日本画教室で蓮の花を描いている人が2人いる。蓮にちなむ話なのか先生の口から鳳源寺や阿久利姫、枝垂桜などのキーワードが並ぶ。昨日、絵を習いに行く前に司馬遼太郎の『街道をゆく』(二十一)「芸備の道」を読み終えたばかりだ。記憶に新しく話されるキーワードと結びつく。鳳源寺のくだりを再度読むと「池には、睡蓮が七、八個の赤い花を浮かせている。……池の中ごろに架けられた橋の上に立ってみると、橋の下に河骨(こうぼね)が葉を沈ませつつ黄色い花をつけていた。……『三次は、どこというところなしに、いい処ですね。こう、この盆地ぜんたいかもしれません』と、橋の上で須田画伯がつぶやいた」(183p)とある。
この箇所に付箋紙を貼って絵の教室へ出かけた。先生が蓮の話をされた後、河骨について聞くとよく知っておられた。河骨は本を読んで初めて知る。電子辞書で調べておおよその見当はつく。だが、一度でいいから本物を見てみたい。それにしても河骨とはなんと花に相応しくない名前だろう。三次近くに県北の友だちがいる。鳳源寺近くの尾関山は車で連れて行ってもらった。コロナが少しでも落ち着けば鳳源寺の枝垂桜と河骨を見に行こう。
教室では相変わらず林の中の道を描いている。先生は絵に奥行きがないと話される。混色して彩色すると少しは奥行きが出た。次週は木にも奥行きを持たせて彩色する予定でいる。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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