明け方、大雨で目が覚める。新聞の天気予報によると明日から1週間はお日様のマークが見える。やっと梅雨明け?と錯覚しそう。
昨日もいいお天気ではなかった。午後から予定通り泳ぎに行く。出かけるプールは水中歩行の人が大半を占める。泳ぐコースは1コースと狭い。だが、長い距離を泳ぐ人が少なく、バタフライをする人もいない。そのため、泳ぎやすい。
歩く人も泳ぐ人もまるで社交場。どの人も大声を出している。その周りからは70年代の歌謡曲全盛時代の歌が流れる。この時ばかりは現実を忘れそう。
今朝の新聞で学力テストの結果が公表される。東北勢が元気だ。秋田県の小学校はどの科目も全国1位。青森県も4位と頑張っている。
先日青森へ出かけた。立派な建物は何?と代表に聞くと学校関係との返事。代表の住まいも学園都市にあった。建物を見ても教育に力を入れている県と知る。以下はその青森の旅を記したもの。遅くなったけどブログにアップしよう!
8月4日(月)から10日(日)までの1週間、青森へ行ってきた。旅の日程はすべて青森行きを誘ってくださった合唱団の代表が計画。国内の旅としては長い日数で充実した旅だった。
旅の目的として青森ねぶたを見ることがある。そして、参加者の大半が水彩画をしているため、各地でスケッチも計画される。
第1日目8月4日(月)
広島駅6時13分発→東京駅11時40分着。東京駅に降り立つのは何年ぶりだろう。車両の暑さと人いきれで熱風が漂う。ここで東北新幹線に乗り換える。ところがはやぶさとこまちの車両が連結してあり、乗り場に戸惑う。同じホームに向き合うはやぶさとこまち。2両の出発時刻は2分違い。この光景は初めて目にする。
東京駅11時56分発→仙台駅13時30分着、13時39分発→一関駅14時10分着。
17時14分発の盛岡へ行くまでの時間を利用して平泉中尊寺見学。各自キャリーバッグを持っている。そして雨も降り続く。中尊寺までは駅前のお土産屋にバッグを預け、タクシーで中尊寺の参拝口まで移動。参拝後も車を拾えるようなところでないため、時間を決めてタクシーの迎えを頼む。その間、中尊寺参拝。
初めてお参りする世界遺産中尊寺。雨も降っていて思うように行動できない。お寺なのに若者の参拝客が多い。これ如何に!?
雨に濡れた青々とした樹木。お天気がよければもっと良かったかもしれない。
青森の旅は雨の日続き。こればかりはどうしようもない。ただ、奥入瀬だけは日程の変更をしてどうにか傘もささずに観光できた。ほかの日は雨が旅の道連れとなる。
盛岡駅17時54分着、18時37分発→新青森駅19時37分着、19時47分発→弘前駅20時28分着→代表の旦那さんの車でご自宅へ。
新青森から弘前までのローカル線はねぶた見物の若者で車両はいっぱい。通勤電車を想像していたらねぶた帰りの若者だった。この時、キャリーバッグが動き出す。隣の若者連れが手助けしてくれる。横の女性にお礼を言いながら話をする。
秋田からねぶたを見に来たという。その夜は弘前に宿泊するともいう。さすがに秋田美人 、きれいな女性だった。いきなりカープ知ってる?と聞くとマエケンを知っていた。
青森行きの参加者4人のうち、2人ずつ分かれて宿泊。合唱の人と離れの2階に宿泊。ここは留学生用のゲストルームとなっており、お風呂、トイレ、炊事場、洗濯機など完全に孤立した建物。ありがたく4泊する。
なぜこのように気安く招待されるのか。その理由がわかった。ご夫妻の息子さんは東京外大を出られ、アフリカへ留学。そこでお世話になる。このお返しの方法はいろいろあるとか。人さまからお世話になればその相手でなくても、他の方法でお返しすればいいと話される。
息子さんのこういう考えからご家族で人々を泊められている。また、旦那様もアメリカ留学時、人さまからお世話を受けられた。そのため、大学勤務時も今も留学生のお世話をされている。
それにしても広島を経ってから何時間もかかってやっと青森のご自宅に到着。これもすべて、JRジパング倶楽部を利用したことによる。旅費を切り詰めれば何かを失う?
