2019年4月6日土曜日

『竜馬がゆく』(4)

 近いうち桜を見に遠出する。それから帰るとすぐに外に飛び出す予定がある。持参するものをあれこれ考える。これも老化防止になる。そういえば認知症になると自分で荷物をまとめられなくなるそうだ。その意味でも旅をするのはいいかもしれない。どういっても何もかも自分で考えて行動しないといけないから。

 昨日、早くも添乗員から電話がある。海外旅行を再開する前に利用していた旅行社だ。ところが9年間、旅がままならぬようになると旅のカタログが来なくなった。2,3年前、広島支店開設で新聞チラシが入るようになる。いつも利用する旅行社と大幅に違うところは1人参加であっても追加料金が要らない旅が多い。これがこの社のいいところだ。添乗員に旅の参加人員を聞き、そのうちの1人参加を聞くと何と半数がそうだった。

 昨年の終わりころ、この社の日帰りバス旅を利用した。旅のカタログが送付されることを願って……。期待通りカタログが送付されるようになった。今回はそれを見ての国内旅。

 海外は以前から利用の旅行社に申し込む。この社は安心できていいのだが、大半が2人参加が条件となっている。1人参加だと追加料金がかかる。それでも行きたい旅であれば金銭を厭わず出かける。そうはいっても同じ行先ならば、と何社かを比較する。今は行き先や旅費などでこの大手旅行社2社を判断して決めている。もう1社大手旅行社があるが、ここはどうも好みでない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は先日来から読んでいる『竜馬がゆく』(4)(司馬遼太郎 2010年新装版24刷)。またいつものように気になる個所を記そう。

★神戸軍艦操練所の設立は、勝の運動で行政化しつつあった。……現在の東京商船大学、神戸商船大学の前身であると思えば間違いないであろう。
 竜馬の構想では、この東西操練所の総督は一人で兼ね、しかもそれは幕吏ではなく京の朝廷から選任されるものとし、学校の経費もなるべく幕府に出させず、西国諸藩の分担にしようとした。あくまで官立ではなく、私立でゆくつもりだったのである。
 が、この案はうまくゆかず、結局は「官立」となった。……竜馬は、これが管制化されるまで待ちきれず、開所までは、「私立勝海舟塾」としてどんどん塾生を入れて学習させることにきめた。勝も賛成である。13-14p

★昭和初期の陸軍軍人は、この暴走型の幕末志士を気取り、テロをおこし、内政、外交を壟断し、ついには大東亜戦争をひきおこした。かれらは長州藩の暴走による成功が、万に一つの僥倖であったことを見ぬくほどの知恵をもたなかった。60p

★竜馬は、高杉とはまだ一面識しかない。
 騎兵隊は誕生し、これが日本最強の部隊の一つになり、のちに維新戦争で革命軍として活躍するのだが、同時に、この創設によって三百年の階級社会が、長州藩においてほころびたことも大きい。65p

★江戸幕府というのは、日本史上の歴代政府のなかではもっとも密偵政治に長じ、かつ密告をよろこぶ資質をもっていた。恥ずべき能力といっていい。96p

★武士とはふしぎなものだ。彼等の自律、美意識は、こういうときになると凛凛として生気をおびてくるものらしい。筆者は思う。明治維新は、フランス革命にもイタリア革命にも類似していない。きわだってちがうところは、徳川三百年の最大の文化財ともいうべき「武士」というものが担当した革命だということである。230p

★半平太は竜馬のいう「固苦しい男」だから容堂に対しては恨みがましいことをいわず、「大殿様の仁を求めようとして諫言を申しあげてきた。かくていま、大殿様の仁を得て武士らしく死を賜る」泰然としていた。ただ、つぶやいた。「まだ、竜馬がいる。おれとは行きかたがちがったが、あとはあの男がよろしきようにやってくれるじゃろ。薩摩には西郷がいる。長州には高杉、桂がいる。土佐藩固陋にして、動かざれども、天下はまわりゆく。いずれは徳川が倒れ、新しい国ができる。魂魄になってもそのときを楽しみに待とう」やがて牢をだされた。日はとっぷりと暮れている。267-268p

★「わしは何ももっておらぬ。これを貰うてくれ」
竜馬は、ちょっとうやうやしい顔をして、さな子にさしだした。
「どういう意味でございましょう」
「形見じゃ」
竜馬はにこにこしている。
「志士ハ溝壑ニアルヲ忘レズ、でありますかな。いつ、この世から消えるかもしれぬ。そのときの記念碑でござる」
(ふうーん。……)
さな子は、片袖を手にとって、まじまじと見ている。坂本家の桔梗の定紋が、すっかり垢とほこりでよごれてしまっていた。……
「竜馬のシルシと思ってください」……
事情あってすぐさま夫婦にはなれぬが気持ちだけはたがいに通じあったシルシだと解したのである。さな子の幸福はこのときからはじまったといっていい。……
竜馬は、事の意外にあわてて顔をこすったが、意外にもコブシが濡れはじめた。さな子の心根を痛ましく思ったのでもあろうが、ひとつには意の通じなさに、情けなくなったものらしい。381-382p

★勝の長崎ゆきは、はたして成功だったかどうか。
とにかく、滞在一ケ月余におよんだ。竜馬にとっても、かれの生涯において、もっとも長い旅行であった。
 もっとも、すでに故郷を捨てた竜馬にとってすでに旅行というものはない。かれの生涯そのものが旅行であったが。418p

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