2016年2月7日日曜日

マレーシアとシンガポール5日間の旅

   20151031日から114日までマレーシアとシンガポール5日間の旅をした。旅の一行は15名。その大半はご夫妻や家族連れでファミリームードに溢れた和気藹々の楽しい旅だった。個人的には22年前にも出かけている。ところが現地に着くと初めて目にすることばかり。十年一昔といわれる。20年以上も経てば一昔どころではなく、以前に出かけたゴム園の観光も遠い過去の思い出となった。
  
  今回の旅で覚えた「じゃらん、じゃらん」。「じゃらん」は日本でもネットで宿を予約する際によく使う。何とこれがマレー語に由来するとは驚き。また、「じゃらん」は「行く」や「通り」の意で、「じゃらん、じゃらん」は「散策」の意と現地ガイドから聞いて知る。
  
   旅行社からもらったパンフによると2013年のマレーシアの総人口は2995万人。その民族の内訳はマレー系約67%、中国系約25%、インド系約7%。大半はマレー系でムスリムが多い。しかし、街には「漢字」が氾濫し、まるで中国のような光景だ。とはいっても、やはりイスラムの国マレーシア。トイレに入ると便器の横には水道とホースが備えてある。右手で栓をひねり、用を済ませると左手で洗うのだろう。そのため、左手は不浄な手とされる。トイレットペーパーはなく、使用後は温暖な国だからこそ可能な自然乾燥。トイレの周りは水浸しとなる。文明は発達しても、このトイレ文化を守らねばならない何かがあるのだろうか。これは今回の旅で感じる。しかし、旅の間の現地ガイドはどこも中国系の華人。可能ならばマレー系のムスリムのガイドからこの話を聞きたかった。
  
  今回の旅もホテル事情や食事は素晴らしい。マレーシアから50年前に独立したシンガポール。ここへは旅の最後に立ち寄る。宿泊したホテルはザ・リッツカルトン・ミレニア・シンガポール。シンガポールの人口の75%は華人。トイレ事情もマレーシアとは異なり、トイレットペーパーもある。様々な国を旅して、これほど立派なホテルに泊まったことがなかった。這い上がって寝るほどの高さがある大きなベッド。広い室内はすべてハイテクを駆使している。室内から眺めるロケーションは最高で2015427日にオープンした船の形の東南アジア初となる高級総合リゾート「マリーナ・ベイ・サンズ」も見える。とはいっても、立派なホテルのトイレもウオッシュレットでなく、これだけは日本が勝る、との参加者の声もある。トイレ事情は日本が世界一良いらしい!

  まえおきはこれくらいにして、ここからは楽しかった旅を思い出しながら話を進めよう。

第一日目 20151031日(土) 広島空港からペナンへ

中華航空CI113便は広島空港を午前9時に離陸し台北に向かう。台北の桃園空港に到着後、ペナンへのトランジットの時間を利用して幹事の〇さんからお知らせがある。なんと、旅の途中で帰国されるとのこと。お仕事の関係で止むを得ないらしい。旅の主を失った一行は不安を隠し切れない。台北でトランジット後、CI731便はマレーシアのペナン空港に1610分に到着(以下現地時間を表記)。気温は23度。

マレーシアに入国すると熱風が吹いて暑い。入国審査を受ける際、初めて両手の人差し指で押印。少し驚く。バスでホテルへ移動中、ガイドから日本円をマレーシアの通貨に両替する。1万円=330リンギット。車内から見る光景は車が溢れ、車優先社会を実感。中国系の現地ガイドからムスリムが髪の毛を見せると地獄に堕ちる話を聞く。これを聞いてムスリムの風習や言葉などに関心を抱く。だが、ガイドは中国系のマレーシア人。ムスリムについて詳しくはわからないようだった。ガイドに最初に教えてもらったマレー語の「じゃらん」。行くや通りの意で、「じゃらん、じゃらん」は散策の意と知る。夕飯はロブスター付きの海鮮料理をいただく。レストランに入ると突然のスコール。窓ガラス越しから幾重にも虹が見えてくる。なんとこの日は〇〇さんのお誕生日。ケーキも用意されて皆でお祝いの宴となった。ペナンの宿泊はホテル ジェン ペナン。
海鮮料理のお店

