2022年12月26日月曜日

『司馬遼太郎の時代』

 『司馬遼太郎の時代』、サブタイトルとして「歴史と大衆教養主義」(福間良明 中央公論新社、2022年)を読んだ。以下に気になる箇所を取り上げる。このうちの最初の有吉佐和子のくだりはまったくそのように感じる。これは余談だけではなく全作品に言える。そして2番目にあげた司馬が言う「私にとって小説概念というべきものが一つだけあるとすれば『人間と人生』について、書くに値するもののみを書く」のくだりがある。人の生き方に関心があるので自分自身が司馬の作品に魅かれる理由はこれに尽きるのかもしれない。

 以下、気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★余談という名の「自作自注」を通して、小説のなかに「評論」が組み込まれ、そこに作品の魅力が見出されている。作家の有吉佐和子も、余談には直接言及しないものの、『坂の上の雲』について「ああ、そうだったのかと教えられることが余りにも多かったので、小説を読んでいるという気がしなかった」「司馬さんの書かれるものは日本外史とでも呼ぶべき種類の史書ではあるまいか。膨大な材料を明晰に分類し判断し、しばしばユーモアを湛えて平明に綴っていく」と評していた(「司馬文学のファンとして」)。司馬作品に見出されたのは、「小説」というより「史書」という名の教養だった。(175p)

★私にとって小説概念というべきものが一つだけあるとすれば「人間と人生」について、書くに値するもののみを書く、ということだけで、だから小説とは何ぞやという定義を考えたこともないし、考えないようにしています。(「年譜」)(79p)

★教養主義を連想させる哲学に挫折し、「二流」の文学に近づく子規に、司馬は「底抜けの明るさや稚気」を見出していた。(『坂の上の雲』第一巻「あとがき五」)。そのことは、「二流」の学歴・記者歴を歩み、かつ、正統的な文学から距離がある点で「二流」の歴史小説を開拓した司馬自身にも重なる。(114p)

★明治に「明るさ」を見出そうとするのは、司馬が戦車のなかで感じ取った「昭和の暗さ」を照らし出すためだった。前述のように、司馬は敗戦の折に、「なんとおろかな国に生まれたことか」「むかしは、そうではなかったのではないか」との思いを抱いた。そこでは、昭和と戦国、幕末・維新、明治との比較対象が意識されている。……司馬は『坂の上の雲』全八巻(文庫版)を通して、そのような「明るい明治」を描き、『花神』全三巻、『竜馬がゆく』全八巻を通して維新期の「明るさ」を記した。戦国期の「明るさ」は、『国盗り物語』全四巻、『新史太閤記』全二巻などで叙述される。それらの記述の端々には、司馬の戦争体験や戦前期のライフコースが投影されていた。司馬は戦国期や近代最初期の「明るさ」にこれほど膨大な分量を割くことで、憎悪した「昭和の暗さ」を描き出そうとしたのである。(130-131p)

★司馬は「歴史小説の革新」という功績により、一九八二年度の朝日賞を受賞した。一九九三年には「『竜馬がゆく』などの大作を次々と発表。司馬史観とも言われる独特の歴史観を展開したほか、『街道をゆく』で紀行文学の新分野を切り開いた」との理由で化勲章が授与された。それに先立ち、一九九一年には梅棹忠夫(民族学)や川島武宜(民法学)らと並んで、文化功労者に選ばれている。司馬の「小説でも史伝でもなく、単なる書きもの」は、ここにきて、梅棹や川島といった戦後の学知を切り拓いた知識人と同等の評価を受けるようになったのである。それは「二流」「傍流」のキャリアを歩んだ司馬が「一流」と目されるようになったことを意味する。司馬作品は「単なる小説」でも「単なる史伝」でもないゆえに、領域横断的な知識人の知的関心を喚起した。「余談」に満ちた司馬の歴史小説や文明批評は、文学や歴史学からすれば「傍流」でしかなかったが、そのゆえに「日本の歴史学の固陋で偏頗な近代暗黒史観が払拭される」ような斬新さが見出されたのである。(218-219p)

★「昭和五十年代」までの歴史学が、司馬へのアンビバレントな評価に終始した「戦後五十年」以降の戦後歴史学は、司馬を学問的に論じることに、一定の意義を見出すようになった。他方で、学際知識人による司馬への評価は、揺るがなかった。ことに左派的な議論に違和感を抱く知識人・文化人は、もともとマルクス主義の影響下にあった戦後歴史学への不快感も相挨って、司馬を好意的に評していた。かくして司馬は、サラリーマン層のみならず知識人のあいだでも、「一流」の著述家と見なされるようになった。(244-245p)

★「余談の教養」がちりばめられた司馬の歴史小説が、サラリーマンをはじめとする読者に一定の知的好奇心をかき立てたことも、否定できない。古今東西の政治史・軍事史との比較が随所に配され、昭和史との対比もなされるなかで、社会を長いスパンで多角的に捉え返す営みに興味を抱く読者は、少なくなかった。それは必ずしもビジネスへの関心に縛られない人文社会系の読者へと誘うものでもあった。(250-251p)

★司馬作品は、確かに歴史学から見れば、精緻なものではなかったかもしれないが、それでも、人文知と大衆をゆるやかに架橋するかすかな可能性を有していた。すくなくとも、人文知とは遠遠いはずのサラリーマンにも、歴史への関心を促し、ひいては近代史・昭和史を批判的に問う営みに誘おうとするものであった。……人文知は、決してアカデミズムに閉じるべきものではない。たとえ実利には直結せずとも、人文知が過去や現在を批判的に問いただし、あるべき社会や文化、政治を構想するものである以上、多様な出自や階層の人々にひらかれるべきだろうし、そうすることによって、また知それ自体も練り上げられていく。「司馬遼太郎の時代」は、困難や限界を伴った大衆教養主義の歴史であると同時に、現在そして未来の「人文知と大衆」のありようを問うものでもある(253-254p)

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