2019年6月17日月曜日

『花神』(上)

  この1週間、毎日外に出ていてさすがに疲れた。昨夜は早めにお風呂に入り9時前に眠る。今朝の起床は6時前。疲れのすべては例のバス車内の大声による。そうとしか思えない程、草臥れ果てた。当分は旅もどうか?と考えるほど疲れた。それも今朝は吹っ飛ぶ。疲れ回復には寝るのが一番。とはいっても元来よく寝るタイプ。
 
 今朝のネットニュースに「薩摩焼宗家の14代沈壽官(ちん・じゅかん、本名大迫恵吉」の訃報がある。司馬遼太郎はこの人を主人公にした『故郷忘じがたく候』を書いている。またも司馬作品?と目が行く。ぜひとも読まなくてはいけない。司馬作品を読んでいて思ったのは司馬が好人物と思った人を作品に取り上げている。そのため、読んでいて気持ちがいい。これが司馬作品が人々に愛される所以だろう。その中に自分もいる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は先日読んだ『花神』(上)(司馬遼太郎 新潮社、平成25年第100刷)からの抜粋。

★徳川身分制時代、医師は卑賎の秀才がその境遇から脱出するための目標とされた。西洋のようにキリスト教から医学がそだったのではないために、医師道徳が発達しにくかったが、洪庵は異例にちかいであろう。かれは無償の親切ということで、道徳性を明快にした。こういう洪庵の弟子から、函館戦争で敵味方の別なく傷病兵を治療した高松凌雲や、日本赤十字社を創設した佐野常民がが出たというのもふしぎでないかもしれない。25-26p

★適塾というのは、洪庵の号である適々斎からきたものだが、ひとつには字義のとおり、「門生をしてその適せる方におもむかしむ」るという気分が、塾風にあった。村田蔵六や福沢諭吉が、医術をまなんでおもわぬ方向にいってしまったというのも、ひとつには適塾の学風かもしれない。27p

★「上医は国の病を治す」という中国のふるい言葉をひいて洪庵はむしろ蔵六に宇和島藩の科学技術の前身のためにつくすほうがいい、というのである。171p

★この殿さまが蔵六に命じたことは、
「蒸気で動く軍艦一隻と、西洋式砲台を一つつくれ」
ということであった。
蔵六は、耳をうたがった。蔵六は緒方塾で医学をまなび、国もとで村医をしていただけが経歴で、軍艦も砲台も、作ったことはむろん、この目で見たこともない。201p

★蔵六は草深い村にそだち、百姓身分からあがって、いまは宇和島侯の背後に侍立できる身分にまでになった。かれをここにいたらしめたのは、たったひとつ、技術であった。この重苦しい封建身分制を突破できるのは「技術」だけであり、それは孫悟空の如意棒にも似ていた。266p

★「蘭癖」(らんぺき)
という。そういう傾向者を蘭癖家という。ところが村田蔵六にかぎっては蘭癖が毛ほどもなく、それどころか風体は村夫子のようであり、むしろ一見、固陋な攘夷家のような印象をうける。かれ自身、オランダ趣味が大きらいであった。312p

★「幕臣よりも長州藩士になりたい」
という、立身出世の損得勘定からゆけばおよそ計算にあわない蔵六の志望は、そういう素朴な情念から出ていた。それが素朴な情念であるために、蔵六の場合、ぬきさしならぬほどにつよい。……蔵六はそれをぬけめなくやった。314p

★運命ということばは、ときにとって神秘でもなんでもない。
蔵六はやがて長州藩に属する。つまりかれがそのきわめてアクチブ(活動的)な
藩に所属したことによってかれ自身の運命と日本史に重大な変化がおこるのだが、それを近代日本にとっても蔵六自身にとっても「運命」といえばいえるであろう。……運命というこの神秘的な或いは電磁性をもちすぎているこのことばに手ばなしに感動してしまえば、ものごとをみる目がすべてかすむであろう。この稿の筆者は、この稿をかくにつても、そのことを抑制し、できるだけ「運命の一瞬」というこの魅力のある、神秘的なものに対して冷淡さをもちつづけようとしている。328p

★——村田は別もの。
という、友人間の村八分に蔵六がなったのは、皮肉にも、かれら若い開明家たちの共通の師である緒方洪庵の通夜の夜からであった。が、ぞの蔵六が幕府をたおして幕軍を掃蕩し、日本の近代化を一気にひらいたというのは、福沢にとってはどうにもわからないことらしい。472p

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