レストランの窓越しにかかる虹

誕生祝いのケーキ
第二日目 2015年11月1日(日) ペナン島観光

   旅の初日は朝が早い。疲れと寝不足で夜9時過ぎから寝て朝まで熟睡する。750分にバスは発車してペナン島の観光が始まる。まずは世界で三番目に大きい「寝釈迦仏寺院」へ向かう。ちなみに涅槃仏の一番大きいのはスリランカにあり、二番目がタイにあるそうだ。寺院内の本堂には黄金色の衣をまとった長さ33mの仏陀像が横たわっている。像の後ろには信者の遺灰が入る骨壺も多数納められている。蓮をかたどった蝋燭や袈裟なども販売され、熱心な仏教徒がこれを買ってお寺へ寄進するのだろう。なお、ペナン島のペナンはペナの木である中国語の檳榔(ビンロウ)という植物がその名の由来らしい。ヤシ科の檳榔の種子は嗜好品として噛みたばこに似た使われ方がされ、食べると口の中が赤くなるという。
寝釈迦仏(涅槃仏)寺院

寺院内では様々な蝋燭を販売している

9時前、コーンウオース要塞に移動。柵越しから碑を眺める。その横に植えてある大きな木は今の明仁天皇が植樹されている。要塞のあるペナン島は開拓者のイギリス人船長フランシス・ライトが初上陸した地でコーンウオースは当時の東インド会社総督の名。海に向けられた大砲はジョージタウンのランドマーク的存在となっている。
コーンウオース要塞

ジョーjタウンのランドマークの大砲

現天皇である明仁の名が刻まれている

街中を走る人力車

 要塞(砦)を見た後は海辺に向かってじゃらん・じゃらん(散策)。その後もジョージタウンの街を散策する。街中を走る人力車の数も車に劣らず多い。マレーシアの人々は家よりも外で食事をする習慣があり、朝食をとる人々の姿を多く目にする。街にはインド人街、中国人街、書院、金の店、質屋などある。インド人街にあるインド系のイスラムモスクはカピタン・クリン・モスク。「カピタン・クリン」とは1801年に創建したイスラム商人カウダー・モフディーンの尊称であり、クリームの外観とドーム状のミナレットが特徴とされる。現在のムーア様式は1910年になって改装された。1時間ほどじゃらん・じゃらんした後はバスで移動してバティック工場に向かう。バティックの工場横ではお土産屋も隣接してある。皆さん、衣服など試着されて購入されていた。
カピタン・クリン・モスク

バティック工場
  昼食はマレー料理。デザートのタピオカが出る。タピオカ (tapioca) は、トウダイグサ科のキャッサバの根茎から製造したデンプンのことらしく、菓子の材料や料理のとろみ付けに用いられるという。タピオカとともに、ここでは〇さんから健康のお話も出て、酢玉ねぎで大いに盛り上がる。これは個人的にも参考にさせていただく。帰国後、実践されて次回の旅も皆さん、お元気で参加されることだろう。
 
 12時半、バスはキャメロン・ハイランドに向けて出発。ここから長いバスの旅が始まる。車内で現地ガイドはマレーシア人の気質について話し始める。100リンギットもらったとする。マレー系は110リンギットほど使う。中国系は70リンギット使って30リンギットは貯金。インド系はもらった額を全部貯金。この比較の例えはマレー系の人は経済力がなく、中国系、インド系がマレーシアの経済を牛耳るといいたいらしい。
 
