2021年4月14日水曜日

『余話として』

 短い旅から帰って以降、パッとしないお天気が続く。あの真っ青な空と海は夢だったのかと思えるほど素晴らしい3日間を過ごした。次の旅はコロナ感染者増大のため、しばらくは行く気が起きない。ただ、旅に出ると俄然、やる気と勇気と元気が湧いてくる。これは自分にとっては本当にありがたいこと。元気なうちは外に目を向けて飛び出そう。今日はこれから図書館へ予約確保の本を受け取りに行く。相変わらず司馬遼太郎の本を読んでいる。やっと『功名が辻』(二)を読み終えた。次はその(三)を読む。

 その前に、以前読んだ『余話として』(司馬遼太郎 文藝春秋、2020年)から気になる箇所をここに記そう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★室町時代の茶人たちは、右のような精神によって、それまで民間建築材とされていた杉材をごっそり取り入れ、茶室建築、ひろくは数寄屋普請というその後の住宅建築に大影響をあたえた様式をつくりあげた。……このようにして、庶民材が茶人の手で出世し、やがては銘木といわれるようになり、いまでは銘木の王座にすわってしまって庶民の世界から遠くなった。ちょうど戦国つまり室町末期のころ、下層から氏素性もさだかならぬ群雄がおこりたって大名になり、それが徳川時代に入ってその身分が固定し、その家系が明治後華族になったというようないきさつと似ている。ヒノキが公卿家族で、杉が大名華族といえるかもしれない。22-23p

★地打ちというのはその土地の特産ということでまじりけのない物品のこと。……京の町の工芸品などで、「地打ち」のものは上等だが、江戸など地方へ流すものは田舎向きの粗末なものという通念になっている。これが、のちにさらに関東風のないが付いて、クダラナイということばになってゆく。77-78p

★明治になって、一人の人間でいくつもの名前をもっているのは陋習である。以後一人一称とせよ、という意味の太政官令が出てこんにちのようになった。99p

★徳川大名の先祖は、たいてい戦国に現れてくる。その連中の出自をしらべてみると、ほとんどがどこの馬の骨だかわからない。これが明治のとき、華族になって公侯その後、時に伯子男になったのだから、要するに日本の華族というのは、モトはどこの馬の骨だかわからないのである。日本歴史のユーモアは、そういうところにある。153p

★私は、小説の実作者にとって、誰それの小説ということが存在するだけで、単に小説と呼ばれる形式の普遍的概念は存在しない、とおもっている。私は私なりに、人間と人生についての自分の関心や感動を、自分でこれが小説だと自分で妄信している形式でもって書いているだけのことである。……――文化とは、無駄話のことです。と(注:池島信平氏のこと)言い出して、驚いたことがある。なるほど、そういわれてみるとまことにそのようでもあり、その後、ときに文化の定義はそれ以外にありえない、と思ったりもしている。268p

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