2019年6月21日金曜日

「にっぽんぐるり」を見る

 図書館で月刊誌を読むと澤地久枝の記事がある。御年88歳になられても春には屋久島辺りで講演をされている。記事の中に「人が意思を持って生きている限りはちゃんと生きられるんだろうと思う」とある。この言葉に感動する。認知症になればこれは不可能だ。やっぱりしっかりと生きてきた人の言葉には重みがある。
 
 相変わらず司馬遼太郎の本を読んでいる。『花神』(中)ももうすぐ読み終える。昨日はその(下)を借りる。先にこの(下)の解説を読むと「花神」とは「花咲か爺」の意と説いてある。中国の言葉らしい。解説者は『花神』と同時に同じく司馬作品の『世に棲む日々』を読むようにと教える。2冊を同時に読むのは大変。『花神』を読み終えた後に『世に棲む日々』を読もう。

 司馬作品の余波は他にも続く。昨日午後、新聞の番組欄を見ていると山口放送局のローカル番組を全国放送していた。それは「にっぽんぐるり」で「長州と会津未来へ」という番組。この「長州」に目を見張る。1年半前に山口放送局で放送されたらしい。山口で放送された2018年は長州からすれば明治維新150年。ところが会津は戊辰戦争から150年として、戦の勝敗で捉え方も変わる。

 長州をちょっとだけ見たモノからすれば、また司馬作品のとりこになったモノからすればここは長州びいきになる。いまから30年前、山口と福島の両県の行政は長い仲たがいから仲直りを試みた。ところが行政サイドは手を結ぼうとしても当時の福島県民のブーイングにはどうすることもできなかった、と今、当時の行政担当者は述べる。話がまとまらずに終わったことを残念に思った山口のある市民が行動を起こす。とくにJA関係者はそれぞれの農産物を互いに販売して友好を高める。次第に両県の関係は良くなり、今では高校生が萩を訪れて理解を深めたりする。

 今、『花神』を読んでいると広島は芸州藩。長州藩の隣の藩であっても幕軍と長州藩の戦いにおいては中立を保っていた。司馬作品のお蔭で日本の歴史もちょっとだけわかり始める。次は何を読む、と思いを巡らさなくても司馬作品を読むのが一生の課題となった。ぼやぼやしていては到底、司馬遼太郎の全作品を読めそうにない。

 「人が意思を持って生きている限りはちゃんと生きられるんだろうと思う」と話した澤地久枝ではないが、自分自身が全作品を読む、との強い思いがあれば全作品を読めるかもしれない。何かに夢中になっているとそれに関することが次々と目に入って来るもの、と改めて気づかされる。

 それにしても広島の梅雨入りはいつになるのだろう。雨は降りそうにない。新聞によると梅雨入りはまだ当分先のようだ。そして梅雨入りが遅くなると雨量も増えるらしい。昨年のようなことが起きなければいいけど……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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