『空海の風景』上下巻を読み終えて、次に読むのは『項羽と劉邦』。先日、中国語の辞書を本棚から出していて、『項羽と劉邦』はだいぶ前に購入したことを思い出す。もう1か所の本棚も探すが、乱雑に棚に置いているので見つからない。暖かくなったら本棚の整理をしよう。ということで図書館で借りた『項羽と劉邦』を読み始める。
本を探している際、井上靖の本が目に付く。司馬遼太郎の本は『街道をゆく』シリーズは持っていても若いころは井上靖のシルクロード関係の本にのぼせていた。今や司馬作品にはまって井上作品はおろそかになっている。家の本を整理するとき、もっとわかりやすく整理しよう。
以前に読んだ『司馬遼太郎 幕末・明治論コレクション 幕末維新のこと』(司馬遼太郎 筑摩書房、2015年)から、気になる箇所をここに記そう。この本を読んだ頃は、最後にメモする『菜の花の沖』を読もうとした。このことをすっかり忘れてしまって『項羽と劉邦』を読んでいる。これを読んだ後、『菜の花の沖』を読むことにしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★龍馬が立派な字を書くということを承けていいますと、彼の字も規矩準縄というか、定規に合わないのです。習字がうまいということは真似がうまいということでもありますから、真似のできない性質の人間、真似をする訓練を受けていない人間は、自由な字を書かざるを得ない。変なたとえで恐縮ですが秀吉という人は訓練を受けてないので自由な字を書いたのでしょうが、この秀吉の字に一番似ているのが龍馬の字だと思います。龍馬の字は幕末史の中で一番芸術的です。しかし習字のお手本にはならない。21p
★荘園という私有地の成立がそうである。この公有制度の例外がどんどんひろがってついに武士の発生になる。武士とは要するに開墾地主のことで、土地の私有権の主張者のことである。
平安中期のごろから関東にこの開墾地主団がむらがり発生し、後期にいたってそれが平氏と称し、あるいは源氏と称して、律令体制の代表者である京都朝廷に食いこんだり、対立したりして、ついには源頼朝を盟主とするこの土地私有権の主張者たちが強大な軍事力をもって鎌倉幕府という事実上の日本政府を樹立し、中国・朝鮮体制にやや似た京都の朝廷は装飾的な政権になった。85-86p
★松陰のその魅力は、弟子を動かそうとしてそれをしたのではなく、かれ自身がまっさきに動こうとし、事実動き、結局は「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」というかれの下獄の感想のように、すすんでその志操と思想に殉じたことであった。こういう師に接していては、弟子たちは尋常でいられるはずがない。97-98p
★維新後もなお、新政府の弾正台の手で下手人捜査がつづけられた。明治以前の刃傷沙汰を、新政府がその全力をあげて捜査したのは竜馬の場合しかない。235p
★ともかくも、三十二年の生涯ながら、竜馬の生涯にはあざやかな春夏秋冬がありました。日本史上、竜馬ほど素晴らしい青春を送った人はいないのではないでしょうか。304p
★高田屋嘉兵衛も、江戸期が生んだおもしろい日本人ですね。私は、『菜の花の沖』で書きました。
当時六甲山麓から摂津平野、それに嘉兵衛がうまれた淡路島は、季節になると、菜の花畑で真黄色でした。六甲山麓にはそのころたくさんの搾油用の水車がまわっていて、圧倒的にマニュファクチュアの時代でした。その油が、酒や醤油などとともに西宮港などから四方に積み出されていました。その時代的光景を。”菜の花の沖”ということばに託したつもりです。314p6
『司馬遼太郎 幕末・明治論コレクション 幕末維新のこと』の中の「人間の魅力」で司馬が取り上げている本をメモをしよう。このうち、読んでないのは『菜の花の沖』。
・『この国のかたち』
・『坂の上の雲』
・『竜馬がゆく』
・『世に棲む日日』
・『花神』
・『菜の花の沖』
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