第2日目8月5日(火)
終日代表の車で観光。この日の運転は代表で旦那様はご自宅で休息日。弘前市伝統産業会館で津軽塗の仕上がる過程など見学。元大学教師の旦那様は漆塗の研究がご専門とか。ほかにもヒバ油の開発に携われたらしい。お土産にこれをいただく。ありがたい!
物産館で津軽塗の工程を見る |
弘前城の枝垂桜見学。ここの桜の木はお見事というほか言葉が出ない。だが、生憎今は桜の開花時期ではない。春の弘前公園は人出も多く、園内で宴会も可能とか。緑の葉っぱと桜の幹を見てその開花時期を見てみたいと思った。
弘前公園の枝垂桜 |
古木がいたるところにある |
寺町を車は行く。広島あたりの寺町と違ってお寺の規模とその数はかなりのもの。曹洞宗のお寺らしい。
田舎館村で田圃のアート見学。だが、観光客であふれている。町役場の建物のエレベータで上がって見学する時間まで1時間待ち。待った甲斐があってそれは見事な田圃のアートだった。アートは今年は第22回目。
田舎館村の田圃のアート |
次は八甲田山ロープウエイへ移動。だが、雨のためロープウエイは動かず。2軒あるレストランも雨で閉店。スケッチをしようという人もいてここでスケッチ。持っていたパンを分け合ってスケッチ開始。だが、おなかも空ききってまったく気分は乗らず。
ねぶたの出番まで青森県観光物産館前で降車。15階建ての三角形のビルで愛称はアルパム。この“ア”は青森の“A”を表している。代表はねぶたの場所取りに1人で車で移動。
出番を待つねぶたの山車 |
出番を待つ人々 |
出番を待つ山車 |
物産館10階のみちのく料理店「西むら」で午後3時過ぎ、やっと遅い昼食。ここは陸奥湾の眺めも良く、烏賊の刺身などの定食をいただく。本当においしかった。
物産館には夜、大通りを練り歩くまでのねぶたが控えている。ここだけでもお祭り気分。団扇、スナック菓子など袋一杯無料でいただく。
雨も降ってくる。ねぶたの会場で場所取りをしてくださる代表のところまで予定時刻より早めに行く。ここで皆でねぶたの場所取りをする。だが、全国からの大勢の観光客に混じってねぶたが登場するころには横断歩道の真ん中に陣取る。
ねぶたの山車の来るのを待つ間、代表はきゅうり1本を串に刺したものを口にしている。周りを見るとこれは売られている。初めて目にする光景だった。東京からの1人旅の女性に聞くと、東京でも売っているという。これにはびっくり。旅の間中、代表はこれを家で作られたのか私たちもよく食べさせてもらった。水分補給に合う食べ物だ。
ところ変われば品変わる。まだまだ日本は広い!
代表は携帯椅子も用意。トイレもかねて目の前にあるレストランにかわるがわる入って珈琲を飲む。
代表は計4時間も場所取りに費やしてくださった。後から合流した我々はそれでもねぶたが登場まで待つこと2時間、降り続く雨と格闘する。
青森ねぶたはまじかで見るとそれはそれは圧巻!大きな太鼓、笛、踊り手、そしてねぶたを操る人々。一個(台?)のねぶたは公の機関、企業など単独や合同で山車を作る。これが数日続く。ねぶたを見ているときも団扇など配られる。もう町全体を挙げてねぶた、ねぶた。老若男女は浮世を忘れてねぶたに没頭!?ねぶたは本当に素晴らしかった!
ただ、雨と人の多さで見ることに没頭し、写真に収められず残念!
第3日目8月6日(水)
予定では奥入瀬見学の日。ところが雨のためそれは後日に変更。マグロの一本釣りで有名な大間の岬に行く。
途中、浅虫温泉の道の駅でお刺身定食をいただく。美味!
青森は車を走らせても道が広い。車も多くないのになぜと聞くと雪よけのための道幅が広くしてあるとか。
大間の岬 |
大間のマグロの一本釣りの記念碑でスケッチ開始。岬の向こうは太平洋。いつも見ている瀬戸内海とは違って、さすがに太平洋!大間の岬 |
小雨も降っていてスケッチをする気が起らず、若者と話をする。
若者は宿泊先を決めず、安全なところを探してテントで野宿。詳しいことは話したがらず。だが、若者は何かを求めて旅するのだろう。何もせずにぼやくより、行動に移す若者は元気がいい!