 車内の窓越しからはバスターミナル駅が見えてくる。ガイドによるとバスが発車する定刻時刻は決まっていないらしく満員になれば発車するそうだ。しばらく進むとペナン島と本土を結ぶ橋をバスは渡る。このペナンブリッジの長さは約13.5kmある。ペナンからバスでクアラルンプールへ移動中、むき出しとなった山肌が見えてくる。これは錫を採掘した鉱山跡だろう。気になるのでネットで調べると、「15年ほど前まで、マレー半島は世界有数の錫の産地であった。山地や河口付近には至るところ鉱山が稼働していた。マレーシアの首都クアラルンプールは高層ビルの立ち並ぶ近代都市だが、発祥は19世紀後半に錫を採掘するために開発された鉱山町で、ここから河口部の海港クランへ鉱石を運ぶ鉱山鉄道は1886年に開通」とある。さらに「錫を掘った鉱山の跡はクアラルンプールの周囲に沢山あり、何十年たっても木も草も生えない」とある。http://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/column/malaytin7.html (参照)
 
 道理でバスの車窓から見えるむき出しの山肌は木が生えていない。この状態が続くと災害にはならないのだろうか。それは大丈夫らしい。こうして切り開いた鉱山跡は大都市を造る計画があると旅の最後で知り、一安心する。バスで移動中、何度かスコールに見舞われる。ところが幸いなことにそれは観光中でなくバスで移動中のことが多かった。
キャメロン・ハイランドの茶畑
 
 15時、キャメロン・ハイランド到着。ガソリンスタンドでトイレ休憩をすると多くのライダーを目にする。このキャメロン・ハイランドはマレー半島の中央部にある高原リゾート。1885年、イギリスの国土調査官ウイリアム・キャメロンがこの地を訪れたことから名付けられた。丘陵地には茶畑が広がり、上質の紅茶がマレーシア土産として有名だそうだ。ここでベリーズのチョコレートや紅茶を購入してマレーシアの通貨リンギットを使い果たす。バスから降りてローズ・ガーデンに入ると暖房がしてある。さすがのマレーシアも高地になるとその冷たさは半端ではない。道端にはお土産屋も並ぶ。そこで目にした「田七」の二文字。これは何か、が皆の話題となる。現地ガイドに聞いても埒が明かない。帰国後ネットで調べると漢方薬の田七人参のことだった。

 17時、キャメロン・ハイランドを後にしてバスは進む。この頃、誰も夕食が真夜中になるという運命を予測した人はいないだろう。スコールも降って思い通りにバスは進まない。誰彼となく、車窓から見える樹木が雪をかぶっているようだとの声が出る。高地で冷え切った身体と暑い国特有のバス車内の低い冷房設定で冷え切る身体がそう思わせるのか。それとも街灯の明かりがそのように見えるのか。21時、ドライブインでトイレ休憩。誰かが購入されたピーナッツの差し入れがある。その後もバスに揺られて22時を過ぎてやっと夕食のスチームボートをいただく。これは日本でいえば鍋料理。だが、レストランの時間が押し迫っていたため、鍋をつついて食べるのでなく急ぎ足でお皿に盛ってもらっていただく。結局、この日のバスの移動時間は何時間を要したのだろう。ペナンからクアラルンプールまでの道のりは遠く、真夜中近くのホテル到着となった。クアラルンプールの宿泊先はスイス ガーデン ホテル。
 
むき出しとなった山肌

ローズ・ガーデン


田七

第三日目 2015年11月2日(月)

 バスは8時に出発してクアラルンプール市内を観光する。まずは王宮を見学。ウイキペディアによると「マレーシアは選挙王制であり、州の君主であるスルタン (Sultan)の互選により任期5年の国王が選ばれる。この制度は、現在のマレーシアが過去の小王国(首長国)の集合体によって構成された経緯による。マレーシアを構成する13の州のうち、スルタンが存在しない4州を除いた9州のスルタンが国王を選出する。選挙制であるが、実際には各州のスルタンが輪番で国王に選出されることが慣習化している」とある。
クアラルンプールにある王宮

