2019年3月7日木曜日

雨の一日

 昨夜はBSで「偉人たちの健康診断『正岡子規 痛い痛いの飛んでいけ』」を見る。司馬遼太郎の『坂の上の雲』1巻には子規と秋山兄弟が出てくる。この本でこれまで知らずにいた子規に関心を抱く。21歳で喀血して34歳で亡くなるまで「食」にこだわった。病弱な体であっても3度の食事はきっちりとり、特に果物を沢山食べたそうだ。また病弱であっても常に楽しみを見つけて生涯を過ごした。それにもよるのか子規がいなくなっても根岸の家に人々は集まってきたという。

 子規は常規が本名でホトトギスの意だが、その弟子の高浜虚子は清が本名。どちらもうまく俳号をつけている。番組を見て俳句も面白そう、と思うが短い中に自分の思いを投入するのは大変かもしれない。

 次は隋の時代の暴君である煬帝を見る。2年くらい前に揚州に出かけた。だが、煬帝を知らずにいた。いい番組がないと言いながらも結構、こういった放送に惹かれる。

 今年に入ってパソコン画面が突如怪しくなる。こういう状況になるとパソコンを再起動させるといいとのことでそうやって使用していた。だが、それもいつまた画面が変になるかも、とひやひや使う。ところが1,2週間くらい前から正常になる。これで落ち着いてパソコンが使える。昨日はこれまでさらったフルート曲集の曲名と作曲家をワードに記す。フルートを再開した8年前から最近まではすでに記している。
 


 先日、BSの「恋するクラシック」にチェリストの辻本玲がフォーレの🎵夢のあとに🎵を奏でていた。この曲はフルートで吹いたことがある、と思って曲集を探す。だが、曲集を探すには時間がかかる。それを一覧にすればすぐにどの曲集に入っているかがわかる。そう思って雨の昨日、外にも出ずにパソコンに入力する。♪夢のあとに🎵はやはりさらっていた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月6日水曜日

高齢者が狙われる社会

 高齢者が狙われる社会になった。何も悪くもないのに日に日に凶悪さを増す。金銭目的のために命までも奪ってしまう。一昨日の朝、家のドアをたたく音がする。ドアホンの電源をわざと切っているためドアをたたくのだろう。そうまでして家に来る?と中から外の様子を見るとブルーの作業着姿が見える。近くにある整骨院の名前を告げる。「結構です」と言って中のドアを閉める。後で気づく。「結構です」と言わず、はっきりと断る意思表示をする、と。

 同じ日の夜9時前に電話がかかる。男の声だったがすぐに留守電にすると切れた。後で番号をネットで検索すると迷惑電話で外壁の業者らしい。電話でも訪問者でもそうだが、そういう人たちに関わってはいけない。

 最近、フリーダイヤルの電話がかからなくなった。そう思った矢先の一昨日の電話はIP電話の番号だ。ともあれ、ネットで検索すると迷惑電話かどうかすぐにわかる。この類の電話番号はすぐに迷惑電話に登録する。それにしても変な世の中になった。

 母が怪我をして一人で家にいた頃、家の固定電話に電話をすると受話器をとらずに「はーい」と言えば電話が通じるようにしていた。ところが、もし今、母が生きていてそういう連絡方法だと変な電話もぜんぶ「はーい」と言えば通じてしまう。その当時は今ほど社会も悪くなく、そういう心配は無用だった。とはいっても、次第に母も衰えて外から家に電話しても「はーい」の声すら出なくなり電話で話すことも不可能になったが……。

 気を取り直して、昨日午後はプールに出かける。雨が降らない日を見計らってプールで泳ぐ。午後は1時から開館するプール。早めの到着で更衣室の鍵を受け取るとプールへ急ぐ。ところが何を慌てていたのか受付で名簿に記入するのを忘れる。ボケてきた!?気を付けよう!かなりゆったりと1キロ泳ぐ。最近背泳ぎで泳ぐと少しだけ早くなった気がする。先週、人から背泳ぎを褒められたからそう思うのかもしれない。気を良くしてプールから帰った後がいけない。鼻水の洪水だ。こうなると脳みそまでも鼻から出てくるのでは、と心配になるほど鼻水が止まらない。今年は楽な年との油断も束の間のことだ。夜中も寝苦しい。今朝はやっと鼻水がとまる。だが今日は生憎の雨。自転車で外に出られそうにない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月5日火曜日

