2016年2月29日月曜日

「きらクラ!」

 NHKの今朝のFM 「きらクラ!」、ゲストは指揮者の山田和樹。今さらっているフルートの曲はチャイコフスキーの第5番第二楽章。なんと山田のお気に入りの曲だそうだ。それも今まさにさらっている個所がそうらしい。フルートの先生から交響曲を聞いてこの箇所がわかるようになる、と聞いたばかり。これほどいい曲ならば、気持ちを入れて練習、練習!

 今朝はこれから合唱の練習へ。朝からフルートの音出しをする。来月、某施設を慰問する。その際、合唱でピアノとフルートの伴奏が入る。これも頑張って練習しないといけない。今朝は雨上がりで、温いのか寒いのかわからないような変なお天気。今日も元気を出して、フルートの出番が待っている!

2016年2月28日日曜日

黒田投手のアイシング!?

銀箔を貼った6号F 木製パネル

 これまで描いていた1本の樹木、やっと完成する。絵のタイトルは「大樹になあれ!」。先生にそう話すと「いいんじゃない!?」とのお話。これで決定。今年の秋の日本画展に出す予定。次に描くのは銀箔を貼ったF6号の木製パネル。画像はまだ何も描いていない木製パネル。これにかぼちゃと赤い大根を描く予定。

 トレーシングペーパーにデッサンしたものをトレースする。その際、かぼちゃと大根のデッサンはそれぞれ異なる用紙。別々にトレースしていると1枚の用紙にトレースするようにとの先生のお言葉。それには描く配置が大事となる。こういうこともわからず、トレースしていた。如何に何も考えずに作業しているかがわかる。何も考えず…は他にもある

 瓶に入った膠。大きい方が何かとお得と思う。最初は先生に日本画用具一式をお願いした。なくなれば自分で購入。膠も初めは小さいモノを購入。ところが2回目は大きな瓶入りを購入。それをそのまま教室に置いていた。ところが昨日、毎回目にするはずなのに目から鱗の膠の容器。教室の先輩たちは小さい入れ物に入れ替えて鍋で溶かしておられる。小さければ持ち運びも便利。2年も経過してやっとそれに気づく。関心がなければ気づかないことがやっとわかる。こうして少しずつ絵のこともわかっていくだろう。
  
 そして昨日の黒田投手の話題。楽しい!というかかわいすぎる。
 
 広島・黒田博樹投手(41)が27日、沖縄キャンプでシート打撃に登板。新井貴浩内野手(39)との対決が実現した。http://news.livedoor.com/article/detail/11230987/ (参照)「広島・黒田があり得ない“巨大アイシング” 新井の打球キャッチの衝撃?」のニュース。大げさにした左手。黒田投手もよく考えれば自分からしてみればまだまだ若い!それにしてもよくぞ思いついたジョーク。今年の黒田投手、期待しよう!今朝は曇り空。今日も元気を出して楽しく!

2016年2月27日土曜日

「東の極み乙女」&「西の極み乙女」

中央図書館の梅花&桃花?

 今が旬とばかり世間をお騒がせのゲスの極み乙女。女子会NO. 4さんの昨日のメールで笑ってしまった。このグループの名はお騒がせ後に初めて知る。先日、女子会NO.1とNO. 2は広響の定演を聞く。その時、女子会をしようと意見がまとまる。こちらは共に市内の東部に在住。メールの送信者は西部に在住。これを名付けて「東の極み乙女」&「西の極み乙女」となったらしい。

 「西」のNO. 3とNO. 4さんはパン教室に通われている。「東」の心の栄養に対してパンの栄養は過剰だそうだ。何でもいい。楽しければ…。その後のメールやり取りの可笑しさは半端でない。女子会当日のドレスコードはなんと「乙女」。この時ばかりは声を出して笑ってしまった。NO.4さん、女子会の幹事、よろしくお願いいたします。楽しみ!

 初めて会ったNO.4さんは女子大生の乙女だった。社会人だった他の3人と比べても異色の存在だった。一緒に楽器を習い、あれから何十年。電卓がないと年数の計算ができないくらい長い年月を経た。それでも皆、以前のままでの女子会。楽しみ!飲んで食べてしゃべって笑って…。

 昨日は他にも美学の講座で美術館へ行く。ひろしま美術館で開催中の「もうひとつの輝き 最後の印象派」展を見る。パンフレットを飾るマルタンの「野原を行く少女」。本物の絵はパンフよりも明るさもあって素晴らしい。絵を見る時、絵の中に入りたくなる絵が素晴らしい絵、とある本で読んだことがある。これはそれを感じさせる。ほかに、ヂュエムの「羊飼いと羊の帰還」もいい。何がいいって風景がいい!シダネルの絵も素晴らしかった。

 絵を堪能した後は先生を囲んでのティータイム。解散後、図書館に向かって歩いていると梅か桃の花か定かでないが満開だった。携帯で写す。

 今日はこれから日本画教室へ。今日も元気で楽しく!

2016年2月26日金曜日

「請保重玉體」

 今朝の冷え込み、かなり気温が下がっている。昨日受け取ったメールには「温暖差の激しいこの時期、請保重玉體。」とある。〇小姐、非常感謝!メールを送ってくれた人は主婦であり、2人の子どもの母であり、学生でもある。それなのに人生2度目のドクターコースを歩んでおられる。素晴らしい!嬉しいことに「好、学姉…」と言葉が続く。人生、大いに楽しみ、学びましょう!

 学ぶと言えば今朝はこれから美学の講座で現地学習。寒いけど元気を出して…。寒かった昨日も元気を出して2週間ぶりに泳ぎに行く。プールに入った瞬間、何と水のきれいなことか。メンテナンスの期間、プール内の清掃がされている。見上げると天窓も綺麗!時々はお日様も射しこむ。気持ち良いプールで気持ちよく1キロ泳ぐ。

 さあ、今朝の行動開始!今日も元気で楽しく! 

2016年2月25日木曜日

「りんご、一日一個で医者いらず」

 6日前から毎日リンゴを食べている。マレーシアの旅で話題となった酢玉ねぎ。そしてリンゴ。先月の眼科健診で眼圧が16と18といわれる。もともと視力は悪いが眼圧は高くない。その時、血圧が寒いと高いように眼圧ももしかして気候に関係あるかもしれないとの先生のお言葉。ネットで検索すると寒い日にはマスクをして出かけると眼圧が下がるとのアップがある。早速、昨朝、これを実行。何と12と16だった。これで一安心。今のところ悪いところがない。これをいつまでも維持して…。  

 そしてリンゴ。子どもの頃、リンゴをよく食べた。「リンゴは医者いらず」と親から聞いて育った。ところが、最近はカレーやポテトサラダにいれるくらいでリンゴそのものを食べる習慣がない。ふと思い出した親の言葉。ネットで検索すると同じ事が掲載されている。これを食べてますます元気になる!?
http://homepage3.nifty.com/jindaira/kudamonoqanda/noen5a.htm(参照)

 元気といえば昨夜のフルート定例会。楽しく食べて飲んで元気を充電!開口一番は先月の定例会での楽しかったフグのコースが話題となる。昨夜はフグでなく牡蠣。そしてひれ酒でなくビール。美味だった。相変わらずフルートの話が出ない。いつものごとく美味しいモノをいただいてビールを飲む。楽しい。フルートの先生は昨夜、他の人たちとフグを食べに行かれたらしい。

