2017年12月9日土曜日

新日本風土記「永平寺」を見る

 3年前になるだろうか。ひょんなきっかけで人を介して60年ぶりに会った小学校時代の同級生がいる。子ども時代の同級生の成長した顔は想像できず、会ってもどの人がご本人かまったくわからなかった。それ以降、関係ある人たちに送信される一斉メールに入れてもらう。昨夜、何度目かの一斉メールが届く。

 メールを読むと「…生家で見つかった戦前の歴史物語の、現代語化を一人で進めています。新字体・新仮名 への変換がやっと終…」と続き、それが添付されている。本一冊分の添付があり、すぐに全部は読めない。ボツボツ読み進めよう。それにしても「生家で見つかった…」とある。生家は同じ町内にある。しかし、その人のお家は今は誰も住んでいないらしく、片付けの最中に出てきたのだろう。その人のお父さんは市に合併する前、町の教育長をされていた。メールをくれた人も賢い人だ。ともあれ、ご自分の専門以外でも精力的に取り組んでおられる。見倣わなくてはいけない。この人に連絡を取ってくれた人とは今、ご無沙汰している。いつも心から感謝!

 昨夜は新日本風土記の「永平寺」を見る。永平寺で修業された3人のお坊様と旅で知り合い、関心を持って見る。これは昨年4月の再放送で見たような番組だった。番組の詳細によると「およそ770年前、道元禅師が福井・越前の地に開いた曹洞宗大本山 永平寺。深山幽谷に建てられた伽藍の中では、雲水と呼ばれる修行僧たちが座禅を中心とした修行生活を送っている。一方、永平寺の門前には、昔から寺と深く関わってきた人々が暮らし、季節ごとの寺の行事を支え続けてきた。冬、永平寺は深い雪に覆われ、修行の厳しさは一段と増す。受け継がれてきた修行と、寺とともに暮らす人々の冬を見つめる」とある。

 道元が中国から連れて来た永平寺の宮大工。その子孫は今も永平寺の一角に大工町を作って暮らす。また永平寺で使われる木材仕様の宗教道具を作る人たち。さらには永平寺周辺の杉の林。ただ永平寺だけで需要される杉を専門に育てる人たちだ。このように永平寺の周辺にコミュニティをなして住んでいる人たちがいる。

 前回見た時、永平寺専属の宮大工は中国からやってきた人と知って驚いた。今年の8月にタイに行ったとき、そこで初めて知ったお坊さんにこのことを話すとご存じなかった。それにしても標高800mに位置する永平寺。冬であっても素足の雲水。知り合ったお坊様たちも厳しい修行をされたのだろう。凡人にはできそうにない。

 ともあれ今日も楽しく過ごしましょう!

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