2017年12月7日木曜日

「いつかこの落ち葉のように」

 図書館で読んだ朝日新聞。トピックス欄に「後藤正文の朝からロック」がある。朝日は家にないので後藤正文がどんな人かもわからずに記事に目がいく。それは「落ち葉」の件。後藤は若いロック歌手だそうだが、なぜか落ち葉に目がとまる。視力がどうこうよりも関心の度合いでモノ・コトは目に入ってくるのだろう。ともあれ、この文に惹かれる。先ほどネットでこの人の名で検索すると朝日新聞にこれまでのトピックスの記事の一部がアップされている。「後藤正文の朝からロック いつかこの落ち葉のように」のタイトルで以下のように書いている。

 「…ある日散歩していたところ、赤や黄色の落ち葉に目を奪われた。偏屈な僕は、一斉に咲いた花びらがはらはらと散る瞬間だけが切なくて美しいのだと頑なに思っていた。落ちた桜の葉は様々な色合いで、鮮やかな黄色のものもあれば燃えるような赤色のものもあり、中には虫に食われて黒ずんだ葉もあったが、がさっと手にすくってみると、その一かたまりから何とも言えない豊かさを感じた。中高年の人たちが、こぞって京都や日光のような紅葉スポットに出かけて行く風習を、『枯れた葉っぱだよね』と冷ややかな目で見ていたけれど、何も見ていなかったのは自分だったのだと恥ずかしくなった。老いるということが、こうした些細な美しさに気づくということとイコールであるならば、じいさんに向かって年老いていくのも悪くないと思う。気がつけば41歳。…せめて、豊かさの一部としていつか地面に降り積もる日を思って生きたい」。

 「老いるということが、こうした些細な美しさに気づくということとイコールであるならば、じいさんに向かって年老いていくのも悪くないと思う」、ここがいい!その中でも「些細な美しさに気づく」は特にいい。どういってもまだ41歳。何を…と思うけどここはミュージシャン。繊細な気持ちを持ち合わせたヒトだろう。

 この若者が言う「じいさんに向かって…」は無理だから「ばあさんに向かって年老いていくのも悪くない」だろう。いやいや、もうすっかり年老いたばあさんになってしまった!?それでも気分だけはまだまだ青春。いつまでも元気で張り切って…。 

 今、思った。来年の日本画展の落ち葉の絵。このタイトル「いつかこの落ち葉のように」をまねしてつけよう。もしかしてアイデアを盗むのは盗作!?

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