで調べてはその意味を調べる。かなり経過してやっと納得する。

 個人的にはスマホがこれまで通り利用できればそれでいい。そのはずなのにまだ欲があるのか安さを求める。しかしそれには気力と体力、そして頭を使う。ナニゴトも簡単におもうようにはならない。と同時に、これも凡々とした日常に新たな空気を吹き込むチャンス、といい方に捉える!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記

 ドコモに行かずにネットで料金変更を試みたことがある。しかし、その時点でキャリアメール、につまずく。これは後でドコモメールと知る。料金変更時、一番のネックはドコモメールの保持だ。もしも勝手知らずでネットで変更していたら、と想像するだけでぞっとする。今回ドコモへ出かけて手続きを済ませたことは正解だった。

 最近予約のために2回出かけたドコモ。ここでマイナカードの必要性を感じる。マイナカードはふとしたはずみでGWに取得したばかり。取得していて本当によかったと思った。しかしマイナ保険証は紐づけしたくない。

2023年7月2日日曜日

大雨の影響

 昨日、大雨の影響でJRは運行不能に陥った。そのため仕方なく日本画教室を休む。午後1時過ぎ、教室の人から「なぜ来ない?」と電話がある。早めに休む旨を先生の携帯に連絡していた。ところが、この日に限って先生は携帯を家に置いてこられたとか。街中に住む人たちはJRを利用せず、バスや車で教室に来ている。ところがJRを利用する者はJRがシティー電車になる前まではバスもJRと並行して運行していたが、シティー電車になって以降、JRの便数が増えて便利になったがその反面、バスは極端に少なくなった。その結果が教室に行かれなくなる。

 ひとたび大雨警報など災害が起きるとすぐにJRは止まる。昨日は午後2時過ぎから一部運行されたようだが、今朝の時点でもまだすべての運行ではない。というのも生まれてから列車の音で育っているので世の中が静かだと列車が止まった、とすぐにわかる。

 今回の大雨は先日出かけた山口県に被害をもたらしている。他県であってもメディアで被害状況を目にするのは絶えられない。災害や紛争のニュースは見たくないのでこの頃はテレビのニュースをほどんど見なくなった。そして災害の起きた日はテレビも見たくない。

 幸いこの頃はNHKプラスやTVerで視聴可能だ。この制度は本当に便利で見たい番組だけを見逃し配信で見られる。そして雨で外へ出かけない日は家でゆっくり本を読む。昨日から中島敦の『李陵』に挑戦。購入後、20年以上を経てやっと『李陵』を読み始める。読み始めは難しくて大変!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年7月1日土曜日

防府天満宮、阿弥陀寺、山口市菜香寺の旅

 2023年6月29日(木)山口県の防府天満宮、阿弥陀寺そして山口市菜香亭の日帰りバス旅に出かけた。小雨が降ったり止んだりのあいにくのお天気だったが、親切な添乗員のお陰もあって楽しく過ごした。

 今回の旅も全国旅行支援利用のためクーポン券が付く。バスが発車後、車内で添乗員からクーポン券を受け取る。しかし、この紙クーポンを利用できる箇所は1か所で36名の参加者が一斉にそのお店に駆け付けると大変なことになる。そのため、添乗員は車内で急遽、電子クーポン対応のスマホ講座(?)を始める。これまで電子クーポンはためらっていた。が、来月ももらう予定なのでアプリをスマホ画面に追加しようと思いつく。落ち着いて一人でスマホの操作をしていると画面上にregion payのアイコンを追加できた。嬉しくなって下松のSAで休憩の際、お土産を買って無事購入できるかどうかのテストをする。大丈夫だった!次の休憩先で電子クーポンすべてを使い切る。

 バスは防府天満宮へ。かなり前、母たちとお正月に出かけたことがある。その時、梅茶の接待があり、(なんとご丁寧な神社)、と思った。が、他にはあまり憶えていない。今回、最初に天満宮の歴史館を見学する。「木戸孝允の面影」が生誕190年記念として展示されている。天満宮でのフリータイムは70分。(館内に長くいると外が見られなくなる)と思ってもらった地図を頼りに一人歩く。