 今日は2週間ぶりにプールが開館。午後は泳ぎに行こう!今日も元気を出して!ここで余談。定例会に行く前、新白島駅に下車して中央図書館まで歩く。2回目となる新白島駅下車。今回は地下道を通らずRCC前を歩く。20分余りで図書館到着。堀文子画集を借りる。やっぱり、この人はいい!昨日の携帯万歩計は7000歩。昨日は他にも再来月の始めの美術館巡りバスツアーを申し込む。催行されるといいけど…。

2016年2月24日水曜日

老婆と兄ちゃん

 2週間のプール休館で泳ぎに行けない。運動不足解消にとフルートレッスン後、歩いて移動する。昨日の携帯万歩計は11050歩。先生宅→大型ショッピングセンタで遅い時刻の軽めの昼食→NHKビル最上階の某旅行社でクレジット決済。結構な金額なのに社員の愛想がない。いつもそう感じる。気を取り直して→大型電気店で誕生月のポイントゲット。旅行に使うSDカードの購入をためらう。SDカードにも3種類ある。いわゆるSDと思うけど買わずに外へ出る→街中をふらついて広島駅まで歩く。→JR下車後、自宅最寄り駅で半年間の定期券購入。クレジット決済で継続するICOCAを機械に挿入する。だが入らない。何度も試みる。隣の若い兄ちゃんが助けてくれる。ICOCAの挿入口が違っていた。謝謝兄ちゃん!優しいね!

 さて昨日のフルート。チャイコフスキーの曲をさらう。交響曲第5番第二楽章。8分の16拍子の曲。これを4拍子に換算してリズムを取る。曲の途中、アレンジなのか拍が色々変化する。これは結構大変。吹いた後、先生が同じところを吹いてくださる。ところが、楽譜に忠実に吹くのが精いっぱいのものと先生の音との違いが如実に出る。同じ曲とは思えない。これは指揮者によって曲の感じが異なるのと同じことだろう。ともあれ、練習、練習!今日も元気で!

2016年2月23日火曜日

大樹のように

風にふかれ
陽をうけて
土に根ざし
大樹のように。

 これは昨日の茂木健一郎公式ブログから。http://lineblog.me/mogikenichiro/(参照) この「大樹のように。」、かなり気に入る。今、描いている日本画は一本の樹木。このタイトルは茂木を捩って「大樹になーれ!」としよう!

 BSプレミアムシネマ「アラビアのロレンス」を見る。画像はテレビ画面を携帯で写したもの。映画のタイトルは知っていても映像は初めて見る。近いうち、この映画のタイトルに近いところへ出かける。どういっても広々とした砂漠の光景は目を見張るものがある。素晴らしい映画だった。これで少しはアラブの歴史がわかった気がする。生まれ変われるものならば次は絶対「男」。思うままに旅をして暮らしたい。

 今、読んでいるのは山下清の本。その甥である人が書いている。それによると春になると山下は放浪の旅に出ている。名前は知っていても絵は見たことがない。本に掲載された画を見ると貼り絵。貼り絵といっても細かな作業で絵ができている。その場でスケッチすることなく、景色を頭にインプットして、家にかえって絵に仕上げていたそうだ。それにしても素晴らしい絵!

 今日は雨模様の一日。フルートのレッスン後は旅行社へ出かけて旅の代金をクレジット決済。それにしても大樹のように、いい言葉。元気を出そう!

テレビ映画「アラビアのロレンス」より

2016年2月22日月曜日

再び「100分で名著」アドラー

 旧暦では春節の2月8日から5月6日までが「春」。春とはいっても今朝も寒い。それでも昨日は少しは暖かくなったと思って部屋を片付ける。片づけが終わるとプロ野球のオープン戦テレビ観戦。球春も近い。どんな戦いでも勝ち試合は楽しい。安心してテレビを見る。見るのはいいが結構、必死になるところがある。こうなると人のことなのに一喜一憂してしまう。喜びはいいけれど憂鬱になってはいけない。

 先日来からみているEテレのアドラーの心理学。第3回目の先週、見ていて確かに、と思える箇所がある。それは以下の件。EテレHPのコピーをアップしよう。野球選手の動向に一喜一憂する。これは誰の課題か、と問われれば自分自身のことではない。それなのに必要以上に気を入れすぎる。この「課題の分離」のキーワード、覚えておこう。人のことや人からの言葉で一喜一憂しない!これさえ悟れば何ということはない。要らぬお世話と思えばいい!

私たちは他者に認められたいという「承認欲求」を常にもっている。しかし、アドラーは「他者から承認を求めることを否定せよ」と説く。他者の期待を満たすために生きてしまったら、本当の自分を捨てて他者の人生を生きることになるからだ。「承認欲求」から解放される要はアドラーが提唱する「課題の分離」。「これは誰の課題か?」という視点で、自分と他者の課題を線引きし、他者の課題に踏みこまない、自分の課題に踏みこませないことを徹底させる。それができたとき、対人関係は驚くほどシンプルになり、無駄な競争から解放され、各人が対等な関係を築けるという。
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/51_adler/ (参照)

2016年2月21日日曜日

銀箔を貼る

 見るのも触るのも初めての銀箔。日本画教室で1年先輩の人と一緒に銀箔貼りに挑戦。金沢で購入した銀箔と地元の画廊でのそれは価格がなんと倍も高い。これどういうこと?6号のFサイズの鳥の子紙を貼った木製パネル。それに深緑とオレンジ系の色を混ぜて下塗り。それが乾くといよいよ銀箔貼りになる。封がされている銀箔を見ると細い糸でくくってある。それを切って1枚づつ丁寧に薄紙を箔箸という竹でできたものではがす。それをつまんで銀箔を取り出す。この時、息がかかると箔は丸まってしまう。そこを何とか油紙の下に置いて、それを持って下塗りのパネル状に置く。アッと思ったときには端が丸まったりよじれたりする。1枚1枚丁寧に同じ作業を繰り返す。

 O型の先輩は器用にパネルに箔を並べられる。ところがB型のやることのなんと大雑把なことか。見るのも哀れなパネルの箔。その時、以前どこかで習っておられた人が教室の見学に来られる。来月からこの教室に入られるそうだ。目の前でやっているBとOの二人。見学の人はBらしい。

 見学者が帰られた後は箔に再度集中。とはいっても見事に破れ破れの箔の羅列。この穴にちぎれた箔を利用して埋めていく。全部を埋めるとなるとこりゃ大変じゃと思いながら埋めていく。何とも汚い感じになる。ところが隣の人はうまくされている。それを見ていた先輩格の人たちからB型人間の箔を見て「いい具合になった!」とのお言葉。これどういうこと?不思議に思っているとなかなかこうはいかないとのお言葉が続く。聞くところによるとこれも怪我の功名ではないが、ある面、いいらしい。

 箔を貼ると聞いてまさかぐじゃぐじゃになったのがいいとは青天の霹靂。知らないということはこういうことにつながるのかとびっくりする。銀箔を貼ったパネルに「どうさ」をひく。この「どうさ」。本を読んでも今一歩理解できなかった。初めて理解する。その上にさらに違う色を膠で溶いて色塗りする。これでやっと本画に入る。この本画には以前デッサンしたかぼちゃと赤い大根を描く予定。

 それにしても日本画の作成までにはいろんな作業がある。これ、独りでは到底できそうにない。長い年月がかかる理由がわかってくる。次回は葉っぱの繁った樹木を完成させる予定。その後、銀箔のパネルの本画作成に入る。

 これだけ念入りな作業が続くと、一年に作品となる本画の数は数えるほどにしかならない。おのずと作品になったものに愛着がわく。

 春らしいいいお天気。今日も元気で!

