南国土佐までは広島からだと「土佐エクスプレス」を利用する。所要時間は4時間。途中、八幡PAと豊浜SAの2か所で15分ずつの休憩がある。実質3時間半の乗車は長い気がしてこれまで高知へは行きそびれていた。思い起こせば初めての高知は今からなんと半世紀近く前の社員旅行。その時出かけた場所は龍河洞と桂浜は覚えている。が、今回、桂浜に出かけて浜辺は覚えていてもその辺一帯の桂浜公園はほとんど記憶と違っていた。それもそのはず、坂本龍馬記念館は1991年に建設されている。
高知へは母が88歳の3月に旅行を計画した。ところが出かける直前に母の骨折があり、急遽、旅行をキャンセル。そして今回の土佐行きである。今回は友だちに誘われての旅だった。ところが今回、旅行直前に友だちの体の調子がよくなくて一人旅となった。一人旅はこの頃出かけているので不安はない。というか、どこに出かけてもすぐに旅の道連れが現れる。今回もそうだ。これは我ながら不思議で仕方ない。
バスがどこを通って高知まで行くのかさっぱりわからない。2か所の休憩場所は検索してわかったが四国に入ってからは今一歩わかっていない。ただ、四国の山を抜けるのかほぼトンネルばかりでそれを抜けると高知についた。
南国高知は初日は小雨。翌日は好天に恵まれた。気温も高いのかどの日も歩けば汗が出るほどだ。小雨の初日は汗というよりも背負ったリュックや靴が雨でぬれた。雨の中、龍馬の誕生地と龍馬の生まれたまち記念館へ行く。ショルダーバッグにリュック、そしてカメラにスマホ、さらには傘をさしての観光は歩くだけでも大変。それでも行きたい気持ちが勝って観光すると通りを歩く人はいないのに観光場所は観光客が多くいる。龍馬人気はいつまでも色あせそうにない。といっても自分自身は司馬作品を読み始めてのことでまだ4年である。
翌日は高知駅から牧野植物園や桂浜が一日中、周遊できる「MY遊きっぷ」を買ってバスに乗る。ところが高知駅の乗り場を確認せずにいたためバスターミナルで乗り場を探すが見当たらない。案内所で尋ねると駅の反対側からバスが出るという。急いで歩いて行くが場所がわからない。駅前なのに歩く人もいない。やっと見つけた人に聞くとその人も同じバスに乗るという。お陰でバスに間に合った。その人と話をすると茨木県から飛行機で来たという。その人も桂浜へ行くとのことで2時間半、道連れになった。
バス車内で話していると世界中を一人で飛び回っているという。その様子をある場所で講演したそうだ。そのようすがYOU YUBEにアップされているとのことで名刺をもらった。海外をツアーでなく一人で、それも1年間かけて出かける人の話を聞くとかなり刺激される。司馬遼太郎の話をするといいことを話してくれた。それは松山に「坂の上の雲ミュージアム」があるという。昨夜、旅から帰って新聞を読むと偶然にも旅の広告にそのミュージアムのツアーが載っている。これまで聞いたこともないミュージアムだ。それが旅の案内にある。この偶然に驚く。
読んで一瞬、このツアーに、と思ったら4,5人の旅。もちろん、今ツアーに参加する気はない。いつか松山のこのミュージアムに出かけよう。その人と桂浜で別れて牧野植物園に隣接する竹林寺まで先の周遊バスに乗る。ところが桂浜での周遊バス乗り場がはっきりしない。若い女性が場所を探している様子で声をかけると同じバスだ。2人でバス乗り場を確認して話をすると長崎から飛行機で来ているという。その人は学生時代の友が愛知から来て高知で再会するそうだ。周遊バスが竹林寺に停車するとその2人はここで合流。牧野植物園と竹林寺の距離が今一歩だった。が、この若者が教えてくれたとおり竹林寺で降りる。なんと竹林寺と牧野植物園は目の前に隣接していた。
ここで若者たちと別れて竹林寺を観光後、牧野植物園を見て歩く。園内は広い。高知駅行きの周遊バスが来るまでの1時間あまり歩き回るが時間が足りない。だが、あとで地図を見るとくまなく歩いていた。しかし、温室に入っていない。バス停で先の若者たちに遭遇して温室がわからなかったというと、そこがメインの場所だ、と言って案内所にわけを説明してくれて連れて行ってくれた。そこは案内所の横にある暗い場所だ。初めに入った場所がまさか温室とは知らず、すぐに外に出て園内を散策した。
若者たちは竜馬空港で長崎と愛知に分かれて飛行機に乗るとか。2人は私よりも先にはりまや橋で周遊バスを降りた。その時、親切にも振り向いて手を振ってくれた。旅で出会う人たちはどの人も親切だった。そういえば牧野植物園で休憩していたら神戸から車で5日間観光中の夫婦と話した。その人たちも親切だった。
旅の道連れは好奇心。その思いが強いがどこへ出かけてもすぐに皆と旅の道連れになる。いい旅だった。この続きは後日、ブログにアップしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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