この日は代表と旦那様、そして我々4人の計6人でホテルに宿泊。ホテルに到着する間際に代表の妹さんと大間で合流。お土産店やホテルを案内していただく。
ホテルは温泉もあり、食事も海の幸を盛り合わせたマグロを中心にしたお刺身。温泉につかってホッとする。
第4日目8月7日(木)
ホテルの朝食は朝から烏賊の刺身がでる。8時過ぎにホテルを出発して車は下北半島に位置する津軽海峡文化館のある佐井港へ。ここから仏が浦まで定期観光船に乗る。往復乗船券@¥2400。佐井港を出た船は仏が浦に着いた後、船長が30分案内してくれる。代表と2人で着いた船に乗り港へ帰る。
後の2人は次の便まで仏が浦でスケッチ。
船に乗船しなかった旦那様と代表、そして私の3人で佐井港の津軽海峡文化館内のレストランでスケッチ組の戻るまで、パンフを見ながら仏が浦の絵を2枚描く。この時、絵の描き方を代表とその旦那様に囲まれて習いながら描く。
画用紙は代表からいただいたスケッチ帳。画像にある如来の首など描く。何か見ながら描く描き方は何とか描けるものと妙に感心してしまった!
津軽海峡文化館内には赤十字の心に生きた医師、三上剛太郎のミュージアムがあった。軍医、三上の遺品などを展示。この人の名はここで初めて知る。三上は80歳を過ぎてから少年時代の夢であった「レ・ミゼラブル」を原語で読むため辞書を片手に独学でフランス語をマスター。「死ぬまで勉強」が剛太郎の口癖であったという。
仏が浦 |
仏が浦でも東京から車で来たという1人旅の男性と出会う。夏休みを車で旅行しているのだろう。出会う人は東京からの人が多かった。
仏が浦を後にして恐山に向かう。
もらったパンフによると恐山は「ひとを思うひとの心 霊場恐山」とある。そして「時代がいくら移り変わろうと人々の決して尽きることのない安らかな生と死への願いがある限り、霊場恐山は彼らの思いとともに信仰の光を灯し続けるのです。」とある。
霊場恐山には風車、積み上げた石ころの山、向うに見える湖は真っ青、砂は白。これは天国か地獄か!?一見、チベットを思わせる。だが、自然の厳しさはチベットには負ける。
恐山参道 |
恐山(前方に見える白い塀のところにイタコが座る) |
恐山 宇曾利(うそり)湖 |
草を結ぶのは死んだ人との縁を結ぶの意 |
夕飯はイトーヨーカドー内のレストランでネギトロセットをいただく。このお店はスーパー、それともデパート?広島にはない。大きなお店でスーパーにしては品がある。食事も美味だった!
第5日目8月8日(金)
朝4時に起床して函館までの日帰り旅。もちろんこの日はJR利用。弘前駅5時25分発に乗る。その前にコンビニによって朝食調達。
この日の代表の言葉。ご自分の小学校赴任当時の子供に話されたとか。「人から言われる言葉にいちいちかまっている暇はないのよ。その言葉を誰が言っているかもわからないのだから」。
もっと早く代表と知り合っていれば、私の人生、今よりはましだったかもしれない。
函館行はJRジパングに加えて青春18きっぷを利用。蟹田駅で特急スーパー白鳥に乗り換える。ここで東京からの1人旅の若い女性と出会う。
蟹田駅 |
18切符はスムーズに乗車できない列車もあるとか。一部乗車可能の特急列車もいったん外に出て検札がいるらしい。そのため一汽車遅れる。その間を利用して駅の待合室では1人旅同士の旅の情報交換会が始まる。
ほかにも1人旅の青年、リタイヤしたおっさんの2人連れがいた。
若者たちは宿は到着したその日に決める。どうやって決めるのかをおっさんたちは若者に聞く。なんと彼らの言葉はネットカフェとか、健康ランドに泊まるという。女性もそうらしい。これには時代のギャップを感じた。おっさんたちはホテル代が高いとぼやく。
ネットカフェで一夜を明かすとは…。おっさん2人はどう思って聞いたのかその答えは知らない。多分、びっくりしたのでは…。
東京から新大阪まで隣になった若者にこの話をすると、驚いた様子がない。ネットカフェは身分証明がいるから大丈夫と教えてくれる。
ここまで生きてくるとそうまでしてきつい旅をしたくない。とはいっても、自分自身若ければこういう生き方にあこがれただろう。
この1人旅の女性は、世界遺産めぐりをしている。われわれが広島からというと連絡先を聞いてくる。ある人は平和公園近くに家があるらしく、連絡先を交換していた。
集まっていたうち1人は京都からで他の人は東京からだった。東京のお盆は人がいなくなるはず!?