2016年2月20日土曜日

広響第357回定期演奏会etc.

 昨夜は広響第357回定期演奏会の日。女子会メンバーの一人からチケットをゲットしたとのメール。それではと、近くの席に座ろうと約束する。会場ロビーで待ち合わせて指定席をゲット。13列の右端。この席、端とはいっても結構いい席で落ち着いて聞ける。だが、睡魔に襲われた曲だった。
 
 女子会メンバーとは久々のご対面。また4人で集まって女子会しましょう。これ昨夜の2人の意見。そういえば帰りのバス内でのお話。

女子会メンバー「チケットくれた人にどういえばいいんだろう?」
私「素晴らしかった!」
女子会メンバー「???…」

 昨夜の演奏曲目は「私たちは忘れない」との演奏タイトルで3曲が演奏された。広島市被爆70周年事業のためか原爆や戦争に関する曲となっている。確かに原爆や戦争はよくないこと。だからと言っていつまでもそれを引きづっていいのか。美学で絵を見る時、好き嫌いでその善し悪しを決めればいいと聞いた。それならば、音楽もそうでは…。曲自体はいい曲かもしれない。広響の会員になって20数年の月日が経つ。自分自身に聞く力がないのか、聞いていて決していい曲に思えない。というか、むしろ聞きたくない!こういってはお終いかもしれない。だが、これは正直な気持ち。聞いた後の何とも言えない嫌な気持ち。演奏している人たちはどうなんだろう。せめて1曲くらい気持ちのいい曲で締めくくって欲しかった!

 気を改めて昨夜の演奏曲は下記のとおり。

♪ベートーベン「献堂式」序曲ハ長調OP.124

♪糀場富美子「摂氏4000度からの未来~管弦楽のために~」

♪ショスタコービッチ「交響曲第10番ホ短調OP. 93」

 演奏会に行く前、画廊によって注文していた6号の鳥の子紙を貼ったパネルと銀箔20枚を受け取る。なにしろ、日本画の材料を買うにも自分自身よくわかっていない。なんとかこれで大丈夫だろう。今日の日本画教室に持参。銀箔に挑戦するらしい。ますます日本画らしくなっていきそう。

 その後、人からもらったチケットを持って池坊展を見に行く。活けてあるお花よりも、花自体を見ている。もしかして日本画のモチーフになる!?若いころ習っていた剣山で活ける生け花よりももっと自由な感じで活けてある。伝統的な生け花の世界も時代には逆らえないのだろう。ともあれ、花のある生活はいい!今はもっぱら、お花は仏壇前に置いた大きな花瓶に活けている。

 お花ではないが、演奏を聞きに行く前、紅葉を伐採してもらう業者と出くわす。庭の様子を見に来られたようだ。3年前の業者で昨年の人たちではなかった。3年前は高く、昨年の業者は安かった。大きくなったイロハモミジ。切ることに決めた。これで庭の木はレモンだけになる。狭い庭だけど、紅葉を切った後にはお花を植えよう。

 今日はこれから日本画教室へ。今日も元気を出して絵を描こう!ちなみに昨日の携帯万歩計は9965歩。広島駅→三越裏の画廊→福屋活け花展→本通り夢プラザで和菓子ゲット→カフェで軽食→平和公園内の国際会議場で一休み→旧厚生年金会館での演奏会のルート。良く歩いた日となった。

2016年2月19日金曜日

「何をしてもいい自由」と「何もしなくていい自由」

梅&桃?

 携帯で写した割にははっきり写っている。これは梅それとも桃?お墓参りの途中、目にする。梅と桃の違いはネットによると花びらに違いがあるらしい。丸いのは梅で尖っているのは桃だそうだ。するとこれは八重の梅かもしれない。ともあれ、澄んだ青空に桃色が映えた光景は素晴らしい。
多分、梅では?

 「まだまだ見なきゃいけないこと、学ばなきゃいけないことが山積みで、人生楽しくてしょうがない。人間、常にちゃんと勝負していれば、老化なんてしないと思う。」。これは女優の山口智子の言葉。http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160218-00010000-kjn-ent&p=3 (参照)
特にこの人が好きとかではなく「人間、常にちゃんと勝負していれば、…」のキーフレーズに思いが通じる。このころ、巷で言われている下流老人。それにも「人間、常にちゃんと勝負していれば、…」そうならないと思う。とは言っても人それぞれでその思いは違うかもしれない。

 老人といえば今朝の中国新聞の森村誠一の言葉。「人生二毛作 世界築こう」「『しない自由』5年が限界」の見出しがある。人生のリタイア後になると自由も2種類あり、それは「何をしてもいい自由」と「何もしなくていい自由」。「何もしなくていい自由」を選ぶと生産性のない、欝々とした高齢期を過ごすことになる。ところが逆の場合では「どのようなことでも、自分の世界を持って、能動的に広げていって欲しい。何かを生産し、表現することで、生きているという実感が持てるものです。」と森村は言う。これは山口の言葉に通じる。

 仕事を辞めてすでに13年半。働いていないけど遊びでは生涯現役。昨日届いた某会の葉書にはGWの日帰り旅と10月の海外旅行の参加有無の知らせがある。どちらも参加予定で直ぐに返信葉書を送付する。「何をしてもいい自由」の境地にいる。せいぜい人生楽しみましょう!今日も元気で!

2016年2月18日木曜日

母の祥月命日

 今朝は姪のメールで目を覚ます。届いたメールによると2011年以降、イランに行った人はアメリカ入国に際してアメリカ大使館でのビザ取得のための面接と160米ドルが必要らしい。イランとアメリカの関係の難しさがこれでわかる。姪は昨年か一昨年にイランへ旅行し、これが施行される前の昨年、ハワイに行っている。だが、これからアメリカへ行こうとすればビザの手続きが面倒になりそう。個人的にはイランは20年くらい前に行っている。アメリカ行きは関係なさそう。

 2011年と言えば、その年の今日、母がこの世からいなくなった。姪とのメールのやり取りの最後はその報告。姪の返信メールは「ばあによろしく!」。ちゃんと伝えよう。

 この世からいなくなると言えば昨日の高校時代の同級生からの電話がある。先日、高校の同窓会が開催される。だが、不参加。これまで同窓会なるものに参加したことがない。とはいっても個人的に旧友と会うことはある。同窓会に参加した人によると高校時代の400人の同級生の内、1割に当たる41人がすでにこの世にいないそうだ。まだ60代というのに早すぎる死。いろんな人の名前を言われても、そうか、くらいしか思わない。というか、自分自身が死ぬ、という気が今のところ皆無。呑気といえば呑気。それよりもまだまだやりたいことがたくさんある。長生きしたい。

 今朝はとても寒い!暖かくなる前の最後の冬のあがき!?今日はもう少しするとお墓参り。母がいなくなってもう5年が過ぎようとしている。本当に月日が経つのは早い。母のいない寂しさにも慣れてきたのか、よく眠りよく食べる。日ごとにデブになりそう。これではいけないと気を引き締めて…。今日も元気で!

