2019年6月11日火曜日

「天安門事件 運命を決めた50日」を見る

 「香港で103万人のデモ」、の見出しが紙面をにぎわす。犯罪の容疑者を中国本土に引き渡す移送条例反対のデモらしい。デモ、といえば天安門事件がある。一昨日夜、NHKスペシャルで「天安門事件   運命を決めた50日」が放送された。番組HPには以下のようにある。

★ 中国政府の発表で「反革命動乱で319人が死亡した」とされている天安門事件。
30年たった今も、中国では事件に触れることはタブー視されていて、民主化を求める丸腰の市民を、なぜ、どのように武力で鎮圧したのか、詳細はわからないままだ。
 今回、NHKはその真相に迫ろうと、中国や世界各地に当事者を訪ね、新たな史料を探し出した。そこから見えてきたのは、事件の前から周到に配置されていた軍の姿や、政権内部の権力闘争の一端だった。さらに、西側各国の外交文書からは、欧米の指導者が改革開放を進める中国との経済関係を重視し、表向きは非難しながら、水面下で緊張関係の回避を図ろうとしていた実態も浮かび上がってきた。
天安門事件による民主化の挫折は、中国の人々に深い傷を残し、その後共産党が強権的な一党支配を進める素地を作ったと言われる。番組では、大国・中国の運命を決めた50日間を再検証し、天安門事件めぐる数々の謎に迫る。

 事件の当事者である軍人とデモに参加した人たちが登場する。番組のインタヴューにこたえる軍人はアメリカへ亡命している。中国本土は事件後さらに言論への圧力が強まり、何も言えない。そのため亡命者へのインタヴューとなる。デモの初めころは穏やかムードだった。ところが趙紫陽、鄧小平、李鵬などの共産党幹部が話し合った結果、皆の意見を聞いて最後に発言した鄧小平の行動が殺戮事件へと発展する。穏健派の趙紫陽がデモ隊の中に入り、学生たちと話し合っていた。それにもかかわらず、鄧小平は軍を出動させて、直接デモ隊を攻撃するのでなく、軍の上層部が攻撃するしかできないように仕向けて、軍人がデモ隊に威嚇射撃する。その後はそれが本格的になり、一方的にデモ隊を狙い撃つ。アメリカ在住の元軍人の亡命者は当時の状況をそう述べた。デモ隊と話した趙首相はこのときを最後に姿が見えなくなる。

 なぜ彼は話したのか。それは30年間、この事実を秘めたままに生活するのが耐えられなかったという。話して悩みが薄まったとも話した。鄧小平の元秘書のインタヴューもある。天安門事件後、経済は発展したが、言論の自由への締め付けが増したという。事件を知っていてもここは言わぬが花なのかもしれない。

 事件の犠牲者は党幹部は300名と発表したが、実際は10000人とも5000人とも言われて実数は把握しきれていない。ただ当時駐在していたイギリスのメディアは詳細な記録を取っていた。放送を見て驚いたのはデモ隊に向かって戦車がまるで絨毯の上を走るように人をひき殺していったという。スイカが割れるように頭が割れていたそうだ。

 事件後、世界が中国を敵に回すかと思えたが、当時のアメリカのブッシュ大統領は速やかに中国へ親書を送り、日本とアメリカは中国を支持する旨、書いていた。その底辺には中国の市場がある。その通りなのか、鄧小平は弾圧でデモが収まれば経済発展して、こののち20年は安定した政権が続くだろうと話したと鄧小平の元秘書は話す。その後の中国は目覚ましく経済発展した。その通りになったとはいえ言論への弾圧は人々への不信感となっていく。そうそう、大事なことを思い出した。鄧小平の元幹部は話した。「共産党幹部の一部の者だけが人間であり、それ以外は人間ではない」と。その考えが人を人とも思わない強硬姿勢の政治へと向かわせるのだろう。

 話は変わって昨日午後はプールで泳ぐ。この何か月かプールで会議をする人々を見かけなかった。そう思っていたら、昨日は来ていた。自分がプールの花と言わんばかりの女性だ。周りに男4人を侍らせてプール会議が始まる。プールのスタート地点で会議が始まると蹴伸びができない。それに気づいたおっさんはよけてくれるけど会議はずっと続いていた。
 
 ともあれ今日も元気で楽し過ごしましょう!

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