2015年11月20日金曜日

『人生の<逃げ場>』

一日遅れてお墓参りをした後、泳ぎに行く。午後のプールが開くのを待って一番にプールに入る。「あと数秒待って…」との係りの言葉。時計がぴったり午後1時を指すとOKらしい。プールに入って待つこと数秒?もない。何と融通が利かない、と思う方が変なのか。規則は規則と言わんばかりの対応をされる。ともあれ、すぐに泳ぎ始める。数人だけのプール。人が集まるまで1コースを自由に泳ぐ。気持ちがいい!

しばらくすると顔なじみの人がやってくる。背泳ぎで左腕を伸ばすようにとの注意を受ける。この人の親切はありがたい。だが、失礼ながらも適当に話を聞く。ところが、話しやすいのかしきりに話しかけられる。かなりの歳の女性で「気持ちよく泳いでいるね」とも言ってもらう。自分では左腕も伸ばしているつもり。言われた通り、意識して伸ばして泳ぐとリカバリーの回数が少ない。人の言うことも当たっている。

下記は先日読んだ本の抜粋。著者はNHKの武内陶子アナの旦那様で文化人類学者。文化人類学に興味があるので関心を持って読む。会社員生活から離れてすでに13年。仕事とは縁遠くなっている。それでもこの本にあるように「単線」でなく「複線」での生き方は会社に入ったころから意識し続けていた。会社人間にはなるまいとどれほど思ったことか。一方だけの生き方ではいけない。今の生活があるのもその頃の影響が大きい。と同時に、その考えで良かったと改めてこの本を読んで感じる。

何たって、リストラ組。その思いがあったためか、リストラされた後の切り替えは早かった。もう仕事はせずに大学で学びなおそう、と心に決めた。その2週間後には大学の願書を手にする。

いつも思うことはリストラをした側の人の方が辞めさせられた側よりも大変だったに違いないと。そうした人は私の知る限り早くに亡くなっている。人を押しのけて生きる方がどれほど大変なことなのか。その人たちを見てそう感じる。

特に最後に記したこの文章からそれを感じる。「会社の上司や同僚がその人のことを『価値を生み出さない不要な存在』として切り捨てようとしても、自分はけっして切り捨てる側には回りません。この姿勢を貫き続けることが、自分の人生を豊かで幸福なものにします。モノの見方や考え方の幅を広げ、今の時代の成果主義、効率重視の価値観からの脱却を可能にします。そして自分と関わる周りの人の人生を豊かで幸福なものにします。」(212p) これと逆なことを行えば不幸な人生となり、長生きもできないだろう。

ヒトは「交換不可能な存在」であると著者はいう。だからこそ自殺はいけない。出版社のキャッチコピーには「会社にさえ行けば幸せになれるという『会社一神教』は既に崩壊している。にもかかわらず、他の価値観・生き方を見つけられない日本人──。一度きりの、ほかならぬ『私の人生』を本当に充実させるためには、〈逃げる〉ことも一つの方法。上田教授が説く、正しい逃げ方と新しい生き方。」とある。

『人生の<逃げ場>』(会社だけの生活に行き詰まっている人へ)(上田紀行 朝日新聞出版、2015年)を読んだ。また気になる個所を記そう。

・私は人間はフラジャイル(壊れやすい、脆い、はかない)な生き物だと思っていますが、…(15p)

・人は、自分を支える「線」を単線ではなく複線にしておいたほうが、精神的に安定します。(20p)

・会社にその身を委ねていれば、すべて安心という時代ではなくなりました。その変わり目はどこにあったかというと、やはりバブルが崩壊してリストラが進められるとともに、成果主義が導入されたところにあると思います。さらにその後浸透していった新自由主義的な価値観が、日本の会社を変質させていきました。(23p)

・バブルが崩壊し、新自由主義的な価値観が日本社会を席巻したときに、会社は共同体や宗教としての役割をあっけなく手放しています。(28p)

・社会学の専門用語に「準拠集団」という言葉があります。…「幸福な人生を送りたければ、一生懸命勉強して一流大学に入り、一流企業に就職しなくてはいけない」という価値観を持っている子どもは、自分が生まれ育った家族という準拠集団の影響を受けている可能性が高いと考えられます。(40p)

・準拠集団という縛りとは別に、私たちを縛っているもうひとつの要因があります。それは「他者の目」という縛りです。…これとは逆に、キリスト教やイスラム教といった一神教の国々の人たちが意識するのは「神の目」です。(43p)

・旅によってえられる大事な効用があります。それは日常生活をおくっている間ずっとかぶっているペルソナを、旅の間は脱ぐことができるということです。ペルソナとは仮面のことです。(72p)

・旅を通じて、日本にいるときには張り付いてとれなかったペルソナがぽろりと外れて、別の顔が現れるという経験をするわけです。…これは自分の生き方やモノの見方の幅を広げるうえで、とても大きな体験になります。(76p)

・「癒やし」という言葉を初めて用いたのは、私が1990年に出版した『スリランカの悪魔祓い』(講談社文庫)だと言われています。(95p)

・私は子育てで一番大事なのは「生きることって楽しい」と心から感じながら生きていける子供を育てることだと思っています。(129p)

・信頼できる宗教者と出会い、彼を支援することは、その宗教者を通じて「私も確かに社会に貢献できているんだ」という、より大きな喜びを、自分にもたらすことになるわけです。(178p)

・会社単線型からの生き方から脱却して人生を複線化することとは、「交換不可能な存在としての自己」を取り戻すための戦いなのです。(204p)

・会社の上司や同僚がその人のことを「価値を生み出さない不要な存在」として切り捨てようとしても、自分はけっして切り捨てる側には回りません。この姿勢を貫き続けることが、自分の人生を豊かで幸福なものにします。モノの見方や考え方の幅を広げ、今の時代の成果主義、効率重視の価値観からの脱却を可能にします。そして自分と関わる周りの人の人生を豊かで幸福なものにします。(212p)

お墓参りで見た皇帝ダリア

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