2016年2月17日水曜日

Tchaikovsky 交響曲第5番 第二楽章

 さらっていたTchaikovskyの♪Waltz♪を終えて、今日からは♪交響曲第5番 第二楽章♪の練習開始。聞きなれた曲だが、さてさて…。先日テレビで見たバッハのシチリアーナ。さらったはずと思い、これまでの楽譜を探す。『フルート31選』に楽譜があった。早速これをコピー。さらう曲の練習の合間に吹いてみると吹けた。自分で吹いても綺麗な曲。自分の吹きたい18番をリストアップしていつでも吹けるようにする。これ、いいかもしれない。

 レッスン後、三越で開催中の「花薫る中島千波の世界展」を見に行く。桜の画家の異名があり、「桜の名木」の作品が多い。まだ静物しか描けない。そのため、他の花の絵に魅せられる。日本画といっても、ところどころメルヘンタッチで描かれている。これが特徴かもしれない。それにしてもいつも絵を見ながら、その金額を見る。誰がこの絵を買うのだろうと驚くばかり。1千万円に近い絵が並ぶ。

 今朝も寒い。プールが休館で今週は泳ぎに行けない。図書館へ行こう!今日も元気で!

2016年2月16日火曜日

桜が咲いた!

自宅最寄り駅の桜

 毎日の気温差が激しい。今日は最高気温8度、最低気温0度の予報。寒い中、昨日は合唱の練習へ。来月、某場所で歌う曲の練習から入る。1曲はフルートも加わる。当日のチラシを見ると、ほかのグループの演奏もある。チラシに掲載されている名前を見ると、ひとりだけ知っている人がいる。以前、フルートを習っていた人だ。親子ほど年が違う人だけど他で活躍している様子が伝わる。当日、もしかして会える!?

 合唱を終えると皆で食事に行く。自宅最寄り駅に着くと今年もすでに桜が咲いている。JR駅一番ホームにただ1本咲いている。以前はメディアにも取り上げられた桜。近年はどうなんだろう。

 今日はこれからフルートのレッスンへ。今日も一日頑張ろう!

2016年2月15日月曜日

春一番!

 昨日は全国的に春一番が吹いたらしい。こういう日は家でテレビをみる!?古澤のブログを見ると夕方からテレビ出演とある。鈴木ヴァイオリンを作った鈴木政吉。そしてその子供の慎一のお話だった。ヴァイオリンは触ったこともない。だが、鈴木メソッドは知っている。楽器メーカーのヤマハや河合とのなれそめもテレビで知った。

 それにしても今では考えられないような家庭を営んでいる。これにはびっくり。次に何か習うとすればヴァイオリン!とは言っても習うことはない。せいぜいヴァイオリンの演奏を聞くことくらいだろう。

 今朝はヴァイオリンならぬ合唱の練習日。今日もフルート持参。頑張って練習しよう!そして今日も楽しく元気で!

2016年2月14日日曜日

バッハ ♪シチリアーナ♪

 昨夜のEテレ「らららクラシック」は楽器特集でフルート。笛は世につれ500年と題されて、金や銀でできているのに「木管」とよばれる不思議な楽器フルートの歴史と魅力について迫る。ゲストはフルートの第一人者の有田正広。フルートを習っていても歴史や魅力について知らないことばかり。番組HPを見ると昨夜の演奏曲が披露されている。バッハの♪シチリアーナ♪。良く知られている曲。習った曲かどうか忘れてしまっている。吹けそうな曲なので吹いてみよう!
 http://www.nhk.or.jp/lalala/archive.html (参照)

 昨日午後からは2週間ぶりの日本画教室。その間、同じ教室の人が亡くなられたり、怪我をされたりとあまりいいニュースを聞かなかった。気を取り直して教室に向かう。机にはチョコレート。何故と聞くと午前の生徒さんがバレンタイン用にと沢山持ってこられたとか。そのおすそ分けだった。

 葉っぱを描いている。葉っぱと言っても一本の大きな木。これも来週で仕上がりそう。次週からは銀の箔を利用して絵を描くらしい。だんだんと日本画らしくなっていく。嬉しいと同時にうまく描けるようにと願うばかり。


 それにしても、教室で習っていた人がいなくなる。この現象はなかなか複雑な気持ち。まだ人生これから、というのになんということ。元気でいなくてはいけない。つくづくそう思う。今日も元気で!

2016年2月13日土曜日

プロフィール

 今朝のメディアを賑わす覚せい剤所持の病院長逮捕の記事。2年前に某講座の人たちと島にある美術館に出かける。お昼を食べに入ったお店。その時、隣の部屋で食事をしていた人から紹介された人が記事の人だ。人を見る時、レッテルで人を判断しやすい。これは大きな間違い。昨日もほかのことでそれを実感する。社会的地位がいいとか、学歴があるとか、有名であるとか、これらは関係ない。学校では知識を学び、生きる知恵は学ばない。大事なのは生きる知恵!

 自分の目的だけのために手段を択ばず、とまでは言わないが、それらしきことを平気でする輩がいる。人としてこれはいけない。どんな子供でも、どんなにあっけらかんとしていても皆、心ではわかっている。ただ口にするかしないかだけのこと。

 朝からぼやいていてはいけない。今日は久々の日本画教室。そういえば昨日のことを書いていない。昨日は某美術館のオープニングセレモニーに出かける。「生活を彩る陶ー食の器ー」展。器に描かれた野菜などがある。この野菜に目が行く。絵の素養もないとこういう器は作れない。気に入った人の作品はなんと日本伝統工芸展でも見られるという。展覧会鑑賞後は皆でフレンチの会食。美味だった!

 器を見ていてプロフィールに目が行く、いつの間にか出身校を見ている。中でもびっくり仰天のプロフィールがある。これを書くのは止そう。ここまでやるか?と驚くばかり。まあ、人さまに自分をわかってもらう目安となるプロフィール。知ってほしければそれもあり!?

 それにしてもとっさに人を判断するのは難しい。まあどうあっても変な輩に近づいてはいけない。今日も元気を出そう!

2016年2月12日金曜日

姉と

 今月18日は母の祥月命日。あれから丸5年。18日に来れないため、姉だけが急きょ1週間早いお墓参りをするという。何があっても一人で来る姉ではない。いつも一緒のおしどり夫婦の姉夫妻。ひさしぶり姉妹二人でお墓参り。その後は、街へ出て「かなわ」でお昼を食べる。その後のカフェも姉にごちそうになる。謝謝!

 長く家で介護し、3週間ほどの救急搬送でなくなる。姉曰く「あれは感染症では?」。急な容態異変をこれまで不思議に思っていたらしい。知っているモノと思っていた。慌ただしく時が過ぎ、ゆっくり話す機会もなかった。昨日の話での結論は母は「あれで良かった!」。

 しばし、子どもの頃のことを姉と話す。魚が好きな父だった。魚を食べて育った!と「かなわ」で話す。今、元気なのも魚パワー!?ともあれ、みな元気で何より。

 今朝はこれから美術講座へ。午後は姉に教えてもらった通り、大きく育った紅葉を根っこから切ってもらう電話をしよう。今日も元気で!