柵越しに見る王宮

王宮の衛兵

月と星のシンボルの国王旗の紋章

素晴らしい青空の下、王宮前広場に行く。正面門には左右に馬に乗った衛兵がいる。柵越しから見る王宮は2011年末に公邸として機能したばかりで輝きを放つ。次に向かうは国家記念碑。レイク・ガーデンの北にある高さ約16mのブロンズ像はマレーシア独立戦争で命を落とした英雄をたたえる記念碑。9時に国立モスクへ到着する頃には蒸し暑さも増してくる。1965年に完成したモスクは約8000人収容可能でマレーシア国内最大級のモスク。ここに入る際、女性は長そでならば顔と頭が入る黒いスカーフを被る。ところが顎から被るので頭から顔から汗がしたたり落ちる。使用後は汗を乾かして次の人がまた被る。洗わずに乾かしたままでの使用はきれいとは言いがたい。しかし、暑い国での天日干しで殺菌されて清潔なのだろう。ムスリムは無類の綺麗好きという。そのため、汚らわしいとされる豚肉を食べないのもそのためだそうだ。半袖の女性はスカーフにマントの付いたローブを身に纏う。その暑さは半端ではないだろう。これもすべてはコーランの教えにある。ガイドによるとモスクは一般には男性のみが行くところで、そこには必ず噴水や池がある。これは暑さ対策らしい

国家記念碑

モスクを見学後、お水と干した果物をいただく。暑さもピークに達しており、お水は暑い国では必需品。大事に持ち歩く。干した果物も美味だった。モスクの前にはイスラムの美術館がある。ここは急きょ不参加となった人に外観を見せてあげようとの皆の思いから写真に納める。しかし見学は不可能だった。バスは出発して独立広場(英語名はムルデカ・スクエア)や旧連邦事務局を外から見学。マレーシアの国花はハイビスカス。そのためか大通りはハイビスカスをあしらった街灯だった。赤と緑の街灯は灯が灯るとハイビスカスが咲いているように見えて綺麗だろう。

モスク見学後、お水と干した果物をいただく

イスラム美術館

独立広場(ムルデカ・スクエア)

 
旧連邦事務局


ハイビスカスを模した街灯

バスはチョコレートや民芸品店に向かう。車窓からはパイナップルの丘が見えてくる。植民地時代、そこはパイナップル畑だったそうだ。お昼は飲茶料理をいただきながら酢玉ねぎなどの健康が話題となる。しかし、せっかく盛り上がった話の後は〇さんの帰国の時刻が迫っている。マラッカへ行きたかったと話されていた旅の主の〇さん。主を失った旅の一行14名は不安を隠し切れないままマラッカへ向けて旅を続ける。

13時半、クアラルンプールから2等列車に乗車してタンピンまでの2時間、ローカルの旅をする。タンピン駅は2年前に建設された新しい駅だった。ガイドの話ではバスの方が列車よりも早く着くという。 

タンピン駅から見る光景

タンピン駅

到着後はマラッカ市内を観光。このマラッカもペナンと同じく木の名前が由来となって付けられている。ウイキペディアによると「1396年頃マラッカ王国を建国した王が木の下で休んでいたところ小鹿が猟犬を蹴飛ばすところを目撃。その休んでいた木の名前を取った、と言う説が一般的」とある。マラッカへ向かうバスの車内から見えるのは、今では少なくなったゴムの木。しかし、マレー虎やイノシシは多いそうだ。またこの辺りの建物は高床式の四角い柱で建ててある。この柱だと蛇が登らないらしい。 