函館までの日帰り旅とあって簡易リュックを持って行った。ところがこれがなんと途中で敗れ始める。
キオスクで袋を購入しようとすると係りがナイロンのリュック代わりになるものをくれる。申し訳なくて店頭のお土産を買ってお礼代わりにする。
旅に出た時の教訓。あまりにも粗末な道具は持参すべきではない!
函館駅から朝市や赤レンガ倉庫など見て歩き、バイキングの昼食。食事後は五稜郭見物とスケッチ組の2組に分かれる。
北海道は2度出かけたことがある。だが、函館は初めて。ここでは五稜郭を見学。スケッチ組は函館にある教会で函館の下界をスケッチ。函館は夜景が有名。だが日帰りのためそれはままならぬ。
五稜郭はエレベータで見下ろす。その後はタクシーで移動して1人で公会堂を見物。旧函館区公会堂は函館市の重要文化財。北方民族資料館など見どころもある。だが、待ち合わせの時間までそれほどない。後の見学はあきらめ、スケッチ組と合流。
函館市内 |
旧函館区公会堂コンサートホール |
函館市内 |
第6日目8月9日(土)
弘前の代表のご自宅を出て、奥入瀬に向かう。お天気をみこんで日程を変更した。幸いこの日はお天気にも恵まれる。
十和田湖に向かう途中、岩木山を目の当たりにする。
向うに見えるは岩木山 |
十和田湖 |
十和田湖
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奥入瀬渓流 銚子大滝 |
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奥入瀬渓流 阿修羅の流れ |
ふと気づくと、ペアの若者が立っている。描いている絵を見ていたらしい。話を聞くとまたもや東京から来ていた。
奥入瀬渓流 阿修羅の流れ |
奥入瀬渓流の歩道は木道も敷かれている。道の高低差がなく、散策には適している。また、山深い場所にある渓谷のトイレやレストランは街中と比べてもそん色なくとてもきれい。これには驚く。秋の紅葉の人出もきっと多いことだろう!
ここで昼食は来る前に道の駅で調達した桃などをいただく。桃は小粒ながらも味が濃くて美味だった。
奥入瀬渓流 三乱の流れ |
奥入瀬は再度、訪れたい!
代表ご夫妻とは青森ではこの日、八戸駅でお別れ。次にお会いするのは広島の合唱で。
残りの4人で八戸から久慈駅に移動し、近くのホテルに宿泊。ところが、台風も来ている。予定では翌日、三陸鉄道に乗る。これに乗って宮古へ行き、浄土ヶ浜でスケッチ。ホテルの人に聞くと震災
4人はホテルの個室でゆっくり休む。うち1人はそれでも行くという。1人になりたかったらしい。
第7日目8月10日(日)
初めて目にする列車だった |
このバス移動は正解だった。なんといっても渋民村とかよく知られているところを通る。また、バスからの眺めは雨が降っていても最高に素晴らしい!気温は16度。
これだと、盛岡駅で3時間、ゆとりがある。盛岡駅の観光案内で近場の観光地を聞こうとするが生憎お昼休憩。
隣の駅員に聞いて、岩手県立美術館のデ・キリコ展を見に行く。
この美術館は建物も特別展も素晴らしかった。キリコの絵は一生忘れないだろう。丁寧に見て回った!
絵を見た後、ロビーに人が集まっている。ナニゴトと思いきやキリコ展の関連行事としてミュージアム・オペラがあるという。芸大出身の3人の演奏会だった。時間がなくてさわりを聞いてタクシーで盛岡駅へ。
1人がキャンセルしたのだろう。その席に若者が座る。この若者は転勤で近江に勤務。米原で降りるらしく、そこまでキャリーバッグを棚に置いてくれる。塗料会社に勤務らしく、今の市民球場の塗装もその人の会社が請け負ったと話していた。
また、清水が実家らしく、休みを利用して茨城県まで7万人コンサートに行ったと若者らしく楽しそうに話す。スマホでその出演者も見せてくれた。だが、知っている人は2人だけ。時代のギャップを感じる
岩手県立美術館 |
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