2016年2月11日木曜日

水彩画展へ行く

 旧正月から3日過ぎた。春節を当て込んで中国からの旅行客が多いらしい。春節前日の懇親会の後、参加者5人で駅ビルにあるスターバックスに入る。入ったはいいが中高年5人は注文の仕方からわからない。ここは代表者にお任せしてメニューにある商品をお願いする。最初に出てきたのは果物のジュース。なんと、紙パックに入ったままで出てくる。これにはみんな目が点。次に出てきたのはコーヒー。ところがミルクも何もない。うろうろして探していると係りに教えてもらう。目の前にいる中国人3人は旅行者だそうだ。美味しそうなデザートを食べている。おろおろする日本人5人を見てさぞかし可笑しかったことだろう。

 コーヒーが来て、ミルクの前に目についたのがプラスチックのスプーン。このスプーンの大きさが日本画の膠を溶くときちょうどいい。今、使用しているのもどこかのカフェで使ったもの。「便利よ」と教えてもらって以後、飛行機に乗ってもお店に入ってもプラスチックのスプーンに目が行く。挙動不審者と思われそう。それにしても駅ビル内もハングルや中国語の文字が目につく。

 昨日は知っている人の水彩画展に出かける。生憎出品者とは会えなかった。しかし、絵を見る目がある、と思いながら見て歩く。ギャラリーの1階で見た絵がいいと話すと初めての出品だとか。2階に上がるとさらにいい絵がある。隣にいる人に尋ねるとなんと絵を描かれたご本人だった。県美展にも何度か入賞され、この会で一番の年長者らしい。

 絵は好き嫌いで良し悪しを決めればいいらしい。昨日の展示会でいい絵と思ったものは好きな絵だろう。2枚の絵を描かれた人と話をすると感じのいい方たちだった。絵に人柄が出ている。

 今日もいいお天気。一日元気で!

2016年2月10日水曜日

フルートのレッスン&「広島IRフェア2016」

 「広島IRフェア2016」に出かける。出かけるといってもその目的は鳥越俊太郎の講演を聞くこと。13時から始まり講演が終わるのは17時半。これを逆算して聞きに行く。フルートのレッスンを終えて先生と遅いランチを食べる。この頃世間を騒がす人の話で盛り上がる。食事後、先生と別れて百メートル道路を歩いて国際会議場へと急ぐ。ここで時間配分を間違える。講演会は1時間半を予定していた。ところが講演会≒講義ではない。

 到着後、もらった資料を見ると講演会開始時刻まで30分ある。13時開始後のスケジュール表を見ると地元大手企業の社長による企業説明会が4社ある。個人投資家向けの企業説明会だった。株には全く関心がない。目的は講演会。ところが遅れて出かけてもそこは大企業の説明会。丁重な応対をされて会場の席まで案内される。ここでまた「どうかいの~」が出てくる。株主様はお客様なのだろう。だが、当方はここまで親切にしていただいてただ恐縮するばかり。汗が噴き出る!

 気分を鎮めて次の講演会まで待つ。講演は45分間だった。演題は「人間力の磨き方」。講師の鳥越は自身を「ニュースの職人」と肩書づける。キャスターやジャーナリストなどと言われてもご本人は「職人」だそうだ。人間力は「直感」が大事という。それは「ひらめき」でもある。大腸がん判明までの経緯を話題にして「直感」の大事さを話される。おかげで大事に至らなかったそうだ。

 この直感、何かをするとき、ふと頭にひらめく。これだろう。今まで長く生きてきて慎重に行動していると思っていた。しかし、そうでないことばかりだった。何がどうといって、初めての就職がそうだった。これは人に話せば話すほど笑い種になりそう。それほど落ち着きなく生きてきた。その瞬間、閃きというか直感で生きてきたと言えば聞こえはいい。だが、これも愚かとしかいいようがない。とはいっても今、なんとか楽しく過ごしている。これはこれで由としよう。

 さて昨日のフルート。ソノリテの後、低い音を出す練習をしている。2番目に低いドの♯。太い綺麗な音が出ない。注意されればされるほどおかしくなる感じ。これではいけない。昨日、講演を聞いた後、ふと気づく。今日から気づいたことを付箋紙に書いてノート、楽譜などに貼るようにしよう。今日も元気で! 

2016年2月9日火曜日

プールへ

 家の近所に今月の始めコインランドリーがオープンした。洗濯は家の洗濯機でするものとの思いとは裏腹にお店は繁盛しているようだ。それにしてもコンビニと同じくこのお店も24時間営業。家の前にはドラッグストア。その横に隣接するランドリー。それにしても真夜中に誰が利用するのだろう。

 開店していいことは夜道が暗くないこと。町が市に吸収合併する前は、この辺り一面は田圃だった。それが市になるや否や以前の面影もなくなり、区役所へ通じる道となる。発展したと言えば聞こえはいいが、これからどんな街になるのやら…。朝からぼやいてもいいことにはならない。元気を出そう。

 元気といえばプール。明日からプールは2週間のメンテナンスに入り、休館。今月末まで泳げない。幸いお天気もいいので昨日、泳ぎに行く。行くのはいいが、休み前の利用は誰も考えが同じこと。プールの利用者は多い。多ければ最低でもいつもの半分の500メートルのつもりが何とか1キロ泳ぐ。これで元気を充電。 

 今日はこれからフルートのレッスンへ。その後、平和公園へ移動。フェニックスホールで開催される講演を聞く予定。

 暖かい一日となりそう。今日も元気を出して!

2016年2月8日月曜日

総会&懇親会出席

 昨夜は所属する某会の総会に出席する。会場に着くとマレーシアの旅で同行の人から旅のブログの間違いを指摘される。アブラヤシの木の画像はココナッツとのこと。帰宅後すぐに画像をアブラヤシの実と置き換える。何たって間違いを教えてくださった人はその道のご専門。ほんとうにありがたい!ありがたいことは他にもある。何十枚と色々な資料をいただく。ありがとうございます。後でゆっくり目を通します。

 某会の人たちは知れば知るほど素晴らしい人たちばかり。この会に誘ってくれた人は今回は欠席。なぜ?と心配していると階段で転倒されている。この人のお蔭でこの会に入り、日本画も習うようになった。感謝!

 総会の後の宴も半ばころ脱会される人のお話がある。年齢を重ねてここらあたりで一区切りされるらしい。名前を聞くと日本画の第一人者だった。旅の機内で隣の席の人からその画家と懇意であり、絵もいただいたことがあるとのお話を聞いていた。宴の最中、途中から隣に座られる。お話を聞いていると喜寿のお祝いに77枚の絵を描かれ、昨年個展をされている。残念ながらこの方の絵を見たことがない。ところが、今年のGWに津和野で再度個展を開催されるという。ぜひとも見たい!と話が盛り上がる。幹事さんもそれを聞かれて副会長に話を向けるようにとの伝令が入る。ここはおっちょこちょいの出番。すぐに皆で絵を見に行く話が決まる。本当に楽しみ!
 
 会は今年20周年を迎える。昭和63年に会として始動。だが、会の名前がついたのはその10年後。それから20年。会の前身と合わせると30年の長きに及ぶ。入会して2年半。以前のことは知らなくても楽しい会に変わりはなさそう。

 今年の会のスケジュールを見ると、秋には中国へ行く予定がある。久々の中国行きでこれも楽しみ。また昨年の梨狩りを今年もされるそうだ。いろいろと楽しみが増えそう。幹事さんは会の皆さん、幸せな人たちだと話される。そうかもしれない。皆さん、遊ぶ話になると楽しく盛り上がる。遊べるのも元気なうち!思うままに十分、人生、楽しみましょう!

 10日から2週間プールはメンテで休館。午後から泳ぎに行こう。今日も元気で!

