2020年3月23日月曜日

『歴史を動かす力』

 今日は予想最高気温20度の予報、そして桜も開花して朝から春を感じる。これにコロナウイルスさえなければ最高の春なのに世の中そうもいかないようだ。

 以下は先日読んだ『歴史を動かす力』(司馬遼太郎 文藝春秋、2006年)から気になる箇所を抜粋したもの。対談形式の本で会話している人を()で記した。最後に挙げた「立派な武士になるには、まず歴史をやれ、そして旅行せよ」……歴史をやって時間的に過去にさかのぼって広い世界を知り、旅行をして空間的に広い世界を知れば目が開かれるようになって人生を知る」。これはすごい言葉だ。今さら何ものにもなる気はないが旅行と歴史、今どちらもハマっている。この両方で人生を知るようになるとはすばらしい。しかし、今はコロナウイルスで自由に旅へ行かれない。残念。早くコロナが収まるといいけど……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★(観音寺)……維新運動の大効果は二つですね。一つは日本が統一国家になったということ。ヨーロッパではずっと前に封建制度を脱却して統一国家になったのだが、日本は鎖国のために大分遅れた。それが維新運動の第一目標である日本強化を追求している間に、廃藩置県にたどりつき、統一国家になった。
 もう一つは、廃藩置県によって、日本人の社会は市民社会となったこと。一君万民という形でね。ヨーロッパのそういう条件のつかない市民社会ですが。――ともあれ統一国家となり、市民社会となって、日本は初めて世界歴史の本流と合致したのですよね。(観音寺潮五郎と司馬の対談から)33p

★(司馬)きっと太平洋戦争せずにすみましたよ。日露戦争のウソ戦史にあわせて陸軍がとなえた神秘主義を文部省が採用して、小学校にまで流して国民教育をした。それが太平洋戦争のもとになっているのですからね。その責任は大きい。ところがそれを、マスコミは一切突いていないし、問いてもいない。(江藤淳と司馬の対談から)228p

★(司馬)書簡文においては、表現力というのは実にたくましいでしょう。あの時代に漢文を借りずに自分の意思なり思想なり、天下の情勢なりを、あれだけしっかりと表現できた人は、松陰以外にいない。幕末における最大の文章化の一人と思わざるを得ない。
 旅における松陰は、嬰児のごとく素直で、脅えやすく、喜びやすくできてますでしょう。そういう体質を旅のなかで存分に発揮して、見事な紀行文を書きますね。それは単に達意文章というだけでなくて、リズムがあって、芸術的な感興をわれわれにあたえますでしょう。あれはたいへんなことだと思いますね。(橋川文三と司馬の対談から)274-275p

★(橋川)そういう文章感覚と、いまおっしゃった優しさですけれども、優しさというのは器質的な思想家としての松陰を考える場合に、大きな要素になっていると思います。優しさは松陰の天賦であるといえばそれまでなんですけれども、家庭環境もあり、広くは長州藩のある種の雰囲気というものもあったんでしょうけれども、文章のうまさと異様なほどの優しさは、松陰を読んでいく時、一番最初にぶつかってくる問題ですね。これはいったいどこから来たんだろうかと考えさせられる。
 それともう一つからめていえば、その優しさが後年のラディカリズムと密着して出てくるというあの関係、これが一番松陰のおもしろいとことだと思うんですけれど、それがなかなかきれい事では説明できない。いわゆる論文風に松陰を書く時にこまるところなんです。(橋川文三と司馬の対談から)277p

★(司馬)変な表現をすると、テニヲハというにかわでつないでいく膠着語である日本語の特徴をもっとも濃厚に持ち、かつもっとも生かしえた文章は松陰と子規だと思います。
 和文の特徴というものでもないんですけれども、要するに綿々と語って、しかも少しも自分にべったりしていず、乾いたところがあるでしょう。それが素晴らしいと思うんです。自分を綿々と訴えてるわけではないんです。(橋川文三と司馬の対談から)283p

★(芳賀)荻生徂徠が『徂徠先生問答書』で「立派な武士になるには、まず歴史をやれ、そして旅行せよ」と言っていますが、ほんとうにそうで、歴史をやって時間的に過去にさかのぼって広い世界を知り、旅行をして空間的に広い世界を知れば目が開かれるようになって人生を知る。デカルトも「旅は大いなる本である」と言っています。
(司馬)ですから明治維新というのは旅行家たちの仕事でもあると言えるかもしれませんね。(芳賀徹と司馬の対談から)325p

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