2015年11月26日木曜日

『孤独の価値』

昨日から今朝にかけて寒さも増す。ところが幸いなことに朝日がまぶしい。午後は泳ぎに行く予定なので雨がやんで良かった!

以下は以前読んだ本の気になる個所の抜粋。もう孤独云々に関する本は読まないようにしようと思っていた。ところがこの本の著者に惹かれて読む。著者の森博嗣はいつもブログに書くように妹一家がこの人のファン。その影響で名前を知る。しかし妹たちはこの人のエッセイではなく、他のジャンルのファン。

いま改めてこれを読むと自分に当てはまる個所が多い。ともあれ、「孤独」はそれほど悪いことではなく、価値がありそう。今日も元気で楽しく!午後はプールへGO~!

『孤独の価値』(森博嗣 幻冬舎新書、2015年)。

裏表紙には「人は、なぜ孤独を怖れるのか。多くの人は孤独が寂しいからだと言う。だが、寂しさはどんな嫌なことを貴方(あなた)にもたらすだろう。それはマスコミがつくったステレオタイプの虚構の寂しさを、悪だと思わされているだけではないのか。現代人は<絆>を売り物にする商売にのせられ過剰に他者とつながりたがって<絆の肥満>状態だ。孤独とは、他者からの無視でも社会の拒絶でもない。社会と共生しながら、自分の思い描いた「自由」を生きることである。人間を苛む得体の知れない孤独感を、少しでも和らげるための画期的な人生論。」とある。

★物事を突き詰めて考えることで、自分が囚われている得体の知れない感情を克服することができる。考えれば考えるほど、気持ちは楽になり、自分を自由にすることができる。これが、たぶん本書で僕が書きたい最も大切なテーマだ、と思われる。75p

★芸術というのは、人間の最も醜いもの、最もむなしいもの、最も悲しいもの、そういったマイナスのものをプラスに変換する行為だといえる。これは、覚えておいて損はない。たとえば、もし耐えられないような孤独のどん底に自分があると思ったら、絵を描いてみたり、詩を書いてみたり、そういった創作をすることをぜひすすめたい。絵を見る、詩を読むという受け身の行為では効果はあまりない。それではますます孤独感を強くする危険さえある。しかし、自分で創り出す行為に時間を作り出せば、気持ちの一部は必ず昇華される。…絵でも詩でも音楽でもどんなものでも良い。アートであればその機能があるはずである。126p

★年寄りが、風景に美を見るのは、おそらくは自分の死を身近に感じているからだろう。「この景色をあと何度見ることができるか」というセンチメンタルな感情が加味されるからこそ、美しく見える。なんでもないところに美を見つける目は、人の儚さから生まれるのである。140p

★孤独死というのは、誰もがいつかは迎えるシーンだ。それを怖れる理由などまったくない。そもそも死んだら、孤独もなにもないのである。結婚した人は、しばらくは近くに伴侶がいるかもしれないが、いずれは片方だけになる。あるいは、生きていても意識がない、認知ができない、といったことにもなる。心配しても、しなくても、みんな最後は孤独になれるのだ。孤独を受け入れることは、つまりは、自由になることでもある。163p

★最近、結婚しない人が増えているが、その理由は「自由でいたいから」だ。165p

★あまりにも美化した虚構、つまり結婚をして子供を作ってという人生が「人の幸せ」だ、と決めつけが崩れかけているだけなのである。もっと自由に生きられるのではないか、孤独であっても自分の人生なのだから好きなようにしたい、と気づいた人が増えている、というだけのことだろう。非常に自然な流れだと思われる。166p

★科学技術の発展が、この社会と共生できる孤独を可能にしたのである。昔は、そんなことはとうていの望めなかった。孤独を楽しむには、並大抵の苦労では不可能だった。逆に言えば、この情報過多の現代では、孤独指向の生き方をしないと、自分を保てない人が増えてくるだろう。…ポテンシャルとしては、孤独の方が高い。孤独から、協調への移行は簡単だ。…みんな基本的につながりたいと思っている人ばかりだから、かならず手を差し伸べてくれるだろう。177-178p

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