 ここで余談。総会の一番大事な会長のお話を忘れている。近代の中国の講話だった。個人的に関心がある時代。知らないことも聞けた。この会は遊び心満載の真面目な学会。余談でした。

2016年2月7日日曜日

マレーシアとシンガポール5日間の旅

   20151031日から114日までマレーシアとシンガポール5日間の旅をした。旅の一行は15名。その大半はご夫妻や家族連れでファミリームードに溢れた和気藹々の楽しい旅だった。個人的には22年前にも出かけている。ところが現地に着くと初めて目にすることばかり。十年一昔といわれる。20年以上も経てば一昔どころではなく、以前に出かけたゴム園の観光も遠い過去の思い出となった。
  
  今回の旅で覚えた「じゃらん、じゃらん」。「じゃらん」は日本でもネットで宿を予約する際によく使う。何とこれがマレー語に由来するとは驚き。また、「じゃらん」は「行く」や「通り」の意で、「じゃらん、じゃらん」は「散策」の意と現地ガイドから聞いて知る。
  
   旅行社からもらったパンフによると2013年のマレーシアの総人口は2995万人。その民族の内訳はマレー系約67%、中国系約25%、インド系約7%。大半はマレー系でムスリムが多い。しかし、街には「漢字」が氾濫し、まるで中国のような光景だ。とはいっても、やはりイスラムの国マレーシア。トイレに入ると便器の横には水道とホースが備えてある。右手で栓をひねり、用を済ませると左手で洗うのだろう。そのため、左手は不浄な手とされる。トイレットペーパーはなく、使用後は温暖な国だからこそ可能な自然乾燥。トイレの周りは水浸しとなる。文明は発達しても、このトイレ文化を守らねばならない何かがあるのだろうか。これは今回の旅で感じる。しかし、旅の間の現地ガイドはどこも中国系の華人。可能ならばマレー系のムスリムのガイドからこの話を聞きたかった。
  
  今回の旅もホテル事情や食事は素晴らしい。マレーシアから50年前に独立したシンガポール。ここへは旅の最後に立ち寄る。宿泊したホテルはザ・リッツカルトン・ミレニア・シンガポール。シンガポールの人口の75%は華人。トイレ事情もマレーシアとは異なり、トイレットペーパーもある。様々な国を旅して、これほど立派なホテルに泊まったことがなかった。這い上がって寝るほどの高さがある大きなベッド。広い室内はすべてハイテクを駆使している。室内から眺めるロケーションは最高で2015427日にオープンした船の形の東南アジア初となる高級総合リゾート「マリーナ・ベイ・サンズ」も見える。とはいっても、立派なホテルのトイレもウオッシュレットでなく、これだけは日本が勝る、との参加者の声もある。トイレ事情は日本が世界一良いらしい!

  まえおきはこれくらいにして、ここからは楽しかった旅を思い出しながら話を進めよう。

第一日目 20151031日(土) 広島空港からペナンへ

中華航空CI113便は広島空港を午前9時に離陸し台北に向かう。台北の桃園空港に到着後、ペナンへのトランジットの時間を利用して幹事の〇さんからお知らせがある。なんと、旅の途中で帰国されるとのこと。お仕事の関係で止むを得ないらしい。旅の主を失った一行は不安を隠し切れない。台北でトランジット後、CI731便はマレーシアのペナン空港に1610分に到着(以下現地時間を表記)。気温は23度。

マレーシアに入国すると熱風が吹いて暑い。入国審査を受ける際、初めて両手の人差し指で押印。少し驚く。バスでホテルへ移動中、ガイドから日本円をマレーシアの通貨に両替する。1万円=330リンギット。車内から見る光景は車が溢れ、車優先社会を実感。中国系の現地ガイドからムスリムが髪の毛を見せると地獄に堕ちる話を聞く。これを聞いてムスリムの風習や言葉などに関心を抱く。だが、ガイドは中国系のマレーシア人。ムスリムについて詳しくはわからないようだった。ガイドに最初に教えてもらったマレー語の「じゃらん」。行くや通りの意で、「じゃらん、じゃらん」は散策の意と知る。夕飯はロブスター付きの海鮮料理をいただく。レストランに入ると突然のスコール。窓ガラス越しから幾重にも虹が見えてくる。なんとこの日は〇〇さんのお誕生日。ケーキも用意されて皆でお祝いの宴となった。ペナンの宿泊はホテル ジェン ペナン。
海鮮料理のお店

レストランの窓越しにかかる虹

誕生祝いのケーキ
第二日目 2015年11月1日(日) ペナン島観光

   旅の初日は朝が早い。疲れと寝不足で夜9時過ぎから寝て朝まで熟睡する。750分にバスは発車してペナン島の観光が始まる。まずは世界で三番目に大きい「寝釈迦仏寺院」へ向かう。ちなみに涅槃仏の一番大きいのはスリランカにあり、二番目がタイにあるそうだ。寺院内の本堂には黄金色の衣をまとった長さ33mの仏陀像が横たわっている。像の後ろには信者の遺灰が入る骨壺も多数納められている。蓮をかたどった蝋燭や袈裟なども販売され、熱心な仏教徒がこれを買ってお寺へ寄進するのだろう。なお、ペナン島のペナンはペナの木である中国語の檳榔(ビンロウ)という植物がその名の由来らしい。ヤシ科の檳榔の種子は嗜好品として噛みたばこに似た使われ方がされ、食べると口の中が赤くなるという。
寝釈迦仏(涅槃仏)寺院

寺院内では様々な蝋燭を販売している

9時前、コーンウオース要塞に移動。柵越しから碑を眺める。その横に植えてある大きな木は今の明仁天皇が植樹されている。要塞のあるペナン島は開拓者のイギリス人船長フランシス・ライトが初上陸した地でコーンウオースは当時の東インド会社総督の名。海に向けられた大砲はジョージタウンのランドマーク的存在となっている。
コーンウオース要塞

ジョーjタウンのランドマークの大砲

現天皇である明仁の名が刻まれている

街中を走る人力車

 要塞(砦)を見た後は海辺に向かってじゃらん・じゃらん(散策)。その後もジョージタウンの街を散策する。街中を走る人力車の数も車に劣らず多い。マレーシアの人々は家よりも外で食事をする習慣があり、朝食をとる人々の姿を多く目にする。街にはインド人街、中国人街、書院、金の店、質屋などある。インド人街にあるインド系のイスラムモスクはカピタン・クリン・モスク。「カピタン・クリン」とは1801年に創建したイスラム商人カウダー・モフディーンの尊称であり、クリームの外観とドーム状のミナレットが特徴とされる。現在のムーア様式は1910年になって改装された。1時間ほどじゃらん・じゃらんした後はバスで移動してバティック工場に向かう。バティックの工場横ではお土産屋も隣接してある。皆さん、衣服など試着されて購入されていた。
カピタン・クリン・モスク

バティック工場
  昼食はマレー料理。デザートのタピオカが出る。タピオカ (tapioca) は、トウダイグサ科のキャッサバの根茎から製造したデンプンのことらしく、菓子の材料や料理のとろみ付けに用いられるという。タピオカとともに、ここでは〇さんから健康のお話も出て、酢玉ねぎで大いに盛り上がる。これは個人的にも参考にさせていただく。帰国後、実践されて次回の旅も皆さん、お元気で参加されることだろう。
 
 12時半、バスはキャメロン・ハイランドに向けて出発。ここから長いバスの旅が始まる。車内で現地ガイドはマレーシア人の気質について話し始める。100リンギットもらったとする。マレー系は110リンギットほど使う。中国系は70リンギット使って30リンギットは貯金。インド系はもらった額を全部貯金。この比較の例えはマレー系の人は経済力がなく、中国系、インド系がマレーシアの経済を牛耳るといいたいらしい。
 
