堀田善衛の『スペイン430日 オリーブの樹の蔭に』(筑摩書房、1989年)を読んだ。堀田善衛のスペイン紀行を読もうとしたきっかけはスペインへ同行したS先生の影響が大きい。
S先生は旅行中のバスの中で留学当時、スペインの堀田善衛の家に招かれた。S先生が招かれた理由は堀田の「外国生活の楽しみの一つは、年若い、新しい友人が出来ることである。日本の社会では新しい友人などはなかなか出来ない」(128p)にあるのかもしれない。さらにそれは「外国生活の楽しみの一つは、同胞の若い人々と友人になれることである。この年になって若い友人がなかなか出来ないからである」(371p)と同じようなことをこの本の始め頃と終わり頃に書いていることからもわかる。
堀田が430日もスペインで住んだ理由については『ゴヤ』四部作を書き終えたとき「身に非常な疲れと自分の生自体がひどく希薄になったと感じていた。」(388p)という。その頃、著者は60歳未満であり「人生の設計図が描けない」で「ヤケッパチという在り様」であった。(388p)
そこで思いをめぐらすうち「スペイン国へ」行く。底辺には幼少時代の著者の西洋教養が作用していた。(388p)
著者は1977年7月から1978年9月までの430日間、夫人とともにスペインに滞在したときのことをこの本に書いている。
スペインではチーズが機内食や食卓によく出る。ところが、食べた後味はあのモンゴルの食事を連想させる。羊のあの独特の味が…。なぜスペインは牛を多く飼っているのに羊の味がするのか?旅行中ずっと思っていた。それは灰白色の岩山の中腹で飼育する牛や羊を山が急峻なため乳に絞っても降ろせないということに関わっていた。「牛乳や山羊の乳を下に降ろせないので、双方の乳をまぜあわせてチーズをつくるのだ、と教えてくれる。それがあの猛烈強烈なチーズなのだ」。(42p)
機内食でもお腹がすいていたのでやっとパンにありつけると思ってガブッと食べる。だが、その後の口の中に広がる後味の悪いこと。もういくら辺境趣味といってもこの味だけは閉口してしまう。結局、チーズを除いて食べる。その点、ヨーグルトは日本のものよりも美味!
スペイン行きを誘ってくれた知人は彼の格言として「スペインへ行けば元気になる!」がある。堀田もこの本の中で知人の考えるようなことを書いている。「車を止めて、どこへ行くのか、と聞いてみると、馬の手綱をもつ五十代の家長らしい男が、『a bajo de montana山の下へ』と言う。山の下へ…?それは要するに、アッチへ、というほどの意味だろう。…アッチへ…?とても二十世紀に在りとも思われぬ在り様ではあるけれども、目的、目的地ばかり、あるいは目的、目的地だけしか持たぬ人生の有様よりも、それより豊かな暮らしざまであるかもしれぬ。…」。(56p)
さらに駐東京大使館の一等書記官S氏の話と、バネスト銀行のB氏の話として「ECへ入ったら、工業化計画はスロー・ダウンして、機械その他は先進国から買い、こっちは農業に精を出して環境を保全し、のんびり暮らせばいい、と言う。みながみな日本みたいになる必要はない、と」。(97p)
今の日本を見るとその指摘はあたっているかもしれない。
世界で最も美しいと著者がいうレオンの大聖堂をシェスタのため見ることができなかった。その大聖堂について「スペインで唯一の純フランス風ゴティック建築であり、そのステインド・グラスは、陽光の強さということもあって、私の考えでは世界で最も美しい絵瑠璃をもつ聖堂である。」と堀田は述べる。(75p)
本当にみたかったなあと思う。見られなくて残念!
フラメンコについて筆者は「元来、flamencoあるいはflamencaというのは、第一義的にはフランドル地方の、という意であり、転じては異国的なもの、異なるもの、ヘンなもの、という意味なのである。」という。(85p)
これからスペイン語を習おうとしている。堀田はそのスペイン語をDon Juanの言葉として「誰かが言ったように、ドイツ語が馬に話すための言葉だとしたら、フランス語は人間に話すためのものであり、スペイン語は神に、そしてイタリア語は、旋律的なシラブルと甘ったれた抑揚で、女に話しかけるためのことばだ。」と引用している。(106p)
ドイツ語が馬に話すために、スペイン語が神に話すためとは…。ドイツ語を習っている知人はこのことをご存知!?