旅の情報あれこれ

 106歳のスウェーデン人ブロガー、ダグニーさん。今朝もブログを見ると日に日にお元気になっておられる。今朝は「映画やその他の」のタイトルで舞台に立つダグニーさんの姿がある。また、ブログは「今日では、面白いと楽しい一日でした。私は民俗歌劇でドキュメンタリー映画祭に出席しました。20年にわたるドキュメンタリーのストーリーテリングを伝え、ドキュメンタリー表現のためのフォーラムです。……」と続く。(日本語は翻訳機能による)

 106歳でブログをされるだけでも素晴らしい。そのうえもっと凄いのは交通事故に遭い、左手の怪我を乗り越えてブログをアップされている。ダグニーさんを見倣いたい。

 昨日は関西の旅行社から旅のカタログが届く。暇つぶしに眺める。だが、これっ、とときめくものがない。それでもこれは……、と思う国はやたらと旅費が高い。なぜ、と思ったらビジネスクラスだった。年々、高齢者が増えてくる。お金持ちを当て込んだビジネスクラス設定がやたらと多い。貧乏人はここで立ち留まる。それでもどこか自分に合う国はないかと探し続ける。そのうち草臥れてくる。2月と3月に申し込んだ国内と海外の旅は人数不足で催行されない。今朝、違う旅行社の新聞折込チラシが入る。

 日に日に春めいてくる。こうなるとどこかへ行きたくなる。チラシを見ては集合時刻や行く先を考える。申し込んでも旅が催行されないと悲しい。電話で申し込む際、催行確定を聞く。日帰りのバス旅はOKだった。とりあえずこれを申し込む。

 そういえば今朝の新聞広告で某旅行社の募集を見る。なんと3月16日から新大阪駅発の「おおさか東線」ができて奈良駅まで54分となっている。奈良がぐっと近くなる。個人で行くにも新幹線の「おとなび」を利用すれば奈良が近い。これは朗報。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月4日月曜日

某文化交流学会総会に出席

 昨日は某文化交流学会の総会に出席する。もらった資料によると第23回総会とある。これまでこの会で計画された海外の旅に5回出かけた。昨年というか今年度の3月までの旅は参加人員不足で催行されていない。ということでこの会への参加は6年くらい前からになるだろう。いずれにしても旅好きの集まりの楽しい会だ。

 昨日は広響の定演を聞かずに総会に出席する。会が始まる前に3人で話していると王義之や顔真卿の話題になる。王義之は知っていても顔真卿は初めて聞く。ブログに「がんしんけい」とローマ字入力するとすぐに顔真卿に変換できる。ということは自分が知らないだけで有名な人のようだ。改めてネットで調べると先月24日まで東京国立博物館で特別展「顔真卿ー王義之を超えた名筆」と銘打った展覧会が開催されていた。この模様はテレビで放送されたらしく、見ていなくて残念。https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1925 (参照)

 総会が始まると副会長による「漢字―その豊かな創造力」をテーマにした講演がある。文字が発生したころから現代までの漢字の創造力を話された。その後は議事、議決が採決されて、今年度の会のハイライトともいえる二胡奏者の趙栄春を迎えての演奏会が催された。二胡は中国の楽器で哀愁を帯びた旋律を奏でる。5曲演奏された最後の「シルクロード」

。この曲を聞いていると中国語を習い始めた頃や、また海外旅行に目覚めた頃を思い出す。その当時、世はまさにシルクロードブームだった。

 演奏会が終わると場所を隣の部屋に移動して懇親会が始まる。いつもながら楽しい宴となる。来月からの新年度になると旅の予定もあるらしい。旅好きの集まりのようでまた一緒に旅ができると思うと嬉しくなる。楽しい一日は終わった!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月3日日曜日