1時間バスに揺られた後、青雲亭に到着。この青雲亭は1646年に建立されたマレーシア最古の中国寺院で福建に向かって建っている。寺院内は中国の南部様式の装飾が施され、屋根に施された陶磁器も見事だった。ここからはジョンカー・ストリートであるマラッカの歴史通りや骨董通りをじゃらん・じゃらん(散策)。中国風のグリーン色のモスクも建っている。
青雲亭

通りの意のじゃらん(JARAH)の文字がある

骨董通り

じゃらん・じゃらんは続き、マラッカ海峡を見下ろす一番高いマラッカの丘まで坂道を上る。時にボツボツと小雨も降ってくる。オランダ広場に着くと1753年創建のキリスト教会などのオランダ建築様式の建物が集まる。オランダ統治時代は白色だった建物がイギリスの統治時代になると現在のサーモンピンク色に塗り替えられる。マラッカ海峡を見下ろすところにはセント・ポール教会が建っている。これは1521年、ポルトガル人のキリスト教布教の拠点となるようにと建設された。フランシスコ・ザビエルはここから日本へ旅立ち、教会の後にはサンチャゴ砦が残っている。これはポルトガルがマラッカを陥落した1511年に築いた要塞で丘を囲む高い塀はなく、石づくりの門と大砲が残っていた。 
キリスト教会(左)と英国統治時代に建てられた時計塔(右)


セント・ポール教会

高い丘からマラッカ海峡を見下ろす

  じゃらん・じゃらんを終えてバスは香辛料のお店に向かう。だが、小雨も降って蒸し暑さはピークとなる。現地の通貨も使い果たして持参したドルでカレー粉など購入。夕食はニョニャ料理をいただく。ニョニャとは1516世紀にマレー半島へ移住した中国人と現地女性の間に生まれた子供と子孫の父親をババ、母親をニョニャと呼んだことからこの名がつく。マラッカのホテルはエクアトリアル マラッカ。
ニョニャ料理
第四日目 2015年11月3日(火)

  旅の間はモーニング・コールの早い日が続く。この日も5時半に起床してゆっくりとホテル内の朝食をいただく。7時半にバスは出て3時間後、マレーシアの最南端に位置するジョホール・バルに到着。移動の車内で団長の奥様とお話しする。旅に出ると一年分のパワーをもらって帰られるそうだ。そして「旅は人生の潤滑油」と話される。確かにそう思う。旅は楽しい!バスを降りて、海峡を見下ろす高台にそびえる美しいアブバカール・モスク に行く。そこから眺める海もまた美しい。次に行ったマレー文化村では民族舞踊ショーを見学。ショーに飛び入りして一緒に写真に納まる人もいる。文化村には他にもマレーの家屋や民族の伝統文化が展示されている。外の庭園はアブラヤシの木が植えてあり、ヤシ油の製造過程の説明がある。ヤシ油の生産量は世界一らしく、マーガリン、石鹸、蝋燭、化粧品、チョコレートなどに加工される。マラッカからジョホール・バルに移動中のバスからは3年で成長するといわれるヤシの木を多く見た。
 アブバカール モスク


モスクから見る海


マレー文化村

アブラヤシの実
 


  14時にイスカンダル計画(KOTA ISKANDAR)のある州議会に到着。もらったパンフによるとツアールートは入口メインタワーモスクガーデン議事堂ギャラリーの順となっている。これと同じように歩を進めると入り口にミネラルウオーターの差し入れがある。見学後に受け取ることにして庁舎内に入る。天井を見上げるとパイナップルの形をしている。足元を見ると胡椒の葉っぱの模様になっている。議事堂の中の机上には赤い押しボタンがある。それはセキュリティ対策用だった。広い庁舎内には人の気配がない。だが、議事堂の外に出ると結婚式のカップルの姿があった。
新州庁舎

