2019年4月30日火曜日

『竜馬がゆく』(6)

 2日以上降り続いた雨もやっと上がった。今日から県立美術館で広島県日本画協会の日本画展が始まる。創立50周年らしい。だが、すっきりしないお天気なので絵を見るのは先延ばしになりそうだ。プールへも行きたいが、今一歩泳ぐ元気がない。お天気が安定する明後日、プールに出かけて明日、絵を見に行こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は先日読んだ『竜馬がゆく』(6)(司馬遼太郎 文藝春秋、2003年新装版第11刷)から気になる個所の抜粋。

★竜馬の理想は、幕府をたおすということでは西郷と一致している。次の政体は天皇を中心にする、ということでも一致している。しかし、西郷の革命像は、天皇を中心とした諸藩主の合議制であった。むろんその下に士農工商という階級がつく、温存される。
 竜馬はちがっている。天皇のもとにいっさいの階級を雲散霧消させることであった。大名も消す、公卿も消す、武士も消す、いっさいの日本人を平等にする、ということであった。こういう思想はもっとも先鋭な勤王志士たちのあいだでもおそらくはまだ受け入れられないであろう。なぜならば西郷は明治になってからでも武士の廃止に反対する薩摩士族団にかつぎあげられて明治十年の西南戦争をおこし、不幸な死をとげるにいたるのである。40p

★「人を斬ったか」
と、竜馬はきいた。
「斬らなんだ、ひとりも」
桂は答えた。この両人は、斬人斬馬ができる技倆をもちながら、人間を殺したことがないという点で一致している。どちらも、人を殺すことに堪えられない性情けのもちぬしなのであろう。93-94p

★そのうち判決があって、敦賀の町はずれの来迎寺の野原に三間四方の大穴を五カ所掘り、これに武田耕雲斎以下幹部級に二十四人をつれだし、ことごとく首を刎ねて死骸をほうりこみ、さらに……。史上まれな大虐殺といっていい。
「そうだったのか」、と竜馬は聞きおわってから、終日食事を断ち、ものもいわなかった。この残虐きわまる徳川幕府を、そのままにしておいてよいものか、どうか。104p

★……日本における最大の浪人結社はふたつある。
のちに「海援隊」と名をあらためた竜馬のこの長崎亀山社中と、京の新選組がそれだ。亀山社中は海上運輸、貿易、私設海軍建設を目標としつつ討幕をめざしているのにひきかえ、京の新選組はあくまで白刃によるテロリズムを主目的とし、傾きかける幕威をささえようとしている。奇観といっていい。159p

★竜馬は、自分の亀山社中の下関支店にしている阿弥陀寺の大町人伊藤夘助太夫方を旅宿とした。竜馬はこの支店の名を、「自然堂」とつけた。この男は、釈迦も孔子も尊敬しなかったが、ただふたり、ふるい哲学者のなかでは老子と荘子を尊敬していた。なにごとも自然なるがよし、という老荘の思想にあやかって自然堂とつけた。198p

★「薩長の連合に身を挺しておるのは、たかが薩長藩や長州藩のためではないぞ。君にせよ、西郷にせよ、しょせんは日本人にあらず、長州人、薩州人なのか」
この時期の西郷と桂の本質を背骨まで突き刺したことばといっていい。237p

★桂は「皇家」と、みじかくいった。皇家とは、狭義では朝廷、天皇家という意味である。広義では「京都朝廷を中心とした新統一国家」という意味で、この当時、志士たちは「皇国」という言葉とともによく使った。ちなみに、単に日本、といえば幕府を代表政府とする現状秩序の意味である。さらに余談だが国家と、だけいえば、ふつう藩国のことを指した。238p

★竜馬は、「薩州があとに残って皇家につくすあらば、長州が幕軍の砲火にくずれ去るとも悔いはない」という桂の言葉をつたえ、「いま桂を旅宿に待たせてある。さればすぐこれへよび、薩長連合の締盟をとげていただこう」竜馬はそれだけを言い、あとは射るように西郷を見つめた。

 筆者は、このくだりのことを、大げさでなく数年考え続けてきた。 
 じつのところ、竜馬という若者を書こうと思い立ったのは、このくだりに関係があるといっていい。244-245p

★竜馬という若者は、その難事を最後の段階ではただひとりで担当した。……あとは、感情の処理だけである。……「長州が可哀そうではないか」と叫ぶようにいった。当夜の竜馬の発言は、ほとんどこのひとことしかない。
あとは、西郷を射すように見つめたまま、沈黙したからである。
奇妙といっていい。
これで薩長連合は成立した。246p

★(一寸先は闇だとはよく言ったもの)
竜馬は、お遍路の来る国に生まれたから、その種の陳腐な言葉を百ダースほど聞かされて育った。人生は無明長夜であると。
……
(しかし、あれだな)
竜馬は、自問自答した。
(無明長夜であるからといって、路傍に腰をおろすこともなるまい。おれは歩きつづけてゆかねばならん)282p

★「いや、長州がかっちょるのじょない。町人と百姓が侍に勝っちょるんじゃ」
そのことに竜馬は身ぶるいするほどの感動を覚えた。
たったいま、竜馬の眼前で、平民が、ながいあいだ支配階級であった武士を追い散らしているのである。
――革命はきっと成る。
という意味の感動と自信が、竜馬の胸をひたしはじめた。
「天皇のもと万民一階級」
というのが、竜馬の革命理念であった。
……そこは、土佐郷士である。417p

★その土佐郷士の先頭に立つのが、竜馬である。
 平等と自由。
 という言葉こそ竜馬は知らなかったが、その概念を強烈にもっていた。この点、おなじ革命集団でも、長州藩や薩摩藩とはちがっている。余談ながら、維新後、土佐人が自由民権運動をおこし、その牙城となり、薩長がつくった藩閥政府と明治絶対体制に反抗してゆくのは、かれらの宿命というほかない。418p

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