2016年4月14日木曜日

『人間の生き方、ものの考え方』

 市内の図書館の利用方法が半年前から様変わりした。そのためかどうか、予約した本の予約確保が難しくなる。一人5冊→一人10冊まで利用できるようになった。なかなか順番が回ってこない。以下は以前、読んだ本でその中から気に入った箇所を抜粋したもの。『人間の生き方、ものの考え方』(福田恒存 文芸春秋、2015年)。今朝は雨も止んで最高気温25度の予報。春らしいお天気になりそうだ。家にいるのはもったいない。さてどこへ行く!?今日も元気を出して、一日楽しく!

★ T・S・エリオットが「文化というのは生き方である」と申しましたが、大抵の場合そういう意味では使っていないのです。…もし生き方として文化というものを考えるならカルチャーを教養と訳す場合の、教養という意味もちゃんと通じてくるわけです。34P

★ 正しい歴史とのつき合いが行われていたのは明治までだったわけです。では明治以後はなににつき合ったかというと、西洋の文明開化につき合ったので、文明開化に都合の悪い歴史というものは、日本ではみんなご破算にして来たのです。…国家主義というのも実は西洋流の生き方なのです。すなわちあくまで西洋の先進国に追いつこうとする富国強兵策なのです。そういう観点から都合のいいように歴史を整えようとしたのです。こうして日本を近代国家として作り上げるのに都合のいいナショナル・ニーズに応えた歴史教育が行われて来た。50p

★ 原爆を受けた以上に――原爆を受けたことは大したことではないのでその前に日本は西洋文明という原爆をうけてその中で苦しみながら今日ここまで至っているのです。52p(原爆のこの記載については後の編集者により断りがある)

★ 学校では本当の教育など行われていない、そこで行われているのは、教育の一分野である知識の伝達ということなのです。知識の伝達を今日では教育と言っているわけです。だから教育のある人間が教養ある人間に限らないと先ほど申しましたのは、知識のある人間は教養のある人間とは限らないということです。56p

★ …いま非常に生き甲斐を感じるという、その生き甲斐というものを人は幸福と名付けるのです。61p

★ 真の自由というのは成否にかかわらず、やりたいことをやる充実した生き甲斐のことだと私は思います。156p

★ 新聞の活字というのは、情報、知識を得るものです。しかし、文学作品とか、歴史の本などは、その内容を経験しなければいけない。というのは同じ読書でも、経験としての読書と、知識としての読書というのがあるわけです。170-171p

★歴史を学ぶ、言葉を学ぶ、自然を学ぶという風に思っている。そういう考え方は間違っているので、われわれは歴史に学ぶのです。歴史が我々を教える。われわれは歴史から教わるのです。自然から教わるのです。言葉から教わるのです。175-176p

★ 絶対言葉によっては伝わらないというものがあります。それは言葉を信用しないという意味ではなくて、人間というのは常に孤独であるということと、それを覚悟しなければならないということです。文章であろうと、言葉であろうと、あるいは言葉を使わない行動だけの場合であろうと、他人が自分を完全に理解してくれるということは、究極的にはできない。181p(福田逸)

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