日本画教室の人から「画家モーリス・ド・ヴラマンクの絵と『私の遺言』」のネット記事のコピーをいただく。ヴラマンクの展覧会は今、ひろしま美術館で開催中。コピーをくれた人はヴラマンクの絵にかなり感動された様子だった。コピーを読むと人のブログからの記事のようだ。探し当てると同じ記事にたどり着く。記事をくれた人は私がその内容を読んで感動すると思われたらしい。ヴラマンクは「私の遺書」のタイトルどおり若い画家たちに伝えようとして書いている記事だった。
若い画家でないモノであっても記事から何が言いたいのか十分に伝わってくる。その一部を抜粋しよう。
「内的様相をそれ自体の深みから表現し、人々に理解してもらうことがいかに難しいことか!あらゆるものが乱雑に混ざり合うなかから、本当の感情を見分けて選び出し、筆やペンで表現することがいかに難しいことか!」
「それぞれの季節が廻り、花が咲き、心臓が高鳴るこの上もない幸福、光と影があり、空と水の色彩が存在するこの幸福、それらが、われわれのきわめて貴重な財産であり、傑作を生みだしてきた原動力であることを、時にわれわれは思い出さなければならないのではないか」
「私は、決して何も求めてこなかった。人生が、私にすべてのものを与えてくれた。私は、私ができることをやってきたし、私が見たものを描いてきた」
昨日の日本画教室で一昨年夏に出かけた月山湿原の写真を描こうとした。先生に相談するとどんより曇った空を描くのが難しいのでは、と諭される。これは諦めて他の写真から睡蓮の花をデッサンする。しかし、咲き誇った花一輪と葉っぱだけではどこか絵に締まりがない。そう気づいて蕾を入れることを相談する。このアイデアだけでも進歩したと褒められる。一歩ずつ自分で感じたことが絵にできればそれでいい!
睡蓮はF6の画用紙にデッサン。割と早くデッサンできるようになった。次は五色沼か屋久島のどちらかに出かけた際の大木の根っ子の部分だけをデッサンする。これを撮った時は絵になりそうだ、と意識して写した。昨日は時間がなくてデッサンの途中で終える。これもF6にデッサン。
スケッチ旅行でなく、ただの旅に出て絵になりそうな写真を撮る。時間があればこれも旅の楽しみになりそうだ。しかし、どういってもツアーでは思うような自由な時間が取れない。これは残念。
ヴラマンク展は今月24日まで開かれる。まだ開催日数もあるので来週あたり見に行こう。
昨日は夜、60年ぶりに小学校時代の同級生に引き合わせてくれた人へご無沙汰のメールを送信する。〇〇君から一斉送信のメールが送られてくる度、引き合わせてくれた人を思いだす。そして親切を無駄にしているとの念が頭から離れなかった。その気持ちをメールで伝えてホッとする。返信メールには〇〇君たちと遠くまで出かけての同窓会や、届いたメールが「すごい文章!」、さらにはお互い皆、年を取ったとの言葉もある。それは自分自身を含めて皆同じ。お元気そうだ。
3年くらい前に美学の講座で知り合った人だ。今は講座とも疎遠になった。その人も今は休んでいるという。ヴラマンク、講座で聞いたかどうか覚えていない。ともあれ、今日も楽しく過ごしましょう!
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