艶やかな防府天満宮
 本殿の参拝は後回しにして左奥まったところにあるあずまやまを目指す。途中、山奥に入ったような暗い道を歩く。あずまやが見えてきた。こういう光景を見ると気持ちが落ち着く。どんどん本殿の裏に点在する末社を眺めながら歩くと工事中の人が大きな掛け声をかけて作業中だ。作業を中断させて横を通らせてもらう。さらに梅の小径を進むと天神山公園に着いた。ここには子供の遊具が備えてある。酒垂(さかたり)山公園記念碑もあり、ここからの眺望はお天気ならば素晴らしいに違いない。この日はあいにくの小雨で今一歩の眺めだった。公園内には句碑や石像があちこちに点在する。
あずまや
 
梅の小径を進む
 本殿にお参り後、外へ出ようとする手前に「夢叶う牛」の像がある。夢がかなうかどうか怪しいが牛に触っている人のまねをして自分も牛にさわる。
夢叶う牛
 防府天満宮の参道で山頭火ふるさと館の案内チラシを受け取る。山頭火に関心はあるが集合までの残り時間があまりない。急いで100m先まで歩き館内を見学。小雨降る蒸し暑い日で館内に入ると半端なく汗が流れる。いただいたしおりを見ると「ぽろぽろしたたる汗がましろな函に」が記されている。一瞬、汗びっしょりなので「ぽろぽろしたたる汗」と思った。が、「ましろな函」は遺骨を表しており、この汗は目から流れる哀しみの涙のようだ。
山頭火ふるさと館
 
 防府天満宮を後にして道の駅「潮彩市場」でお昼をいただく。目の前が海なのでお刺身などの魚料理が並ぶ。なかでも貝の料理は美味。子供の頃、貝は海へ遊びに行けばとって家に持ち帰っていた。ところが近年、貝は産地偽装で魚屋の店頭に並んでいても怖くて買えない。参加者の人たちと貝のおいしさを堪能した。

 東大寺別院周防阿弥陀寺に向かう。ここは紫陽花寺としても有名だ。4年前にツアーで来ている。前回と間が空いていないのでお寺の様子はほぼ憶えていた。前回、夏椿を通りゆく人から教えてもらった。が、今回は前回より10日余り遅かったので夏椿を見かけなかった。しかし、今回はタイサンボクの大きな花を何ヵ所かで見た。もちろん木に咲く実物のタイサンボクを見たのは初めて。他にも今が盛りとばかりに半夏生が咲いていた。お和尚は半夏生が咲いている場所をしきりに観光客に案内している。
 
 先日、宮島で見た半夏生とはけた違いに広い範囲で咲いていた。また紫陽花祭りは6月1日から昨日まで。最終日前日でもまだまだ見事に紫陽花は咲いていた。
阿弥陀寺仁王門

秋海棠

タイサンボク

半夏生

常緑ヤマボウシ

カラフルに咲く紫陽花
 阿弥陀寺の紫陽花などの花々を堪能後、山口市菜香亭に向かう。行く前までここはお土産だとばかり思っていた。ところが添乗員から「扁額」をしっかり見るようにと聞いた。この時、お土産屋に行くのではないと気づく。ここは明治10年から120余年間、山口の迎賓館として広く親しまれた料亭菜香亭を2004年に復元している。広い畳敷きの大広間には山縣有朋、井上馨をはじめとして近年では安倍晋三の揮毫もある。今、ここは畳の間など市民が利用できる貸しスペースがあるそうだ。

 すべての日程を終えて途中のSAで休憩後、広島に向かって帰る。バスの通路を挟んで隣席の人になくした菜香亭のパンフをもらう。休憩後、バスにもどろうとするとその夫妻から紅い向日葵が咲いている、と教えてもらう。急いで写真を撮る。紅い向日葵はこの時初めて見た。車内でそれほど話をしたわけでもないのにパンフをお願いしたことから向日葵を教えてもらったようだ。楽しい旅は終わった!
紅い向日葵
 前夜から降り続く雨の影響でJRは運行していない。近年、雨が降り続くとすぐに列車が止まる。それも終日の運行中止だ。今日は午後から日本画教室の日。この様子だと教室へは行かれそうにない。広島駅まで快速で8分の距離であってもJRが動かないと陸の孤島!?どこへも行かれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!