昨日のシャンソンのレッスンでは呆れてしまった!音楽を習うのに先生は楽譜は要らないというのである。
レッスンはいつものように発声練習から始まった。それを終えると先生は「〇〇にしよう」という。その楽譜は持っていない。そういうと歌詞を書いてくださいという。隣の人のを写していると貸してくれる人が現れた。
それも終わると「〇〇にしよう」と又先生はいう。その楽譜も持っていない。今春から習いはじめたものに対して全く配慮がなく、以前の曲のレッスンばかりする。2度もこれが続いたので、再度楽譜がないことを知らせるとまた歌詞を写すようにという。
音楽を習うのに楽譜がないのはおかしい!先生に「音楽を習うのに楽譜がなくていいんですか」というとなくていいという。もう呆れてしまった!
この現象は習い始めたときからあった。毎回楽譜がない曲をレッスンするたび、後でコピーさせてもらうか借りて帰ったりしてコピーした。
さらに先生に対する不信感は頂点に達した。次は何をしようかとたずねるのである。モノを習うのに楽譜はなく、行き当たりばったりに習った曲を何度もするのならば習う価値がない。
これまで音楽に関しては歌こそ習ったことはなかったが楽器は色々と習ったものだった。どの楽器を習うときもまず先生がレッスンする曲の楽譜を教えて下さる。それがこの講座では全くない。
習う生徒が次はこれにしようというのだとか。これでは全く習う価値が認められない。歌声喫茶の様相である。
何事もそうだけど習う側と教える側の相性が悪くては進歩も発展も伺えない。この講座を見切った日となった。
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