胡椒の葉っぱを模した廊下

パイナップルを模した天井

庁内に展示してある本

庁舎の上部

議事堂内部

赤いボタンはセキュリティ用

  州庁舎を見学後、シンガポールに向かう出国手続きにバスは移動する。隣国にあるシンガポールへの出国といえども、身体のセキュリティチェックは厳しい。一人ずつセキュリティ・ボックスに入ると、マッサージのような機械で触っての身体チェックがある。初めて経験する身体チェックだった。30分後に出国は終わり、さらに30分バスに乗車して16時にシンガポール到着。到着後、現地のガイドから第二次世界大戦後、イギリスの領土であったシンガポールを日本が統治。その時、シンガポールを「昭南」(島)」(昭和に手に入れた南の島)と命名していたと聞く。夕暮れ時になり、早々とガーデン・バイ ザ・ ベイに行く。ここは近年になって作られたところで個人的には2か月前にも来ている。ベイ・サウス・ガーデンは「フラワー・ドーム」と「クラウド・フォレスト」の2つのガラスの巨大なドームがある。しかし、2か所あるガーデンのうち「クラウド・フォレスト」は2か月前に見学済み。今回は「フラワー・ドーム」の方を〇〇さんご夫妻と一緒に見学。植物についていろいろとお話を聞かせていただく。その後はマーライオンの像など観光。
 
  ガイドによるとシンガポールは50年前にマレーシアから独立。しかし、資源が乏しいため「水」さえもマレーシアから給水しているという。2002年、マレーシアはシンガポールに対して2011年に期限を迎える50年間のジョホール州からの取水権条約の更新交渉において、それまでの方針を突如変更。その際、シンガポールが受け入れられない高額料金を要求した。シンガポールはそれを受け、上水の独自開発に乗り出し、直接的にマレーシアから買い入れる依存体制から脱却する方針を打ち出している。資源のなさは観光にも及ぶのか、自然を生かした観光でなく人工的なベイ・サウス・ガーデンに見られるような観光産業になっている。
 
 20時、旅の最後の晩餐は海鮮料理。美味しくいただく。ホテルに到着すると部屋の豪華なこと。室内仕様はハイテク機器を使用。そのため、カーテンさえも手で上げ下げできない。あちこちの部屋からその問い合わせで右往左往。いろいろ触るとわかってきた。部屋にはウエルカム・チョコレートもある。部屋は広くて新しい。12階の部屋から眼下を見るとロケーションは抜群。その様子を写真に納めようとするが部屋の明かりで反射する。翌朝、再度見下すと何と目の前は前日下から眺めた船の形をしたホテル、マリーナ・ベイ・サンズだった。相部屋の〇〇さんと素晴らしい部屋に感動してはしゃいでしまった。旅の最後の夜は皆さん、大きな高いベッドで幸せな気分に浸って熟睡されたことだろう。ホテルの名はザ・リッツカルトン・ミレニア・シンガポール。
海鮮料理の夕食


宿泊したホテルの広い部屋。椅子のひざ掛けの高さほどあるベッド
第五日目 2015年11月4日(水)

 旅の最終日の朝も早い。ホテルでいただく朝食は美味しい。だが朝食の開始時刻とバスの出発時刻を考えるとゆっくり食べられそうにない。せっかくのホテルの豪華な朝食。心残りのままで空港に向かう。シンガポールから台湾で乗り継いで夜、無事広島空港到着。

 今回も楽しい旅でした。旅をご一緒した皆さま、本当にありがとうございました。マレーシアは年中、同じ気候のため木々の葉は緑のまま!?行きの機内で隣席の〇
〇さんはペナンに到着後、「マレーシアは紅葉がなく青春真っ盛り!しかし、日本は今、枯葉の季節。マレーシアで元気をもらって青春にかえった。若さをいつまでも保とう!」と気勢をあげられました。この言葉にあやかって、いつまでも青春のままで楽しい旅を続けましょう!最後に旅の主がいなくなった後も引き続きお世話をしてくださった〇〇団長、〇〇さんほか皆さまに感謝いたします。ありがとうございました!


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