 車内の窓越しからはバスターミナル駅が見えてくる。ガイドによるとバスが発車する定刻時刻は決まっていないらしく満員になれば発車するそうだ。しばらく進むとペナン島と本土を結ぶ橋をバスは渡る。このペナンブリッジの長さは約13.5kmある。ペナンからバスでクアラルンプールへ移動中、むき出しとなった山肌が見えてくる。これは錫を採掘した鉱山跡だろう。気になるのでネットで調べると、「15年ほど前まで、マレー半島は世界有数の錫の産地であった。山地や河口付近には至るところ鉱山が稼働していた。マレーシアの首都クアラルンプールは高層ビルの立ち並ぶ近代都市だが、発祥は19世紀後半に錫を採掘するために開発された鉱山町で、ここから河口部の海港クランへ鉱石を運ぶ鉱山鉄道は1886年に開通」とある。さらに「錫を掘った鉱山の跡はクアラルンプールの周囲に沢山あり、何十年たっても木も草も生えない」とある。http://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/column/malaytin7.html (参照)
 
 道理でバスの車窓から見えるむき出しの山肌は木が生えていない。この状態が続くと災害にはならないのだろうか。それは大丈夫らしい。こうして切り開いた鉱山跡は大都市を造る計画があると旅の最後で知り、一安心する。バスで移動中、何度かスコールに見舞われる。ところが幸いなことにそれは観光中でなくバスで移動中のことが多かった。
キャメロン・ハイランドの茶畑
 
 15時、キャメロン・ハイランド到着。ガソリンスタンドでトイレ休憩をすると多くのライダーを目にする。このキャメロン・ハイランドはマレー半島の中央部にある高原リゾート。1885年、イギリスの国土調査官ウイリアム・キャメロンがこの地を訪れたことから名付けられた。丘陵地には茶畑が広がり、上質の紅茶がマレーシア土産として有名だそうだ。ここでベリーズのチョコレートや紅茶を購入してマレーシアの通貨リンギットを使い果たす。バスから降りてローズ・ガーデンに入ると暖房がしてある。さすがのマレーシアも高地になるとその冷たさは半端ではない。道端にはお土産屋も並ぶ。そこで目にした「田七」の二文字。これは何か、が皆の話題となる。現地ガイドに聞いても埒が明かない。帰国後ネットで調べると漢方薬の田七人参のことだった。

 17時、キャメロン・ハイランドを後にしてバスは進む。この頃、誰も夕食が真夜中になるという運命を予測した人はいないだろう。スコールも降って思い通りにバスは進まない。誰彼となく、車窓から見える樹木が雪をかぶっているようだとの声が出る。高地で冷え切った身体と暑い国特有のバス車内の低い冷房設定で冷え切る身体がそう思わせるのか。それとも街灯の明かりがそのように見えるのか。21時、ドライブインでトイレ休憩。誰かが購入されたピーナッツの差し入れがある。その後もバスに揺られて22時を過ぎてやっと夕食のスチームボートをいただく。これは日本でいえば鍋料理。だが、レストランの時間が押し迫っていたため、鍋をつついて食べるのでなく急ぎ足でお皿に盛ってもらっていただく。結局、この日のバスの移動時間は何時間を要したのだろう。ペナンからクアラルンプールまでの道のりは遠く、真夜中近くのホテル到着となった。クアラルンプールの宿泊先はスイス ガーデン ホテル。
 
むき出しとなった山肌

ローズ・ガーデン


田七

第三日目 2015年11月2日(月)

 バスは8時に出発してクアラルンプール市内を観光する。まずは王宮を見学。ウイキペディアによると「マレーシアは選挙王制であり、州の君主であるスルタン (Sultan)の互選により任期5年の国王が選ばれる。この制度は、現在のマレーシアが過去の小王国(首長国)の集合体によって構成された経緯による。マレーシアを構成する13の州のうち、スルタンが存在しない4州を除いた9州のスルタンが国王を選出する。選挙制であるが、実際には各州のスルタンが輪番で国王に選出されることが慣習化している」とある。
クアラルンプールにある王宮

柵越しに見る王宮

王宮の衛兵

月と星のシンボルの国王旗の紋章

素晴らしい青空の下、王宮前広場に行く。正面門には左右に馬に乗った衛兵がいる。柵越しから見る王宮は2011年末に公邸として機能したばかりで輝きを放つ。次に向かうは国家記念碑。レイク・ガーデンの北にある高さ約16mのブロンズ像はマレーシア独立戦争で命を落とした英雄をたたえる記念碑。9時に国立モスクへ到着する頃には蒸し暑さも増してくる。1965年に完成したモスクは約8000人収容可能でマレーシア国内最大級のモスク。ここに入る際、女性は長そでならば顔と頭が入る黒いスカーフを被る。ところが顎から被るので頭から顔から汗がしたたり落ちる。使用後は汗を乾かして次の人がまた被る。洗わずに乾かしたままでの使用はきれいとは言いがたい。しかし、暑い国での天日干しで殺菌されて清潔なのだろう。ムスリムは無類の綺麗好きという。そのため、汚らわしいとされる豚肉を食べないのもそのためだそうだ。半袖の女性はスカーフにマントの付いたローブを身に纏う。その暑さは半端ではないだろう。これもすべてはコーランの教えにある。ガイドによるとモスクは一般には男性のみが行くところで、そこには必ず噴水や池がある。これは暑さ対策らしい

国家記念碑

モスクを見学後、お水と干した果物をいただく。暑さもピークに達しており、お水は暑い国では必需品。大事に持ち歩く。干した果物も美味だった。モスクの前にはイスラムの美術館がある。ここは急きょ不参加となった人に外観を見せてあげようとの皆の思いから写真に納める。しかし見学は不可能だった。バスは出発して独立広場(英語名はムルデカ・スクエア)や旧連邦事務局を外から見学。マレーシアの国花はハイビスカス。そのためか大通りはハイビスカスをあしらった街灯だった。赤と緑の街灯は灯が灯るとハイビスカスが咲いているように見えて綺麗だろう。

モスク見学後、お水と干した果物をいただく

イスラム美術館

独立広場(ムルデカ・スクエア)

 
旧連邦事務局


ハイビスカスを模した街灯

バスはチョコレートや民芸品店に向かう。車窓からはパイナップルの丘が見えてくる。植民地時代、そこはパイナップル畑だったそうだ。お昼は飲茶料理をいただきながら酢玉ねぎなどの健康が話題となる。しかし、せっかく盛り上がった話の後は〇さんの帰国の時刻が迫っている。マラッカへ行きたかったと話されていた旅の主の〇さん。主を失った旅の一行14名は不安を隠し切れないままマラッカへ向けて旅を続ける。

13時半、クアラルンプールから2等列車に乗車してタンピンまでの2時間、ローカルの旅をする。タンピン駅は2年前に建設された新しい駅だった。ガイドの話ではバスの方が列車よりも早く着くという。 

タンピン駅から見る光景

タンピン駅

到着後はマラッカ市内を観光。このマラッカもペナンと同じく木の名前が由来となって付けられている。ウイキペディアによると「1396年頃マラッカ王国を建国した王が木の下で休んでいたところ小鹿が猟犬を蹴飛ばすところを目撃。その休んでいた木の名前を取った、と言う説が一般的」とある。マラッカへ向かうバスの車内から見えるのは、今では少なくなったゴムの木。しかし、マレー虎やイノシシは多いそうだ。またこの辺りの建物は高床式の四角い柱で建ててある。この柱だと蛇が登らないらしい。 

1時間バスに揺られた後、青雲亭に到着。この青雲亭は1646年に建立されたマレーシア最古の中国寺院で福建に向かって建っている。寺院内は中国の南部様式の装飾が施され、屋根に施された陶磁器も見事だった。ここからはジョンカー・ストリートであるマラッカの歴史通りや骨董通りをじゃらん・じゃらん(散策)。中国風のグリーン色のモスクも建っている。
青雲亭

