今朝の地元紙に栩木伸明は「『スクール』の語源が『余暇』なのはどれほど知られているか。…」と書いている。「スクール」は英語で「学校」と習っていてもその語源までは知らずにいた。早速、電子辞書のジーニアス英和大辞典を調べると「初12C以前;ギリシャ語Schole(余暇、討論)」とある。その意味からか、栩木は実学偏重ばかりの教育でなく、教養教育の必要性を問いかける。
これは学校に限らず、余暇を利用する習い事にも当てはまる。余暇は暇な時間。そこには遊びの要素があってもいい。今、暇を持て余していろいろと習っている。今さら、プロになるわけでもなく、それを金銭に替えようとも思わない。それならば、楽しく息長く習うに限る。
昨日は知人が歌う合唱を聞きに行く。その前に街中の金融機関のビル10階で開催中の日本画の個展を見る。人物画が大半だった。見学者は係りの人に絵を売ってくれるようにと交渉している。絵を描いた人は不在で、相手をするのはその旦那さん。本人に話しておくと言われていたけどさてさてその絵は…。
その場を後にして演奏会場へ向かう。前半の演奏後、トイレ休憩。向かうと長い列。知った人を目にする。その人から「〇〇さんを見に来た?」と聞かれる。その言い方はないじゃろ?歌を聞きに来たんじゃ、と思ってしまう。その様子を見ていた人は「話をした人をなぜ知っている?」と聞いてくる。そして名前まで聞かれる。他にも知り合いがいた。最近、演奏会や絵画展などに出かけると知った人に会うことが多い。ほんまにどうかいの、と思ってしまう。
夜になると姪から写メールが届く。成田に着いたらしく、移動中にメールをしている。今回の旅は特に楽しかったらしい。カンボジアとの国境ちかくのスリン(タイ)の象祭りに出かけている。電話で話すとその楽しさを分けてあげたくて写メールを送信したという。姪の父である義兄は出かけたことを知らず、帰国を知って驚いてわが家に電話してくる。年内の旅行はあと一度?と聞くと二度出かけるとか。うち1回は病に伏せる友を見舞うために台湾へ行くとのこと。そして20代の若さで亡くなった友がいたらしく、そのこともあって行けるうちに出かけると意気込んで話す。
「楽しかった旅を分けてあげたい」との姪の優しい言葉!これも身内だからこそ分かち合える。
今日はこれからフルートのレッスンへ。今日も元気で楽しく!
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