『街道をゆく』 (二十七)「因幡・伯耆のみち」 (司馬遼太郎 朝日新聞社、一九九六年第二刷)を読んだ。このなかに「日本人は、ゴビ砂漠やシルク・ロードの西域の流沙、あるいはサハラ砂漠に、他の国のひとたちには理解しがたいような甘美さを感じてきた。たとえば、ゴビ砂漠においては、紀元前から遊牧国家と農業帝国(中国の歴朝)とが争闘をくりかえした骨組みのあらあらしい歴史がある。またシルク・ロードのオアシス国家を中継地としておこなわれた東西文明の交流の歴史もあり、あるいは中近東の砂漠にあっては世界のいくつかの大宗教がおこった歴史もある。それやこれやを日本列島という湿潤の地でおもうとき、太虚に立つ虹のようなおもいをもってしまう。私も少年ころ、その思いが甚だしかった。中年になって、はじめてそこへ行ったときも、感動した。ゴビ砂漠やシルク・ロードへの日本人のあこがれも、つきつめれば、砂漠という巨大な空虚への憧憬が基礎になっているのではないか。鳥取砂丘は、戦後、大きな観光資源になった。湿潤の民が、無いものねだりとしてえがいていた砂漠思想のいわば代替物だった」(90-91p)のくだりがある。
自分自身、司馬のいうとおりそう感じる。コロナ前までいろんな国へ出かけた。海外旅行に1人で出かけたことはないがツアーに参加して出かけている。そのなかでもゴビ砂漠やシルクロード、そしてサハラ砂漠は格別なものがある。
初めての海外旅行は36年前に出かけた中国。中国語を習っていた人とツアーに参加した。この旅行が楽しくて海外旅行に魅せられた。2度目の海外は1人でツアーに参加した。広州・桂林にまだ魔界が残っていた香港である。1人でツアーに参加した旅行も楽しく、これ以降、海外旅行の半分近くかそれ以上は1人でツアーに参加している。
しかし、コロナ禍で海外に簡単に行かれなくなった。シルクロードのゴビ砂漠やサハラ砂漠がまるで夢のような旅行に思えてくる。もう2度とは行かれそうにない旅行先となった。来年の年賀状にラオスの旅に一緒に出かけた友だちにモロッコの旅を勧めてくれたお礼を改めて述べた。モロッコへは自分のなかに旅行する国のイメージがなかった。しかし、同行者の話で(モロッコへ行こう)という気になった。出かけてみると思っていたよりも何倍も何十倍も素晴らしい国で、とくに明け方前から日の出とともにサハラ砂漠をラクダと歩くさまはロマンにあふれていた。サハラ砂漠へ出かけたのはコロナ禍の3,4年前のことである。
「先の見えない世の中になる」、と誰が予想しただろう。そのなかにあって光をともしてくれるのが旅。この秋、(海外旅行に行くことばかりに囚われず、国内をⅠ人で旅しよう)と気づかせてくれたのはコロナ禍のお陰かもしれない。そう思うとコロナ禍も悪いことばかりではないようだ。これから先、どんなことが待っていても、(それがたとえいいことであっても悪いことであっても)、気の持ちようひとつでどうにでもなる。そう気づかせてくれた年の瀬である。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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