2016年4月23日土曜日

『今日を限りに生きる。』

 熊本地震が起こるころ図書館の予約確保でこの本を読む。それは『今日を限りに生きる。』、サブタイトルは(人間明日のことはわからない)(吉沢久子 さくら舎、2015年)である。以下はその抜粋から。

 モロッコの旅の最中、日本の情報は全く入ってこなかった。出かける先では大概、NHKワールドを見ることができる。だが、今回はそれもダメだった。ただ日本の情報源は添乗員のスマホから入るだけ。ANAのシステムトラブルとベルギーのテロを聞いた。その際、添乗員は「今を精一杯生きましょう!」と話す。全く同感。旅先でもこの本に書いてあることと同じことを感じた。その日から地元のテレビはベルギーのテロ一色となる。だが、日本の情報は何もない。

 そのモロッコ。近いうちブログに記事をアップする予定。ところが、昨夜はもう大丈夫と思った矢先、なんと文字の大きさが異なる個所がある。それを修正しているとますます変になる。いつもは早寝をするモノが昨夜は午前零時半の就寝。それも頭を冷やすための就寝となる。さて今日はいい具合になるかどうか。

 気分を変えるべく、午後は泳ぎに行こう。前置きはこのくらいにして以下は本の抜粋。今日も元気を出して行動開始!

 一つ忘れている。昨日の美術講座。先生から筍と大きなシイタケをいただく。早速、筍をゆでた。旬のものをいただくとさらに元気も出てきそう。今夜は筍料理で…。

※「元気な脳になるための三大エネルギーは、糖質、酸素、経験です。その中でも経験は一朝一夕にできることではありません。いくつになってもいきいきとした脳でいるためには、若い頃から自身の生活といかに向き合っていくかが大切になる」と。(「脳の学校」代表 加藤俊徳)107p

※全部が全部揃っていて、いつもしあわせな人なんているのでしょうか。そんな人などいないと思いませんか。誰だってつらいことやたいへんな何らかの事情を抱えて生きています。それが普通です。111p

※自分の何をどうしてほしいといくら綿密に準備をしていても、実際はどうなるかわからないし、そのとおりにものごとが運んでいるか確かめることもできません。終活という名の「死後の心配」に時間を費やして、いまをないがしろにするのは本末転倒ではないでしょうか。134p

※食べるものもないのにひたすら働いて、いまある世界の中で楽しいことを見つける、夢や希望を語り合う。「今日を限りに生きる」という私の根底に流れる考えは、こうしたギリギリの生活の中でも雑草の様にたくましく生きてきた中で、育まれてきたのかもしれません。136p

※人間の命とは、本当にわからないもの。とくに自然はどうにもならない相手です。だからいつ起こるかわからない災害におびえて暮らすよりも、今日を悔いなく生きていくことを考えたほうがよいだろうと私は思っています。137p

※予防を考えることは大切ですが、どんなに万全の準備をしたつもりでも、予定通りにいくとは限らないのが人生。それなら、考えても答えが出ないことにあれこれ悩むよりも、今日を明るく身のまわりのものにも愛を注いで生きていきたい。それが私の考えです。138p

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