「中動態」の美学。昨日の美術講座で学ぶ。この中動態、「私は自分の体を洗う」が例として出る。以前、科目履修生として大学でスペイン語を学んだ時、「再帰動詞」というキーワードをはじめて目にする。固くなった頭に新たな風を吹きこむ作業はこの言葉一つをとっても大変だった。洗う、のスペイン語は”lavar”。ところが再帰動詞になると”lavarse”と”se”が付く。この理解ができずスペイン語の先生に質問したことを思い出す。動詞の後ろに”se”が付くのがスペイン語でいう再帰動詞になるのだろう。
ギリシャ語で洗うはlauo、再帰動詞になるとlauomaiになる。後についている”mai”がスペイン語の”se”に当てはまる!?
点から線へ、線から面へと考えていくうちに20世紀の抽象美術は出てきた。それは産業革命以降のひとつの批判として出てきたらしい。
これ以上書くと理解の程度がばれそうなのでこれで終い。ただもう一つ気になったことがある。それは誰かが作曲した楽譜でなにかを演奏する。その時、楽譜を読み、解釈し、作曲家の作曲活動(生産)と対話しながら演奏していく。そうしてはじめて作品が成立するという。こう考えたのはアドルノ。
フルート発表会で演奏前に司会者は曲にまつわるお話をされる。これは曲が生産されて作品になる過程で大事なことだと気づく。
昨日は初雪が降ったとの報道もあった。今日も寒い日となりそう。今夜はマレーシアの旅の打ち上げ会。今年はこの会の人たちと海外や日帰り旅によく出かけた。そして、よく飲みよく食べよく遊んだ。出かけるまでに日本画のトレースの宿題をやり終える!?今日も元気で楽しく!
0 件のコメント:
コメントを投稿