2022年9月17日土曜日

『街道をゆく』(二十五)「中国・閩のみち」

 台風の影響なのか気温は高くてもお天気は良くない。台風が過ぎ去れば気温も下がるとの予想もあてにはならず来週以降も30度の日々が続きそうだ。(作品展の頃には涼しくなる?)と期待したけど、まだまだ夏服のままのようだ。

 以下は『街道をゆく』(二十五)「中国・閩のみち」 (司馬遼太郎 朝日新聞社、1989年)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★福建省というのは、中国でもいわば田舎のような省である。ながく、「閩(びん)」という地域名でよばれていた。閩というコトバの意味はわからないが、華北や華中の先進地帯からみればどこか草深くて異風なイメージを帯びていた。孔子(紀元前五五一~四七九)の時代には、中華のなかに入っておらず、後漢のときにできた辞書の『説文解字』にも、閩とは「東南越」とあって、いわゆる百越のあつかいになっている。(9p)

★NHKが西域を現地に取材し、「シルクロード」という番組を放映して高い視聴率をえた。この番組は、中国側との共同制作だったから、当然ながら中国においても放映された。中国側は、「絲綢之路(スーチョウ・ツルー)」というタイトルをつけた。絲綢之路というのはこのときはじめて造語されたのではないか。日本では、古代中国の西域のことを、とくに「シルクロード」とよぶ。そのことばを万人が知っているというのも、日本人の特異なロマンティシズムの一つかとおもえる。(11p)

★「余」と「田」をあわせて、という。日本の漢和辞典では、ヨとかシャとかよんだりする。この一字で「焼畑」という意味なのである。ただし、日本で、古来、こういう漢字が文献で使用されたことは、まずない。中国音ではショーとよむらしい。したがってこの民族の名前はショー族(畲族)である。中国の場合、この漢字はさらにややこしい。――畲族(焼畑族)などというのは、一個の堂々たる民族に対して失礼ではないか。ということもあり、「畲」という文字を(想像だが)作った。小さな明朝活字では、虫めがねでも用いないとこのちがいがわからない。民族名のほうは「余」のしたに「田」なのである。(78-79p)

★唐や宋の時代、中国人はイスラム教徒のことを、「大食(タージー)」とよんでいた。大食は概念あいまいで、狭義にはアラビア人をさし、広義にはイスラム教徒をさす。このため、イスラム教徒であるペルシャ人(波斯人 はしじん)まで、ときに大食の仲間に入れられたりする。(194p)

★宋・元のころ、福建や広東を根城とする大食(タージー アラビア人)の海商のことを地元のひとびとが、「海獠(かいりょう)」とよんでいたことはすでにふれた。明代の福建海賊はじつはそれらの後継者で、実際には海商だった。地元民たちは大食にかつて言ったように、福建海賊(海商)の親分のことを「海獠」とよんだ。彼ら貿易家にとって海禁主義の王朝こそ敵であり、官軍の水軍に供えて武装するようになった。(224p)

★海獠のなかの名だたる者としては、安徽省のひと王直(?~一五五九)がいて、今も平殿市街地の高所にその邸趾趾(印山寺屋敷趾)がのこっている。(226p)

★周知のように、いまの中国は台湾に独立政権があり、一九一一年の辛亥革命以来の国号である「中華民国」として関係諸国と国交をもっている。本土の中華人民共和国とのあいだには断絶があるが、その奏法が無条件に称賛する民族的英雄が、鄭成功である。(230p)

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