2017年1月20日金曜日

『自分探しと楽しさについて』

 今朝は雪でなく霙が降っている。夜は雪になるようだ。院展が始まった。昨日はオープニングセレモニーに行く予定を変更してプールで泳ぐ。絵を見るよりも泳ぐほうが楽しい。というか、この頃は金曜日にプールで泳ぐ予定にする。ところが天気予報を見ると金曜日の今日は大寒で寒くなるという。それならばと暖かい昨日の木曜日に泳ぐ。

 年末に読んだ『自分探しと楽しさについて』(森博嗣 集英社、2011年)。以下の抜粋は最近実感するところ。特に「昔の方がよかったと感じることなんて、『自分』に対しても、『社会』に対しても、ほとんどない。どんどん良い状態に向かっているように感じる。…」の文章に同感する。昔のなつかしさを感じることはあってもやっぱり今がいい。そう考えるためか、同窓会への出席は好きでない。今、楽しくやっていることはすべて30代半ばから今までに気付いて始めたこと。自転車、中国語、海外旅行、水泳、フルート、日本画など、どれも今、欠かせない「楽しさ」に当てはまる。ということは30代半ばまで何もできなかった!?昔がいいはずがない。かといって筆者のようには未来を悲観していない。多分、これから「楽しさ」が増える予感がする。というか増やしたい!ともあれ以下はその本の抜粋から。

★一般的にいえる傾向として、自分に向かって近づいてくるものは、えてして楽しくないものが多い。これに対して、自分が向かっていきたいものは、たいていは楽しいものである。ここに、受動か能動かの違いがある。55-56p

★時間をかけなければわからない「楽しさ」というものがある、ということ。もっといえば、時間をかけることでしか本当の楽しみは味わえないのだ。61p

★金がかかる楽しみを目指す人は、金を得るだろう。金のかからない楽しみを目指す人は金がなくても楽しめるだろう。金を目指す人や、金がないから楽しめないと諦める人は、楽しみは得られない。それだけのことである。いずれも、本人が描いたとおりになっている。178p

★昔のあのときが良かったなとか、子どものときの夏休みは楽しかったな、と「楽しさ」を思い出すようなことはない。懐かしいことはあるけれど、昔の方がよかったと感じることなんて、「自分」に対しても、「社会」に対しても、ほとんどない。どんどん良い状態に向かっているように感じる。…とんでもない楽観主義者だと思われそうだが、それは少し違う。僕は未来を悲観する人間なので、その予測よりも現実が上出来だ、と感じるのだ。165-166p

★恵まれた環境とは、生きていくため、教育を受けるため、健康であるためのものであり、それらは社会が備えなければならないものだ。「楽しさ」は、その上に立脚しているものだけれど、残念ながら、恵むことはできない。つまり、「社会」からもらえるものではない。「他者」から分けてもらえるものでもない。「自分」の内から生まれるものなのである。180p

0 件のコメント:

コメントを投稿