通りの意のじゃらん(JARAH)の文字がある

骨董通り

じゃらん・じゃらんは続き、マラッカ海峡を見下ろす一番高いマラッカの丘まで坂道を上る。時にボツボツと小雨も降ってくる。オランダ広場に着くと1753年創建のキリスト教会などのオランダ建築様式の建物が集まる。オランダ統治時代は白色だった建物がイギリスの統治時代になると現在のサーモンピンク色に塗り替えられる。マラッカ海峡を見下ろすところにはセント・ポール教会が建っている。これは1521年、ポルトガル人のキリスト教布教の拠点となるようにと建設された。フランシスコ・ザビエルはここから日本へ旅立ち、教会の後にはサンチャゴ砦が残っている。これはポルトガルがマラッカを陥落した1511年に築いた要塞で丘を囲む高い塀はなく、石づくりの門と大砲が残っていた。 
キリスト教会(左)と英国統治時代に建てられた時計塔(右)


セント・ポール教会

高い丘からマラッカ海峡を見下ろす

  じゃらん・じゃらんを終えてバスは香辛料のお店に向かう。だが、小雨も降って蒸し暑さはピークとなる。現地の通貨も使い果たして持参したドルでカレー粉など購入。夕食はニョニャ料理をいただく。ニョニャとは1516世紀にマレー半島へ移住した中国人と現地女性の間に生まれた子供と子孫の父親をババ、母親をニョニャと呼んだことからこの名がつく。マラッカのホテルはエクアトリアル マラッカ。
ニョニャ料理
第四日目 2015年11月3日(火)

  旅の間はモーニング・コールの早い日が続く。この日も5時半に起床してゆっくりとホテル内の朝食をいただく。7時半にバスは出て3時間後、マレーシアの最南端に位置するジョホール・バルに到着。移動の車内で団長の奥様とお話しする。旅に出ると一年分のパワーをもらって帰られるそうだ。そして「旅は人生の潤滑油」と話される。確かにそう思う。旅は楽しい!バスを降りて、海峡を見下ろす高台にそびえる美しいアブバカール・モスク に行く。そこから眺める海もまた美しい。次に行ったマレー文化村では民族舞踊ショーを見学。ショーに飛び入りして一緒に写真に納まる人もいる。文化村には他にもマレーの家屋や民族の伝統文化が展示されている。外の庭園はアブラヤシの木が植えてあり、ヤシ油の製造過程の説明がある。ヤシ油の生産量は世界一らしく、マーガリン、石鹸、蝋燭、化粧品、チョコレートなどに加工される。マラッカからジョホール・バルに移動中のバスからは3年で成長するといわれるヤシの木を多く見た。
 アブバカール モスク


モスクから見る海


マレー文化村

アブラヤシの実
 


  14時にイスカンダル計画(KOTA ISKANDAR)のある州議会に到着。もらったパンフによるとツアールートは入口メインタワーモスクガーデン議事堂ギャラリーの順となっている。これと同じように歩を進めると入り口にミネラルウオーターの差し入れがある。見学後に受け取ることにして庁舎内に入る。天井を見上げるとパイナップルの形をしている。足元を見ると胡椒の葉っぱの模様になっている。議事堂の中の机上には赤い押しボタンがある。それはセキュリティ対策用だった。広い庁舎内には人の気配がない。だが、議事堂の外に出ると結婚式のカップルの姿があった。
新州庁舎

胡椒の葉っぱを模した廊下

パイナップルを模した天井

庁内に展示してある本

庁舎の上部

議事堂内部

赤いボタンはセキュリティ用

  州庁舎を見学後、シンガポールに向かう出国手続きにバスは移動する。隣国にあるシンガポールへの出国といえども、身体のセキュリティチェックは厳しい。一人ずつセキュリティ・ボックスに入ると、マッサージのような機械で触っての身体チェックがある。初めて経験する身体チェックだった。30分後に出国は終わり、さらに30分バスに乗車して16時にシンガポール到着。到着後、現地のガイドから第二次世界大戦後、イギリスの領土であったシンガポールを日本が統治。その時、シンガポールを「昭南」(島)」(昭和に手に入れた南の島)と命名していたと聞く。夕暮れ時になり、早々とガーデン・バイ ザ・ ベイに行く。ここは近年になって作られたところで個人的には2か月前にも来ている。ベイ・サウス・ガーデンは「フラワー・ドーム」と「クラウド・フォレスト」の2つのガラスの巨大なドームがある。しかし、2か所あるガーデンのうち「クラウド・フォレスト」は2か月前に見学済み。今回は「フラワー・ドーム」の方を〇〇さんご夫妻と一緒に見学。植物についていろいろとお話を聞かせていただく。その後はマーライオンの像など観光。
 
  ガイドによるとシンガポールは50年前にマレーシアから独立。しかし、資源が乏しいため「水」さえもマレーシアから給水しているという。2002年、マレーシアはシンガポールに対して2011年に期限を迎える50年間のジョホール州からの取水権条約の更新交渉において、それまでの方針を突如変更。その際、シンガポールが受け入れられない高額料金を要求した。シンガポールはそれを受け、上水の独自開発に乗り出し、直接的にマレーシアから買い入れる依存体制から脱却する方針を打ち出している。資源のなさは観光にも及ぶのか、自然を生かした観光でなく人工的なベイ・サウス・ガーデンに見られるような観光産業になっている。
 
 20時、旅の最後の晩餐は海鮮料理。美味しくいただく。ホテルに到着すると部屋の豪華なこと。室内仕様はハイテク機器を使用。そのため、カーテンさえも手で上げ下げできない。あちこちの部屋からその問い合わせで右往左往。いろいろ触るとわかってきた。部屋にはウエルカム・チョコレートもある。部屋は広くて新しい。12階の部屋から眼下を見るとロケーションは抜群。その様子を写真に納めようとするが部屋の明かりで反射する。翌朝、再度見下すと何と目の前は前日下から眺めた船の形をしたホテル、マリーナ・ベイ・サンズだった。相部屋の〇〇さんと素晴らしい部屋に感動してはしゃいでしまった。旅の最後の夜は皆さん、大きな高いベッドで幸せな気分に浸って熟睡されたことだろう。ホテルの名はザ・リッツカルトン・ミレニア・シンガポール。
海鮮料理の夕食


宿泊したホテルの広い部屋。椅子のひざ掛けの高さほどあるベッド
第五日目 2015年11月4日(水)

 旅の最終日の朝も早い。ホテルでいただく朝食は美味しい。だが朝食の開始時刻とバスの出発時刻を考えるとゆっくり食べられそうにない。せっかくのホテルの豪華な朝食。心残りのままで空港に向かう。シンガポールから台湾で乗り継いで夜、無事広島空港到着。

 今回も楽しい旅でした。旅をご一緒した皆さま、本当にありがとうございました。マレーシアは年中、同じ気候のため木々の葉は緑のまま!?行きの機内で隣席の〇
〇さんはペナンに到着後、「マレーシアは紅葉がなく青春真っ盛り!しかし、日本は今、枯葉の季節。マレーシアで元気をもらって青春にかえった。若さをいつまでも保とう!」と気勢をあげられました。この言葉にあやかって、いつまでも青春のままで楽しい旅を続けましょう!最後に旅の主がいなくなった後も引き続きお世話をしてくださった〇〇団長、〇〇さんほか皆さまに感謝いたします。ありがとうございました!