新聞を読んでいてふと頭をよぎるものがある。それは30数年以上前に新聞で読んだ記事。島根県のお年寄りだった。ホームに入っても自分に関心があることをされている。それが何かは忘れたが、机に向かう年老いた男性の姿が掲載されていた。この記事を読んでこういう人になりたいと思った。
その記事を探すため、2階に上がる。今はブログで気に入った記事などは保存している。当時はパソコンはなかった。気に入った記事は大学ノートに書いていた。ノートの最初の記事は植村直己の『青春を山に賭けて』。青色インクの万年筆で1978年12月に書いている。それを見ているとほかのファイルに目が行く。
「民族と出会うのでなく一人の人間と出会うのです」
ノート5枚にいろんなことを書いてホッチキスで止めている。この言葉、2002年に書き留めたものだろう。ノートには「試験場で論文を書くとき」と頭にある。入試を受けるにあたって書き留めている。先ほどの老人の記事は探さずに、このノートに目が行く。
この「民族と…」の言葉、忘れていた感情がよみがえる。やっぱりこの言葉は凄い!文化人類学の先生の言葉だけある。
「知力も体力の一つである。きたえることによって活性化し、快適になる。楽しい人生が送れる。」
今朝見たこの5ページのノート。受験に際して必要と思われることを書いている。先の老人の記事の内容も多分こういったことだろう。
感動した文章が色々なことへと広がりを見せる。ナニゴトも強く感銘を受けるとその思いは通じていく!
朝からいろんなことに想いを馳せる。後でゆっくりと記事をみよう。
とはいっても今週は日本画展とフルートで頭がいっぱい。
昨日は合唱の練習日。時間が変更となって出席率も良くない。再来月、2曲人前での合唱がある。うち1曲の出来が良くない。先生は「この曲は止めて…」と言われる始末。最前列に陣取っていたので「来週は歌のエースも来ますから…」と言って何とかその場は収まる。
合唱の人が某場所で習っているという水彩画教室に一緒に出掛ける。日本画展の案内を配ってもらったのが良くなかったのだろうか。そこの先生は「日本画はきらいじゃ!」といきなりのお言葉。先生ともあろうもののこの物言い、びっくり!
人それぞれ、多様性の時代。何を言われても結構。こういう先生に習わなくてよかった、との思いでそこを去る。習っている人たちはいい人なのに…。
気を取り直して今日はフルートのレッスンへ。元気を出そう!
記録を取ることの大切さを今日読んでいて改めて感じました。いやはや、お見事です。そういていつでも棚から以前の資料を引っ張り出して思い出に浸れますね。すばらしいです。僕は思い出の手紙とかわずかな資料だけ保存しているけど、もっとやっておけばよかったなあ。
返信削除舛井先生
返信削除ありがとうございます。若いころ思うような毎日が送れず、寂しく過ごしていました。これではだめになるとの思いから、読んだ記事や文など気に入った箇所を大学ノートに書きとめたり、コピーしたりしていました。舛井先生の「人に元気を与えるポイント10か条」ももちろんそうです。偉い人たちの言葉に刺激されて、今ではそれも遠いことのように思えることもあります。足が動かず、それでも幸いに頭がしっかりしているようなことになればそういったものをパソコンに入力しようと思います。と、その前に今は元気なので動くことに専念(?)しています。そうはいっても写真は捨てられても自分にとって大切なこれらの資料は何よりも今は大切な私の財産です。ちょっとオーバー?いつもありがとうございます。頑張ります!