3度の地塗り

 しとしとと降りつ続く雨の朝。少々冷たくてもお日様が出ている朝がいい。これもわがままというものだろう。

 昨日午後は日本画教室に出かける。新たな本画を作成するために鳥の子紙を貼った木製パネルに地塗りする。先生曰く「一色でもいい」と。はじめに緑系統の色に方かい沫を混ぜて色を塗る。地塗りの際は毎度ながら最後のあたりを塗る時に絵具が足りなくなる。2度目は黄緑色で地塗りする。色を塗り終えると水彩絵の具で色付けした下絵をコピーして、これにカーボン紙を置いてトレースする。トレース後、カーボンを外してみるとはっきり見えない。使いすぎたカーボン紙を使用したようだ。これに納得できず3度目の地塗りをする。少し明るめの色で塗り、カーボンでトレース。こんどははっきりトレースできた。だが、途中で時間切れとなり次週に持ち越す。

 新緑の季節から時は過ぎて紅葉の時期に写した尾関山公園の桜並木。緑色の葉に赤が混じる。これを絵にしていくのだが、さてさてどうなることやら。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月2日土曜日

新たに開店したスーパー

 1週間余り前にオープンした自宅最寄り駅のスーパー。お天気の良さにつられて自転車で出かける。さて自転車を、と思ったらかってに置けない。高校生らしき若者数人に置き方を教わるが埒が明かない。うち1人が置いてくれた。スーパー内に入ると何かが違う。おかしいと思ったらドラッグストアだ。すぐに外に出て他の入り口を探すとスーパーがあった。籠を持って入った瞬間、ここは自分には向いていないと悟る。間違って入ったドラッグストアも変なオーラを感じた。結果、何も買わずにすぐさま外に出ていつものスーパーに出かける。

 一日が過ぎるのが早い。新聞の投書欄や訃報欄に年齢が書いてある。同じような年齢の記事を見ると何と年老いている、と自分自身のことを忘れてそう思う。仕事を辞めてからというもの、あっという間に月日が過ぎる。この速度でいくと来年は1歳増えるのでなく5歳から10歳、いちどに歳を取る気がする。この気持ちは年々加速度を増す。

 そう感じると、あと何年元気で生きられるか知らないが、安いスーパーを買いあさるよりも自分で気に入るものを買って、食べて思うように生きればいいじゃない、との気持ちが募る。そして好きに遊んで楽しく過ごす、これに尽きそうだ。とはいっても遊ぶにも元気がいる。これは今のところ大丈夫。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月1日金曜日

青山俊董尼の講演を聞く

 市内にある曹洞宗の寺院で開催された講演会を聞きに行く。毎年2月と9月の末日に開催される。ところが、昨年は講師の体調不良と台風の影響で開催されず、1年ぶりに出かけた。広島駅から2つ目の駅で下車して山に向かって歩く。しかし、久しぶりに出かけたため、ホームに降りた時点でさてどちら側へ、と迷う。道中、2人に聞いてやっと目的地に到着する。

 寺院内の講演会場はいわゆるお寺らしくなく、講堂なのか線香などのにおいもない。またお寺での講演会と言ってもいわゆるお坊さんのお説教でなく、本来の講演会で耳を傾けてメモを取りながら話を聞く。受付を済ませると講演資料と冊子を受け取る。資料を見ただけでは何が書いてあるのか日本語として読めても内容はさっぱりわからない。県北や関係あるお寺から参加のお坊さんも数人おられた。

 話を聞くとき、疑問という形でアンテナを張り巡らせていると、直接ではなくてもいろんな形で結び付くそうだ。それも聞く内容は自分の物差しというか持ち合わせのものしか聞けないという。自分の聞きたいという受け皿がなければそれだけのものらしい。これを少しずつでも伸ばす!?この他、資料に書いてある内容をかみ砕いて話される。時に笑いを混ぜて話される。聞いているときはそうか、とわかってもいざ文にすると難しい。

 年2回の広島での講演会も講師の体力を考えて来年からは1度になるらしい。昨日も前日は佐賀で講演されて広島へ移動されての講演だった。講師の青山俊董尼を知ったのはスリランカの旅で知り合ったお坊様たち3人の何気ない会話から始まる。その話に聞く耳を持たなかったら青山俊董尼の講演会を聞くこともなかったし、出会うこともなかっただろう。

 そういえばこのお寺ではお月見コンサートも開催されているそうだ。その時はフルートとピアノ演奏と話された。フルート奏者は誰?と気になる。参加すればそれもわかるけど、さてさて……。また、県北のお坊さんは11月末ごろに阪大の先生やゲスト歌手を迎えての演奏会も開催されるという。これも聞きたいけどまたもやさてさて……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!