30余年前にこの本を書いた堀田はこれからスペインが変わるだろうことを「私の方からは、このところ十年あるいは十五年ほどのあいだのこの国の変り方について話す。スプリンクラーを導入して地下水をくみ上げることによる緑地化。日本とよく似た高度成長と工業化。団地化。それに女性風俗の変化の甚だしさ等等。」。(132p)
これにはうなずいてしまう。実に妙を得ている。スプリンクラーは今回スペインで見た。女性風俗に関しては同行の神父様も規律の乱れを話されていた。
スペインの聖堂で世界へ向かっていった使者の話をよく聞いた。堀田は「天正の少年使節の派遣もまた、ローマ教皇の資金援助を得るためのデモンストレーションであった。連れ出されて途方もない苦労をさせられた少年たちが哀れである。」という。そこには「同じスペインを発した両者(スペインとポルトガルの宣教者)が一方は東に、他方は西に向い、地球を完全に一周して、発見事業の最後に到達したこの日本で一緒になる、この策は主の光栄のために最も望ましい姿である。」。(197p)
日本の青年が外国で生活することについて堀田は「日本の青年たちのあいだに、外国へ行って自分の可能性を試す、という言い方があることは小生も承知している。しかしそれは傲慢というものである。外国の人々そのものは、平凡な生活を平凡におくることに苦闘しているのであってみれば、そこへ入って来て、自分の可能性などというものを試されたりしたのではたまったものではない。」という。(210p)
この点に関してはちょっと疑問符を付けたくなる。そうだろうか。若さは何事にも勝る可能性を秘めていると思うけど…。
スペインの生活について弁護士カルロス夫人のフランス人カティの言葉として「フランスでの生活はなんにつけても法律と契約という二つのカミソリの刃のあいだを、…避け避けして行かねばならぬが、その点スペインはノンキでよろしい、と言う。法律も契約もアスタ・マニャーナ(明日にしよう)で抜けて通れる。それだけに弁護士は余り儲からぬ、と。」と書いている。(237p)
ヨーロッパの音楽家についてコンクールで貴族の子女が音楽家になっていないことを「芸術家というものは、ヨーロッパのタテの社会にあっては賎業従事者なのであろう。極端なことを言えば、音楽家は呼びつけて晩餐の伴奏をさせるもんであり、絵描きは壁を飾らせるものなのである。Artistということばを過大にも過小にも評価してはならない。」という。(252p)
この点に関しては日本の音楽家はスペインに同行していたヒトも含めて皆ヨーロッパ各地で西洋音楽を学んでいる。日本のイメージと西洋のそれとはだいぶ差があるのかも。
世界遺産などの廃墟について「廃墟はいい。廃墟に美などある筈がない。その廃墟に残った石にこびりついていると見える人間情念のようなものが、もっとも基本的、根本的なものを考えさせるから廃墟は人を惹きつけるのである。繰り返す。廃墟に美などある筈がない。」という。(277p)
筆者のいうように廃墟はいい。ザビエル城のあの廃墟は良かった。今でもあの真っ青な空に寂しくそびえるザビエル城を思い出す。
年号について「明治、大正、昭和などという年号区別は、それは短期的に便利かもしれないが、歴史をせいぜい何十年単位というほどの短いものにコマギレ化して、果たしていいものかどうか…。こんなコマギレのつづりあわせから果たして重厚な歴史感覚というものが人に成り立ちうるものかどうか…。」と述べて、堀田は西暦をとる。(303p)
これも全く同感である。会社勤めの頃は仕方なく使用していたが、今では考える上でも西暦のほうが便利。
フランコ時代についてカフェで知り合った青年の話として「ぼくの父はフランコと一緒に戦った陸軍の将校だ。父たちがああいう戦争(内戦)をやってそれに勝ったことを本当にぼくはうとましく思う。しかも戦後に、復讐として二十万のもの共和国の人を殺した」。今の君主制について「ノオ。あれは外国人だ。右も左も支持しない。この国の君主制は、大多数の非君主制をもった人々に支持された君主制だ。いかにもスペイン的だろう」と青年の言葉を書いている。(324-325p)
この本を読み終えて、なんとなく今回のスペイン旅行で感じたことと関係あるものをここに列挙した。堀田の眼を通してスペイン事情が少しはわかる。他にも堀田はスペインに関して書いている。徐々にそれも読んで行きたい。
毎日みています
返信削除頑張ってください
返信削除maruchanさん、匿名さん、コメントありがとうございます。「敏々日記」開設以来のコメントです。
返信削除他愛ないことを毎日書き綴っています。頑張ります!
こんにちは。堀田善衛さんの、この本は、初版で読んだ記憶があります。一番よく記憶しているのは、日本から電報か電話で、友人の作家が亡くなったことを知った堀田氏が、「滂沱の泪」、そして次がおぼろげなのですが、「死よ(あるいは、人生よ、だったかも)、われわれに優しくあってくれ」というような感慨を洩らす場面です。
返信削除若かったので、そのときは意味が分からず、センチメンタルな気分で読んでいましたが、今では当時の堀田氏に年齢が近づき、冷静ながら心情的に分かるような気がしてきました。どうもお邪魔いたしました。
匿名様
返信削除コメントありがとうございます。著者の本を初版で読まれたとのこと、驚きです。若い頃、スペインへ興味を示すことは考えられず、その点で羨ましい限りです。読んだ年代でその感慨もいろいろでしょうね。このコメントを戴いたのをきっかけに再度読み返したくなりました。遅くなりましたが、ブログに訪問していただき感謝いたします。