2014年1月14日火曜日

『人は死なない』

昨日は近くにお稽古に来る友人と最寄JR駅で合流し、お昼を広島駅の酔心で食べる。

友人は畑に水仙が咲き始め、絵画教室に持ってきてくれるという。先生からは咲き始めの薔薇を持参するようにいわれている。どちらも用意して持って行くことで話はまとまる。あり難い!

友人と分かれた後は家に帰って『人は死なない』(矢作直樹 バジリコ、2011年)を読む。サブタイトルは「ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索」とある。

この中の「摂理」。わかっているようでわかっていない。辞書で調べると「自然界を支配している理法」が最後に書いてある。

言われて見れば“自然の摂理”などとして使われる。

著者を知ったのはゲストで出ていたTVの徹子の部屋だった。東京大学病院の救急部集中治療部部長として勤務している。

本の初めのころに救急で入院し、容態が急変して亡くなる人、がある。これには感染症があり、その大半は細菌感染症。こうなると究明できない状態が生じるとある。020P

母もそうだった。持病はなかったが、高齢でもあり、食事も摂れなくなっていた。体は衰弱していく。入院後3週間で感染症に罹り、あっけなく逝ってしまった。

現世で二度とは母と会えない。それでも、この本を読むと心強くなる。

現代医学として「人は心で治る」といわれるとか。アメリカの統治治療の提唱者、アンドルー・ワイルのことばである。031P

またいつものように気になる箇所を記そう。

★ 登山をしていて本当によかったと思うのは、雨風をしのげて寒い思いをせず、三度のご飯が食べられるだけで、十分満足できることです。特にそれ以上の贅沢をしたいとは思いません。普段の生活の中でどんなに厳しい事があっても、登山のような生死の極限状態から比べると、まったくどうってことはない。 こうした感覚は登山に限らず、ヨットや小船で海洋を渡ったり、極地旅行などのように、大自然に徒手空拳で立ち向かう人たちに共通しいるのではないかと思います。108p

高山病も当てはまりそう。チベットのラサ、ブータンのパロ、パキスタンと中国国境のクンジュラフ峠、ペルーのクスコ、中国四川省の黄龍・九寨溝など何度か高山病を体験している。懲りずによく出かけたものだ。いわれてみれば、これは理解できそう。

★(筆者の母は浴槽で溺死)母の死を受け入れたとき、私は、これでもう心配しなければならない人はいなくなったという思いが沸き上がり、その瞬間言葉では言い表せない大きな安堵感、幸福感のようなものに満たされました。そして、あとは死を迎えるその時まで、心を無にして生きていこうと思いました。140p

★ 母の最期に接したことによって、仮に動けなくなって孤独死したとしてもどうということはない、なるようになる、と考えることができるようになりました。ともあれ、母の晩年とその死は、私に深い啓示を与えてくれることになったのです。141p

★ 肉親をなくした経験のある人は特にそうではないかと思いますが、「霊魂」や「死後の世界」はその存在を証明できないから認めないと科学的に考える自分と、亡くなった人の霊魂がどこかにいて自分を見守ってくれているのではないかと直感的に感じる自分がいないでしょうか。現代の日本に生きる分別を持った人間としては自分の知性で理解できない事柄に関しては信じることができない、一方でそう考えることに何か割り切れない後ろめたさを感じる、というように二つの背反した思いが交差するのが本当のところではないでしょうか。199p

★ 「正直の頭に神宿る」という言葉がありますが、良心とは人が現世で生きていくための道標となる摂理の声であり、我々はその声に素直に耳を傾けて従い、あるがままに生きてよいのではないでしょうか。200-201p

★ 人の一生は、表面的には寿命の長短や、それぞれの人生の中で負う荷物の大小しか見えないので、見かけ上不公平、理不尽に思えることは多々あります。…我々の人生の旅は、死後も続く、摂理の意思は悠久の生の中で折り合いがつくように働いている、と考えれば現世での苦しみや悲しみが多少なりとも癒されるのではないでしょうか。いや、そのように考えないと、矛盾に満ちたようにもみえるこの人生を理解できるものではありません。201p

★ 人生における様々な失敗や挫折、病気や怪我など自分の身に起こる災厄とは、摂理が個々の人間に、それぞれが自分自身で責任を負って大切な何かを学ぶために与えた試練はないかと私は考えるのです。201-202p

★ 人の魂は肉体が消滅した後も存在すると考えれば、ずいぶんと心が安らかになるのではないでしょうか。現世で二度と会うことはないという喪失感は、残されて現世を生きる者にとって確かに大きなものですが、大切な人と幽明の境を異にするのは一時のこと、他界した人はどこかで自分を見守ってくれている、いつの日か再会できると考えれば、死別の悲しみの本質が変わってくるのではないでしょうか。202p

★ 私は、人類の歴史とは、摂理が創造した宇宙の森羅万象の謎、いいかえれば「創造の法則」を、あたかも宝探しのように少しずつ解き明かしながら自分探しをする旅のようなものだと思っています。…人間はその謎解きをしながら生活に役立たせてきました。偉大な発見は、人類に摂理の意思の精妙な現われを感得させてくれます。203p

★ 「足るを知る」ことによって、生きていくことが楽になったり、あるいは他者に寛容になれたりするのではないでしょうか。205p

★ 人が有意義な一生を全うするためには、心身を調子よく保つことが大切です。そして、精神活動が維持できるように心身をなるべくよい状態にするよう、体からの声を聞きながら少しずつ体を手入れしていくことが大事です。206p …心身の余裕ができると、頭の回転がよくなり、集中力も沸き、積極的な考え方ができるというものです。積極的に考えれば、不愉快な思いもなく、無用な心配、悲しみ、怒りともさよならです。自分だけでなく、周りの人も気分がよくなります。どうせ生きるなら気分よく生きたいものです。207p

★ 摂理、霊魂の永遠に思いを重ねつつ、今に没頭すれば、肉体の死を恐れることなく勇気を持って生きることができるのではないかと私は思います。217p

★ 寿命が来れば肉体は朽ちる、という意味で「人は死ぬ」が、霊魂は生き続ける、という意味で「人は死なない」。私は、そのように考えています。218p

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